先日、武州松山城を訪ねた際、ついでにもう一ヶ所回った場所があります。

それは、岩付太田氏の菩提寺・養竹院(埼玉県川島町)。太田道灌が主君に暗殺された後、養子の太田資家が道灌の菩提を弔うために開基したと伝えられる寺院です。

場所は、太田道灌生前の陣屋跡が選ばれたとか。

河越城(川越城)を築城した太田道灌ですが、基本的には主君・扇谷上杉氏の城として築いた城であったため、自身は別の場所に陣屋を置いたそうです。

資家の息子・太田資頼(太田資正の父)は、後に岩付(岩槻)を領有し、岩付太田氏と呼ばれるようになっていきます。そのため、養竹院には、太田道灌、資家に継いで、この岩付太田氏の歴代当主の位牌もあるそうです。

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■養竹院遠景




■養竹院 山門




■太田道灌の陣屋跡の碑



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いまは、観光として見るものは何もないお寺でした。

岩付太田歴代当主の位牌や、太田資頼の肖像画が遺されているそうですが、一般公開はされていないようです。

ただし、太田道灌の陣屋がどういう場所に築かれたのかはよく分かりました。  

場所は、河越城の北に広がる低地のど真ん中。方向的には、仮想敵である古河公方が、河越城に向かう途中です。

純粋に戦略的な判断の結果としての選地だったのだろうと思いますが、主君から異心ありと疑われた道灌なりの忠義の示し方だったのかもしれません。


【図版追加(2014年11月2日)】
養竹院の場所を、地形図上にプロットしてみました。

養竹院(太田道灌陣屋跡)の場所

養竹院(太田道灌陣屋跡)の場所