妻と息子が寝静まった後で、ひとり一階で仕事をしながら、息抜きに地図旅行。

地図で訪ねたのは、栃木県宇都宮市の多気山城跡です。

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戦国時代・天正年間、後北条氏の関東制圧は最終段階に入り、北関東の奥の院にいた宇都宮氏も、たびたび北条氏の攻撃に晒されるようになります。
宇都宮氏も北条氏の攻勢を座して待っていた訳ではなく、北条氏に組した鹿沼城の壬生氏をたびたび攻め立てましたが、落城させるには至らなかったようです。


天正12年には、ついに宇都宮は北条氏に攻め込まれ、有名な二荒山神社も焼かれてしまいます。
しかし、宇都宮氏は滅びませんでした。
北条氏の攻勢に対抗するため、多気山に築いた山城・多気山城を強化し、ここに籠って北条氏の攻めを凌いだのです。

天正14年には、我らが太田資正が、鉄砲隊を率いて宇都宮氏の助っ人に現れますが、その時、資正が籠ったのも、この多気山城だったそうです。


さて、どんな城だったのか、国土地理院の地形図で見てみました。


1.多気山城の位置

多気山城(宇都宮市)


2.多気山の地形

多気山城(宇都宮市)


ネット検索してみると、多気山城は、標高377mの山全体を要塞化したものだったようですね。


後に豊臣秀吉が小田原城を攻める際に築いた石垣山城は、標高262m。
石垣山城のすごさは標高というより、西国式の見事な石垣にあるため単純比較はできませんが、多毛山城もスケール感も相当なものです。


鹿沼生まれ、宇都宮育ちの私ですが、これだけの規模の城が宇都宮にあることを知りませんでした。
晩年の太田資正が、老骨に鞭打って北条勢を撃退した輝かしき古戦場でもありますから、いずれ時間を作って見に行きたいと思います。

【追記(2015年2月21日)】
多気山城の傍をクルマで通りました。
多気山城を車中から眺める

【参考】
多気山城のことは、↓の本で知りました。

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