昨夜帰宅して、息子の「英語音読」の宿題を聞いてみると、とにかくひどい。

アルファベットも読めないし、ローマ字レベルの子音+母音で日本語の五十音が生まれる感覚も無い。

理解の手がかりが全く無い状態で、英語で書かれた会話文にカタカナルビがふられたプリントを音読。

で、読み間違える。

これはひどい。

まずは、abcd…とアルファベットの形と読みを本人に書き出させて確認し、子音+母音でローマ字学習レベルの日本語五十音が生まれる構造を確認させ、その上で、ローマ字理解を越えた発音が生まれる英語のフォニックスを体感させ…

半ば怒りに任せて二時間ほどスパルタ指導をしたら、最後には、カタカナルビ無しで、
What do you want?
I want potatoes.
How many?
Two, please.
Here you are.
Thank you.
が音読できるように。

最初は混乱していた息子も、途中から、少なくともアルファベットの組み合わせで音が生まれることは腹落ちしたようで、理解の取っ掛かりが得られたようでした。

叱り続けの二時間でしたが、それを見ていた妻は、「なんだかね、怒られているのに嬉しそうだったよ」。

妻から見た昨夜の息子は、「お父さんが時間を割いて時間と向き合い、どうしていいかわからない混乱から自分を引っ張り上げてくれようとしている」、と感じている風であり、それを嬉しく思い、食らいつこうとする気迫を見せていた、と。

そして、「最後は、アッ!わかった!という顔をしていた」。

四年生になってから、空回りすることの多い父親による勉強指導ですが、今回はじめて機能したのかも。

東京に出てきてから、塾の存在を前提とした小学館教育のあり方に親子で戸惑い、半ば劣等生になっていた息子。
埼玉時代のセルフイメージが大きく崩れ、その理由も、建て直し方もわからず、彼自身が苦しんでいた部分もありました。

それがもっとも顕著に現れていたのが、英語。

これがターニングポイントとなるとよいのですが。