「創る」ことで生きていく―31歳クリエイターの美学~完全版 | HappyWomanのすすめ。

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フラワーデザイン、ネイルアート、引出物のデザイン。一見バラバラなように見えるこれらの仕事を器用にこなす関 尚美・31歳。
彼女が携わるものの共通点は「創る」こと。
高校生のときから15年間、ひたむきに「創る自分」と向き合ってきた。




 例年より早く開花した桜が完全に散り終わった春のその日、東京・新宿三丁目のイタリアンに関 尚美(31)は黒いワンピースにパールのネックレスという装いで現れた。
 彼女に会ったのはこれが3度目。1度目は飲みの席で、2度目はネイリストとして、3度目は取材対象者として。意識的に使い分けているのか無意識なのか、3度とも尚美はまったく違う顔を見せた。
 まずは関 尚美とは何者なのかを確認してみる。「あなたの肩書きは何ですか?」 そう問いかけると、「肩書き?」と整った顔を少し傾けた後、尚美が説明したのはこうだ。「フラワーデザイナー、ネイリスト、クリエイティブディレクター。高校生の時からやってきたお花は私にとって“プライド”です。自信もあるし、絶対に失敗できないもの。ネイルはすごく好きで、“生活と日常”。クリエイティブディレクターとして関わっている引出物ブランドのécrin(エクラン)は、“夢”。世の中の引出物の概念を変えたい、という大きなビジョンを持ってやっています」
 1つひとつに対する思いは伝わった。しかし、どれか一つに特化しようとは考えないのだろうか。そんな疑問に対する尚美の答えは端的だった。
 「私はあることをきっかけに、一つの夢だけを追うことをやめたんです。今は必ず予備の夢を持つようにしています。そうすることが、次への活力になると思うから」。哀しみとも諦めともつかない表情をしていた。

 「なおちゃんは創るの上手ね」という母の洗脳
 ただ、褒められることが嬉しかった


 幼い頃から工作が得意だった。小学生のときにはその才能を見込んだ担任の先生が工作ノートをつけるようにアドバイスした。尚美は懸命に日々創ったものを記録した。娘が創ったものを母は褒めたたえた。
 「なおちゃんは創るのが上手ね」。嬉しくて、また創った。「今思えば、あれはある種、洗脳だったと思います。心のどこかで私は創る人になるんだと思って育ちました。実は、姉も母に後押しされて水泳のジュニアオリンピックに出場しているんです。大人になって、母のすごさを改めて実感しています」
 そんな尚美が「装花」と出合ったのは、高校2年生のときだ。高校・大学一貫校に入学した後、目標を見失っていた。「私は“創る人”になりたいはずなのに、大学には自分のやりたいことができる学部がないこと気づいちゃって」
 では、自分はこの先どうしたいのか? 考えていたとき、ある映画のワンシーンを観て衝撃を受けた。
 「未来を表現するシーンに、さりげなく花が飾ってあって、それで空気がすごく変わったんです。お花でこんなことができるんだ!って。大道具などの空間装飾に憧れはあったけれど、何かをやるなら特化してその分野の一番になりたい。お花は素材が面白いし、デザイナーとして極めることができるかもしれない、と思いました」
 今でもその決意の瞬間を鮮明に覚えているという。部屋にごろんと寝転び、天井を見上げて考えた。「私は花で生きていこう」と。
 そのときから付属の大学ではなく専門学校へと進路の舵を切った。しかし、尚美にはひとつ越えなければならない壁があった。それは尚美の大学進学を望む父を説得することだ。「理解してもらうにはとにかく実績をつくるしかない」と考えた。
 一つは家の近くの花屋でのアルバイト。まったくおしゃれではない、スーパーに隣接する田舎の花屋だった。正月と盆に仏花がよく売れた。特に年末年始は忙しかった。少しでも寒さを和らげるため、地面にダンボールを敷いて立った。女子高生の手とは思えないほど、手は荒れていたという。
 もう一つは、高校生のための花の作品展だ。はじめて出品したこの大会で尚美は奨励賞を受賞。東京・御茶ノ水のホテルで開催された表彰式に両親を招待し、父に自分の思いを伝えた。

 多くの応援を受けた技能五輪大会
 練習では誰よりも努力した


 「花で生きていく」という思いがさらに明確になったのは、専門学校2年生のとき。当時、尚美は決して学校の中で抜きんでた存在ではなく、同級生の友人の独創的なデザインを羨ましく見ているような学生だったという。いまひとつ突き抜けることができない尚美に対して、先生が言ってくれた一言が尚美の花に対する姿勢を変えた。
 「尚美は何かひとつ、絶対に負けないものを持ちなさい」
誰にも負けない「何か」。同級生の友人とは違う、自分だけの強みとは何か――。
そのとき尚美が選んだのは全国技能五輪大会の中に含まれる技能検定2級の試験科目だった。「同じ花を使って時間内に、同じサイズでデザインする検定で、私は最初それをバカにしていたんです。だってかわいくないんだもんって」
 しかし尚美はこの分野を極めることを決意し、必死に練習を始めた。学校で練習に使った後、ゴミ箱に捨てられた花たちを拾って持ち帰り、自宅でもひとり練習を繰り返した。「この練習だけは誰にも負けないくらい頑張った自信があります」
努力の甲斐あって、尚美は検定に合格し予選を突破。その後、技能五輪の全国大会で優勝した。それに付随して厚生労働大臣賞・東京都知事賞も受賞している。
 しかし輝かしい実績を残した専門学校の生活で尚美が学んだことは、デザインだけではない。「自分のために応援し見守ってくれる人がたくさんいて、初めてこんなに人に感謝しました。何かを成し遂げるためには、自分ひとりの力では決してできないということを専門学校で学びました」



 突然の挫折
 生花の匂いも苦しくなった


 卒業後は大手フラワーショップやフラワースクールで実績を積んだ。着実にデザインの幅を広げていった尚美は、23歳のときに仲間と2人で夢だった独立を決意する。しかし、思いもよらない事態が起こった。
 「勤めていた会社に独立を伝えて、次の人の採用も決まって、よし!っというときに、突然パートナーの子にやっぱりできないって言われたんです。え?!みたいな。同じ日にそのとき付き合っていた彼氏にもフラれたんですよ。当時、まだ若かった私には衝撃的すぎました」。その日のことを尚美は「真っ暗になった日」と表現し、「自分を支えていた柱が折れたようだった」と振り返る。
 生花のデザインは、16歳から7年間、ひたすら追い続けてきた夢だった。当時の尚美にとってはそれが世界のすべてだった。やっと自分の手で形にできる!とモチベーションがぐっと上がった瞬間にダメになり、激しい絶望感から暗闇に迷い込んだ。
 「それまで、自分は日本で有名なフラワーデザイナーになることを信じて疑わなかったし、夢や目標がないことなんて想像したこともなかったんです。このときはじめて、これまでの自分が当たり前ではなく、いろんな人がいて、いろんな想いで生きていることを知りました。当然のように寄り添ってきた夢と目標の喪失は、まだ若く無知な私には荷が重かった……」
 このときから、尚美は生花から距離を置いている。「先のことはわからないけれど、今は具体的に生花だけをやっていこうとは思っていません」と尚美が話すには、友人に裏切られたのと同時にもう一つの背景がある。
 「私はお花が大好き。植物、生物が好きなんです。だけど、生花での装飾はその大好きな花を殺しているんです」。生きた花の美しさを表現することの残酷さ。また、そのために大量の廃材を出してしまうことに尚美は違和感を覚え始めていた。「自分のやっていること、やりたいことがわからなくなって、このときはお花の匂いをかぐのも苦しくなった」という。
 この時期を経て、尚美は「もしまた私が生花の世界に戻ることがあるとしたら、そのときはその命を最後まで見届けられることが条件になると思う」と話す。レッスンでは美しくデザインすることは教えても、その花を最後まで飾るにはどうすればいいかを教えることはほとんどない。花屋では枯れかけて商品にできない花はすぐに捨てられる。
 「たとえば花が枯れて葉っぱだけが残ったとする。じゃあ、その葉っぱを集めてこう飾れば綺麗だよってことを伝えたい。ヒヤシンスって小さいお花がたくさんあって、部分的に枯れていくんです。そうなると見栄えは悪くなってしまうけど、まだ生きている花もある。その花を集めてグラスに並べたらかわいいでしょ。ただ、枯れかけた花は手間がかかるし、元気な花より当然メンテナンスが難しいんです。でも、生命のあるものをデザインするってそういうことだと思うから。豪華なものをただ活けることが美しいとは私は思わない」





 0より1やってみる
 葛藤や迷いの中で日々成長


 挫折から約10年が経とうとしている。20代後半ではOL生活や結婚も経験した。「あれから私が大事にしてきたことは、一つの夢を強く追い求めるのではなく、そのときどきの小さな夢と、私はこうだったら満足だなというところに到達できるよう努力すること、次にやりたいことをたくさんストックしておくことです。ダメだったとしても、次にいってまた楽しめるような自分をつくっています」
 もし、今なりたい自分になれていないならば、届くようにまたひとつ努力すればいいだけ。尚美のモットーは「0より1やってみる」ことだ。最初の一歩を踏み出せば、次の一歩が見えてくる。たとえゴールまでには100歩必要なことが見えたとしても、一歩進めばもう一歩頑張ろうと思える。そうやって進んでいけば必ずゴールに辿り付けると信じている。失敗を恐れていては前に進むことはできない。うまくいかないことにぶち当たっても、そのときにできるベストな方法を徹底的に考える。
 悲しみから立ち直る過程で、大事に増やしていった夢が少しずつ形になり始めた。今はネイルアートの仕事が半数以上。フラワーデザインについては、プリザーブドや造花を使った空間装飾に力を入れつつ、生花の分野でも、枯れかかった花を最後まで生かすためのレッスンやセミナーなどに挑戦していきたいと考えている。また、友人と立ち上げた結婚式の引出物ブランド「écrin(エクラン)」のクリエイティブディレクターとして「引出物をただのモノではなく、セレモニーのひとつにしたい」という思いで新しい市場を切り開くことにも熱意を燃やす。
 「あの経験から、確実に私は強くなった。だから、今ならまた一つの夢を強く追いかけることもできるかもしれない、と思うこともあります。花からも、結局離れることはできない。嫌だけど好きなんです。矛盾ですよね。でも、それが生きているってことだとも思うから」
 日々、いったりきたり。葛藤や迷いの中で、尚美は成長を続ける。先のことは決めつけず、「今はこう」だとその時々に揺れ動く自分の心と向き合っている。
 ただ、そんな尚美が心に決めている信念が一つだけある。
 この先の人生、「創る」ことからは絶対に離れない。
 (文中敬称略)





せき・なおみ
1983年・埼玉県生まれ。16歳から花屋にてアルバイトを始める。高校卒業後、日本フラワーデザイン専門学校へ。全国技能五輪大会にて優勝、厚生労働大臣賞受賞、東京都知事賞受賞。1級フラワーデザイナー、2級フラワー技能士取得。卒業後、日比谷花壇やマミフラワーデザインスクールのデザインルームに勤務。
現在は、結婚を機に自由が丘にてネイル自宅サロンを経営。お花や空間装飾、CDジャケット制作に参加するなど、ジャンルを問わず制作している。引き出物を中心としたブランド「écrin(エクラン)」を立ち上げ、クリエイティブディレクターとしても活動中。
Naomi Nail&Flower http://ameblo.jp/naomiracle827/
écrin http://www.ecrinshop.jp/