【未婚の母】好きな人の子供を産みたかった | HappyWomanのすすめ。

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 丙午(ひのえうま)の年に生まれた女は災いをもたらすという迷信があり、その年は昔から出産が控えられてきた。また、丙午の年に生まれた女性は気性が荒く、たくましいとも言われている。
 直近の丙午は1966年で、出生率は前年に比べ25%も下がった。まだ迷信が根強く残り、出産を避ける人も多かったこの年に、東京・中野区の富美子さん(仮名/47歳)は産まれた。

「今回、取材を受けることを友達に話したら、『あんたの楽観的な話を聞いてシングルマザーが増えたらいけないから、ちゃんと苦労したことも話すのよ』と言われたんですよ」

 本題に入る前にそう言って富美子さんは笑った。
「それで、苦労したことを思い出そうとしたんですけど、今となってはほとんど覚えていなくて」とさらに顔をくしゃくしゃにする。その笑顔には50代手前にしてなお少女のような面影を残していた。

■好きな人の子供を産みたい

 短大を卒業後、富美子さんは服飾店で働いていた。時はバブルの真っ只中。連日のように仲間たちとディスコで遊んだ。先のことなど考えない。ただ、今が楽しければそれで良かった。

 そんな時期に富美子さんは当時交際していた男性との子供を妊娠した。24歳だった。
「彼のことが好きだったので、堕ろすことは考えられませんでした」と富美子さんは振り返る。

 心はすぐに決まった。若さゆえの決断力と無鉄砲さで、「なるようになる」と考えた。
 しかし、彼の方は慎重だった。「経済的にも、今子供を育てるのは無理だ」と言う。さらに周囲の友達が「富美子は他の男とも遊んでいたよ」などと話し、彼は「本当に俺の子供なのか?」と言い出した。まだ若い2人に冷静な話し合いはできなかった。

 それでも富美子さんは母子手帳の父親の欄に彼の名前を書き、出産を前提に産科の検診に通い続けた。医師にも未婚であることは伝えなかった。親に知られると反対されることは分かっていたので、堕胎ができなくなるタイミングまで黙っていた。
 やがて親に妊娠が知られると、大騒ぎになった。親が彼の家族のもとに乗り込んでいき、事態はさらに泥沼化した。

「私は何があっても産むと決めていたので、妊娠中はとにかく心穏やかにしていたかったのに……」

 出産後、富美子さんの親が彼に子供の認知を迫り、裁判を起こした。その結果、彼は産まれてきた息子を認知した。裁判中に一度だけ、富美子さんは彼と会っている。

「私たち、なんでこんなことになったんだろうね……」

 そう会話を交わし、彼に産まれたばかりの息子の写真を渡した。それ以降、富美子さんは一度も彼と会っていない。

■息子とともに成長してきた

 その後も富美子さんは「いつか彼と一緒に生活したい」と思い続けていたという。その気持ちに「なんとなく踏ん切りがついた」のは、別れて10年が経った時だ。

「10年という時間が過ぎて、一区切りついたな、という感覚がありました。これで彼のことは吹っ切れるかな、と」

 息子が大きくなるにつれて、しぐさや後ろ姿がどんどん彼に似てくる。そんな息子を見ると、彼のことを思い出す。息子には「お父さんとお母さんは、すごく仲良しだったけど、いろんな事情があって一緒になれなかったんだ」と伝えていた。

「とにかく20歳までは必死で育てなきゃ!」と保険の外交員や事務職などをしながら息子を育ててきた。
 20歳を迎えた日、息子は泣きながら富美子さんに「今まで育ててくれてありがとう」と言った。富美子さんが「親がひとりでごめんね。お父さんに会いたいよね」と言うと、「それは全然気にしてない」と息子は答えた。

 その日、富美子さんは息子にある通帳を見せた。そこには、裁判の後から一度も会っていない父親の名前で、20年間、毎月欠かすことなく振り込まれている50000円の記載が並んでいた。連絡すらとっていない彼が、息子のために20年間養育費を払い続けていたのだ。
 彼は結婚したと風の噂で聞いている。

「1つの家庭を持ちながら、毎月5万円を払い続けることは、決してラクなことではないはず。もしかしたら私は結婚して他の男性に養ってもらっているかもしれないじゃないですか。そんな状況も関係なく払い続けてくれる。通帳を見るたびに真面目な人だなあって」

 毎月毎月、通帳に刻まれる彼の名前を見ると、20年以上会っていないのに、ずっとつながっている感じがする。直接会うことはなくても、そこには確固たる「父親」の存在があった。
「あなたがこれまで生きてこられたのは、お父さんのおかげだよ」と息子に伝えた。富美子さんはいつか彼に会ってお礼を言いたいと思っている。

 子育てに費やした時間はあっという間に過ぎた。若くして出産したため、自分もまた子供に成長させてもらったと感じている。

「幸せの形は人それぞれ。息子を産み、育ててきた20年間に悔いはありません。人は経験を積めば積むほど、頭でっかちになります。さらに情報が多すぎると、振り回されてしまって自分の思いを見失いがちになる。本当はどうしたいのか、自分の気持ちを大事にして、『できる』と信じること。覚悟を決めれば、そこから道はできる」

 育児を終えた今は、趣味の山登りを楽しみながら息子の夢を応援する日々を送っている。