「やさしさ」とは循環するもの。 | HappyWomanのすすめ。

HappyWomanのすすめ。

仕事も恋愛も結婚も、もっと貪欲に、もっと自由に。
女性のハッピーな生き方を伝えていきます

毎日好きな仕事をして好きなお酒を飲み、自由気ままに生きている私だけど、実は、実家はいまちょっと大変な状況にある。
もともと、我が家はみんな体も心もそう強くはない。何年かに一度、細木数子がいう大殺界のような年が襲ってきて、みんなバッタバッタと倒れては、総力戦で乗り越えてきた。

だから、2年半前に姉が男児を出産したときは、それはもうかつてないほど我が家は歓喜に沸いた。初産なのに破水から3時間という超特急安産でスコンと新たな命を生み出した姉は、「鼻からスイカじゃなくて、レモンだったわ」という迷言を残して周囲を驚かせた。

そこから姉は育児に奮闘した。文字通り、それは姉にとって闘いの日々だったのだと思う。
母親としての重圧やら寝不足やら、自分の生活が180度変わってしまったショックやらで、姉は、ねじまきのおもちゃが急に動きを止めるように、今年の夏前に動けなくなった。
いわゆる育児ノイローゼとか、育児うつといわれるものだ。とにかく現実世界から一旦離れた方が良かろうという医師の判断のもと、姉は入院生活に入った。

改めて、育児とはそれだけ重く母親にのしかかるものであり、「あなたが望んで産んだじゃないの」とか、「大変な時はいつか通り過ぎるのよ」と言ったところで、母親の苦しみを解決したりはしないのである。

さて、2歳半の甥っ子を残し姉が入院して、実家はてんやわんやになった。旦那さんが平日は18時半に仕事を切り上げて保育園に迎えに行く。土日は私の両親が面倒をみる。
しかし、さすがは姉と私のふたりの子を育て上げたばあば。その安定感たるや半端なく、お風呂も寝かしつけも、余裕のよっちゃんで辛抱強く愛情深く接するので、甥っ子もよくなつくんである。

そして厳しい現実に置かれても子どもはたくましく育つもので、「お母さんと離れ離れでかわいそうに…」とまわりが涙ぐんでも、本人は録画したNHKの特番「ウルトラ重機」に釘付け。ひたすらエンドレスリピートしている。
「しゃりん。トンネル!しゅぽぽー!」

その傍らで、両親は娘の弱さを嘆き、「私たちの育て方が悪かったのではないか…」と反省会を繰り広げたりしている。
あぁ、子育てとは子どもがいくつになっても正解などないものよと思い知らされる。
そもそも、子育ての成功とは何ですか、それは誰が決めるのですか、と神にでも問いたい気持ちになる。

親の責任が重大なのはわざわざ言わなくても100も承知で、それでも育っていく過程で子どもはさまざまな人と出会うわけで、親だけのせいにしても誰も幸せにならないと思うのですよ。自己責任論はダメ、絶対。


■母も倒れたぞ

姉の入院から2カ月が過ぎ、なんとかうまくまわっていたかのように思われた歯車が、ここにきてまた少し狂った。
孫の世話と親の介護との疲れから、母が調子を崩してしまったのだ。胃が何も受け付けず、食べられない状況が続いているという。

心配して電話を掛けてみたら、今にも消え入りそうな声。
母よ、思った以上に弱っておるな……。

姉の様子やら最近のいろいろを聞く中で、介護施設に入っている93歳の祖母が尻もちをついた話になった。
ベッドから降りる際にふらついて、脇にあった洗濯かごの中に尻もちをついた。幸い怪我はなかったものの、祖母は自分の衰えにショックを受けているという。
母親が悲しんでいたのはその事実ではなく、自分が体調を崩していることを知る祖母が、そのことをガマンして母には言わなかったことだった。
「それなのに、今日電話がかかってきて、あんたの調子はどうね、と気づかってくれるんよ……」と涙を流す。親は子を思い、子は親を思うのである。

病床の姉と、体調を壊した母と、弱っていく祖母と。
これはなかなかの窮地ではあるが、離れた場所で比較的元気に過ごしている私に、いま何ができるだろうと、しばし考える。

――どうしたもんじゃろのう。

トト姉ちゃんばりに高畑充希になりきってみたところで、私にできることなど何もなく、そうこうしている間に、「長電話してごめんね。あんたも毎日大変でしょう」と気づかわれる始末。

ここは笑ってしまえとあはははと声に出して笑ってみた。この状況を笑い飛ばして、「何とかなるさ」と言うことしか私にはできなかった。
あぁ、ふがいない娘でごめん。

この一連の出来事で思ったことは、自分がつらい状況にあっても、人はここまで相手を思うことができるのだなぁということ。
世間では悲しい出来事がたくさん起こっているけれど、きっと、人はもっと、やさしくなれる。祈るようにそう思う。


■ひとりで抱え込みすぎ、注意!

怒ったりイライラしたり、人間関係でうまくいかなかったり、それはたいていやさしさの欠如、思いやりの欠如ではないかと思うけれど、ひとりで抱え込むから余裕がなくなるし、イライラしてしまう。
「人に頼る」「人に甘える」ということが、みんな苦手なんだと最近よく感じる。

先日、子どもの不登校に悩む母親の相談を受けているカウンセラーの山根貴子さんにお話を聞いた。夫婦仲が悪かったり、家庭がギスギスしていたり、不登校の原因のほとんどが家庭にあるのだそう。
女性の社会進出は良いことだと思うけれど、仕事に家事に育児にと女性は無理をしすぎているのかもしれない。

山根さんは、「愛され妻講座」なるものに通ったこともあるそうで、そこでは、バリバリ働く女性たちが、真剣にダンナさんに甘える練習をするのだとか。
たとえば、毎朝早起きして作るダンナさんのお弁当。
ある朝、「あ、今日弁当いらないんだ。ごめん。言い忘れてたよ」と言われたら、どうしますか? カチンときますよね。「なんで早く言ってくれないの!!!」とブチキレるのが普通です。

しかし、愛され妻は違います。

「もぉ。作っちゃったじゃないの。ぷんぷん」

これ、かわいく、腰に手を当てて言うのがポイント。そしたら、ごめんごめん、ちゅちゅちゅと夫婦仲は円満になるという話。

こんなことを真剣に練習している女性がいるのかと思うと、そら恐ろしい気持ちになるのだけど、しかしそれよりも、そんな練習をしなければ人に甘えられない女性が多いのかという事実におののいてしまう。それは生きにくかろうと。

今苦しい思いをしている人は、「助けて」の一言から、未来を変えられるかもしれない。
「人に迷惑をかけて申し訳ない」と思うかもしれないけれど、子どもが育ったり、自分が元気になったりしたときに、今度は困っている人を助ければいい。そういうやさしさの循環で、社会は成り立っていると思う。

大丈夫。この世は、思っている以上に温かさで溢れているのだから。