政治家の山尾志桜里さんの記事がネットに掲載されて、1日が経った。
不倫疑惑を報じられた弁護士の倉持氏を事務所の顧問に任命することを受けて、自身が書いたものとされる。
剥き出しの好奇心「屈しない」
http://www.kanaloco.jp/article/289405
この記事を読んでから、ずっと考えている。
強い覚悟と、むき出しの闘志。しかし、山尾氏はいったい何と闘おうとしているのか、釈然としない。
社会の好奇心か、それともメディアか、あるいは男女差別なのかもしれない。
記事の途中から、これまでに直面した女性政治家ならではの不条理についての話になる。
これは、今回の不倫報道と何か関係あるだろうか。男性であれ女性であれ、不倫が発覚すればバッシングされる時代だ。不倫報道をジェンダー論にすり替えているのではないか。被害者のような訴えが、本質を見えにくくしているように感じた。
人は清濁併せ持つものだと思うし、聖人君子などこの世にいないだろう。
法に触れないのであれば、何をしようと本人の勝手だともいえる。
しかし、政治という土俵で戦おうとするならば、それに見合った私生活を送らなければ、その代償は自分に返ってくる。
今回の報道が民進党の幹事長内定のタイミングであったことを考えても、登用を良く思わない誰かに足を引っ張られた可能性は大きい。
それはもしかしたら、山尾氏が女性だからかもしれない。
だとしたらなおさら、身辺はきれいにしておくべきではなかったか。
「迂闊だったよね、山尾さん」としか言いようがない。
私生活が取り沙汰されれば、本来の「政治家として評価してもらう」ことが叶わなくなる。
「今回報道された私の不注意な行動については、選挙に勝とうが負けようが、私がどこまでも背負っていく。それだけの話だ」と記事にある。
確かに、不倫は当事者の問題だろう。ただしそれは、山尾氏が一般人ならば、の話だ。
そうじゃないだろう。
山尾氏は、国民から選ばれた公人だ。
「公私のラインを引く」スタイルを社会に問う前に、国民の理解を得る努力をするべきではないだろうか。
(以上、山尾さんの記事の筆致を真似して書いてみました)