「ダブル成人式」の同窓会に行ってきた。 | HappyWomanのすすめ。

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ひつじ・さる。
1979・80年生まれの私の学年は、次の3月までにみんな40歳になる。

ダブル成人式だね、なんて話が出たのは昨年の夏頃だったか。生徒会のメンバーが中心となり、年末に中学校の同窓会が開かれることになった。(幹事のみんな、本当にありがとう!)

私が生まれ育ったのは、福岡県北九州市。

家を出て坂を下れば田んぼが広がるような田舎で、梅雨時には大きなカエルが重低音を響かせていた。

そんな田舎でも、北九州市といえば福岡県内2番目に大きな都市だ。私が子供の頃は駅前には百貨店もたくさんあり、スペースワールドという宇宙を題材にしたテーマパークや門司港レトロなんていう観光地も元気があった。あ、小倉競馬場もある。
企業でいうと、新日鉄や安川電機といった工業が中心だが、TOTOやゼンリンなどの本社もある。

しかし、今は人口100万人を切り、百貨店は軒並み倒産、人々は郊外型ショッピングモールに集まり、駅前の商店街はシャッター化という、日本の多くの地方都市と同じ道を歩んでいる。
近頃東京で聞く北九州の話といえば、派手な成人式と、街なかでドンパチやっているニュース。つまり、なんだか危ない街、というイメージなのだった。

 

■いざ、同窓会へ!


12月28日に開催が決まり、私は例年より帰省の時期を早めて、当日午前の飛行機を予約した。私にとっては、人生初の同窓会だ。ドキドキ。
しかし、年末の飛行機は1時間以上遅れ、遅刻して会場に到着する羽目に……。
会場は、地元の結婚式場。



 

おそるおそる入口の扉をあけると、卒業以来、定期的に会っている友達の顔が見えて、ホッとする。

 

立食パーティー!オシャレやん!


すっかり忘れていたけれど、私の学年は40人のクラスが6組あったらしく、総勢240人。
当日は、そのうち50人くらいが集まった。

会場を見渡すと、顔と名前が一致する人がちらほら、顔は何となくわかるけど名前が出てこない人が多数、顔を見てもまったく分からない人が数名。

入ってすぐに何人かが、「まりえちゃん、久しぶり!」と声をかけてくれた。

「私、覚えとる?」

チラッと首にかかっている名札を確認。

「あーー!わかるよ、久しぶりやね!」
しばらくこのやりとりが繰り返される。

化粧もせず、お酒も飲まなかった時代の友達と、一緒にビールを飲んでいるのがなんだか不思議だった。
男子は髪の毛が薄くなったり、太ったり、ネガティブな変化も見られたが、女子は総じて美しく華やか。25年ぶりに会うのだから、バリっとこの日に照準を合わせてきた人もいるだろう。素朴系女子もいれば魔性系女子もいて、観察が楽しくて仕方ない。

ほぼ100%、私が同級生たちに言われたのは、
「まりえちゃん、変わってない!」だった。



 

変わって……ない?
ちょっと複雑(笑)。

中学時代には思春期ならではのややこしい人間関係や、いじめのようなものも多少はあった気がするし、クラスで浮いてるような人もいたけど、25年ぶりに会えば、そんなのまったく関係なくフラットに話せて、時間って素晴らしいなと思った。
一方で、当時のいわゆるスクールカースト的なものは25年経っても厳然としてあり、やはり中心にいる女子はテニス部なのである。

会の後半には、みんなで校歌斉唱。伴奏と歌詞があれば意外と歌えるもので、25年ぶりに歌う校歌に、胸が熱くなった。

 



わが学び舎に誇りあり!

 

■それぞれの40

2次会は近くの居酒屋へ。
一次会より少し参加者は減ったものの、二次会から参加のメンバーもいて、とにかくごちゃっとしている。
二次会になると、酒量も増えて場があたたまり、より突っ込んだ会話が多くなる。気になるのはやはり、それぞれのいまの生活だ。
聞くと参加者の8割くらいが北九州市か、隣の福岡市在住。結婚してみんないい感じにパパマママになっていた。
一方で、東京や大阪など福岡から出たメンバーの中には私を含め未婚者も多い。


やはり地元に残ると結婚・出産の選択肢しかなく、生き方も画一的になってしまうのねと思ったが、じっくり話を聞くと、地方での生き方の中にもそれぞれの人生が垣間見える。
離婚した人もいれば、妻の家業を継いで社長になった人、再婚した人、ボクサーになった人、地元企業のトップ営業マンなど。

まりえちゃんは今何をしているのかと聞かれ、東京でフリーのライターだよ、と答えるが、たいてい不思議そうな様子をされるので、「フリーターみたいなもんだよ」と補足する。
それでも、何人かが「オゴシさんの記事読んだよ!」と声をかけてくれて、25年も会っていないのに、ネットの記事に私の名前を見つけてくれる人が地元にいることがなんだか嬉しく、これからも善き文章を書いていかねば、と身が引き締まる。

仕事の話のあと、「結婚は?」と聞かれ、「してないよ」と答えると、一瞬微妙な空気が流れ、なんだか申し訳ない気持ちになる。
まりえちゃんには仕事があるもんね、と励ましてくれる人には「ありがとう」と返してみる。

「なんでなん?誰が放っとん?(意訳・こんなステキなあなたを誰が放っているの?)」と言ってくれた人もいたけど、それは私が聞きたい!全宇宙の男たちだよ!と思いながら酒が進む。

男子と話していると結婚生活にもさまざまな悩みがあるようで、嫁と冷戦状態という人もいれば、新婚といいながら、美人の隣から離れない人も(笑)。
私が恋愛や結婚の記事を書いてるという話から、嫁と数年セックスレスなんだという相談を受け、真剣に話を聞いてみたり。25年ぶりに会って何を話してるんだと思いながらも、ディープになってゆく会話は東京も福岡も変わらないのである。

肌のハリを失い、目尻にはシワが生まれ、セーラー服を着ていた時代から随分年をとったものだと感慨深くはなるけれど、年をとることに対してはネガティブな感情よりもむしろ、ここまでよく生きた、という思いのほうか大きい。
魔法をかけてまた中学生に戻してあげると言われてももう勘弁だし、もう一回30代を生きてもいいと言われても、厄年だらけの30代なんて一度きりで十分だ。
 

同じ年に母親のお腹から出てきて、よーいどんで始まったかのように見える私たちの人生は、決して平等ではない。育った家庭環境や持って生まれた体、重ねてきた数々の選択によって、私たちの40年間はできている。
同級生たちのさまざまな人生に触れるにつけ、私はこの心と体で自分の人生を生きるしかないのよね、これからも仲良くしてねと、半ば強制的に、これまで以上に自分自身とお近づきになれたような気がしたのだった。

 

しかし、期待していた再会ロマンス(笑)はなかったな~。残念。