『沈没家族』というドキュメンタリー映画を見てきました。
監督は、加納土(カノウツチ)さん、24歳です。
1歳から9歳まで自分が育った、一風変わった「家族」を記録した映画でした。
時は1995年。
ひとりの女性が、東京・東中野で「保育人募集」のビラを電信柱に貼りました。
加納穂子(カノウホコ)さん、当時23歳。ツチ監督の母親です。
交際していた男性との間に、若くして思いがけず子供を授かったホコさんですが、相手と折り合いが悪くなりシングルマザーに。
一人では子育てできないな、と考えたホコさんは、近所から保育の協力者を募るという「普通ではない」行動に出たのです。ホコさんにとって、これは生き延びるための手段でした。
小さなアパートに、住み込みと通いを含めて20人ほどの保育者が集まり、「沈没ハウス」ができました。
この変な名前は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したことに腹を立てて、ホコさんが名付けたのだとか。
沈没ハウスにはホコさんと同じシングルマザーの親子も暮らしていたし、未婚の若者たちもいた。常に10人くらいが交代でツチくんの保育園のお迎えに行き、ご飯を食べさせ、授業参観や運動会にはみんなで大挙して押し寄せる。
「なんか、うちの家族は他と違うようだ」と感じたのは、ツチくんが9歳の頃だったと言います。
沈没ハウスに集まった大人たちの目的も、思いもさまざまでした。支援・被支援の関係ではなく、ただ一緒に生活し、そこにいた子供をみんながかわいがった。
こうしてみんなの優しさによって育てられたツチ監督が、今大人になり、沈没家族とは何だったのか、関係者に会いながら、丁寧にひも解いていきます。
ツチ監督は、自分の父親、つまりホコさんの元恋人にも会い、話を聞いていました。
沈没ハウスって素晴らしい試みだったよね、と内輪だけの評価だけで終わるのではなく、そこには「排除された本当の父親」がいた、という事実を映し出したことで、すごく深みが生まれた感じがありました。
父である「ヤマくん(とツチ監督は呼んでいます)」は、こんなふうに言っていました。
「あんたらは沈没の中で出たり入ったり自由にできるけど俺は出たり入ったりできないんだよ。ずっと土とはかんけいがあるんだよ。
保育園の土を見に行く時、必ず誰かいるんだよ、自分より幅を利かせた感じで。フラットならいいんだけど、俺がお客さんみたいな感じになってるのよ」
ツチくんの血縁者でありながら、家族になりたくてもなれなかったヤマくんの複雑な心境が伝わります。
一方で、沈没ハウスで生活した大人たちは、口をそろえて「子育てを経験した」という実感があると言います。沈没家族はツチくんが9歳のときに解散してしまったけれど、今でもツチくんにもし何かあったらすぐに飛んでくるような人たちです。
――家族って何だろう?
この映画はこの問いに尽きるのですが、答えはないし、あるいはその人の数だけ答えはあるから、誰かと語り合いたくなる。
「家族」って、いわゆる絵に描いたような普通の家で育っても、何かしら問題を抱えた家で育っても、誰にとっても少し“苦しさ”を伴うものではないか、と思ったりします。
だから、今よりもっと「当たり前の家族像」みたいなものが強固だったはずの20年以上前に、ホコさんのような女性がこんな面白い家族を作ったこと、そしてそんな特殊と言える環境で育ったツチくんが大人になり、自分自身の人生を肯定できていることが、すごく希望だなと感じました。
自由でいい。
そう思えると、ふっと肩の力が抜け、気持ちがラクになるような気がするのです。