神戸市の小学校低学年の子供たちが書く「あのね帳」。

 
「先生、あのね・・・」で始まるそのあのね帳には、先生に手紙を書くように、子供たちの言葉が綴られています。

息子も小1の時に書いていました。週末になると必ず「あのね帳を書く」宿題が出てたなあ。

昨日テレビの震災関連の特集で、小2で亡くなった子供のあのね帳が読み上げられました。1月16日に書いた「先生、あのね、・・・きょうはなんにちぶんもごはんをつくりました。・・・・たのしかったです・・・」。涙がこぼれてきました。大きなますめいっぱいに、一文字一文字が平仮名で鉛筆で書かれていました。
 
 
息子が小1の時に、防災の教科書を読んでというので、隣に座り本を広げ、神戸の地震のことを読んでいると、涙が止まらなくなりました。涙を流しながら息子に読んでやりました。息子はそれ以来、私に地震のことを話すことも聞くこともしなくなりました。ごめんね。

この記事を書いている今も涙がにじんできます。
悲しい記事になってごめんなさい。

あの頃「明日目が覚めたら元に戻ってるんじゃないか」と、一日中毎日思っていました。戻るはずがないと分かっていても、明日になったら戻ってるんじゃないかと、なぜか半分信じてしまう自分がいました。信じたかったのでしょうね。

6か月くらい食べ物が「味のない」ものになりました。何を食べても味を感じない。暖かくなるころ、腰まであった長い髪を肩の上まで切りました。抜けるばっかりするので。何か吹っ切れるかなと思って。少し吹っ切れました。梅田の駅ビルの上階で食事をしながら、近くのビルの上のクレーンが倒れていて、他は普通に流れている時間。神戸で起きていることは何なんだろうかと混とんとしていました。

25年。
「震災から〇年」と毎年のように新聞もテレビも言っているけれど、年月を数えると振り返ってしまうようで、私は「震災から〇年」という表現がにがてです。

 

でもこうやって振り返ることで、来た道とこれから行く道の、今は通過点にいることを確認できます。
 

今日の夕方、1.17の集いに行ってきました。東遊園地の周辺道路は取材クルーの車で路肩が埋め尽くされていました。

ろうそくに灯りをともし、手を合わせ、黙とうをしました。

ろうそくの灯りを見つめながら涙が少し出ました。

 

 

1月17日にここに来たのは、初めてです。

一歩ずつ、前を向いて上を向いて、そして笑って歩こう。

そう決意しました。

 

 

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