カルマ(業)


良いことをしたから良いことが返ってくる
悪いことをしたから悪いことが返ってくる
だから、良いことをしよう!

というイメージがあると思いますが

カルマという言葉は
kri(クリ)「する」という
サンスクリット語からきており
意味は、働きや行為
身体だけでなく
心の働き(思うこと、考えること)も含めて
私たちの行う一切合切のことが
カルマとなります


さまざまな行為は感情を伴い
印象となり
魂の表面にシールのように貼られていき
大きなものは記憶として
私たちの性格を形成していきます

たくさんの経験を通して
カルマを溜め込み
性格(環境への対応の仕方)が形成されていくのです

我が家の娘ふたり
同じ環境で育てているのに
同じことがおきても反応がまったく違います

性格
即ちそれぞれの貯めてきた
カルマシールが違うのでしょうね

(左がビビリ慎重カルマの長女、当時4歳
真ん中がイケイケカルマの次女、当時2歳)


そして、私たちは
溜め込んでしまった
カルマシールを剥がすために必要な
さまざまな出来事を引き寄せ
体験していきます

例えば、純朴な魂さんが
純朴すぎるゆえに
騙されて苦しい思いをしたとします

純朴であると苦しむという印象
カルマシールが貼られて
疑い深く慎重であるという性格が作られます

今度は、慎重であるがゆえに
自分がやりたいことができない人生を歩み
晩年後悔するかもしれません

慎重であると悔しい思いをするという印象を残し
今度は勇気を欲します

次の人生の岐路で試されたとき
勇気をもって行動すると
慎重シールは燃えてなくなりますが
出すぎた杭は叩かれ
酷い目にあうかもしれません

せっかくカルマが消えたのに
勇気を出すことはこわいことという
別のシールが貼られてしまいます

つまり、カルマとは
行為に付随した感情の残す印象であり
良い悪いという評価はなく
全ての人間に蓄えられているものです


カルマシールは
魂本来の輝きを覆い隠すため
無意識的にそのシールを剥がすための出来事を望みます

人生におこる様々なことは
カルマが引き寄せているのです

このカルマの連鎖がすべて消えて
永遠不変の存在(魂、プルシャ)に還ることが
ヨガ哲学の目標、解脱です

カルマや物質世界への執着があるうちは
輪廻転生を繰り返し
さまざまな体験をして
少しずつ心のコントロールを学んでいく

来世があると聞いて安心してるうちは
まだまだヒヨコ(私もです!)。

でも、そういう輪廻や因果の存在を信じることから
おきる出来事に対して抱く印象は変化してきます

前例を引き合いに出せば
慎重さも、勇気も、時に応じて必要なこと
今回の経験では
出る杭は叩かれて苦しい思いをしたが
慎重すぎて苦しかったこともあるのだから

両面からみることができれば
極端な振れ幅はなくなっていき
波は小さくなっていく

無心や無私
心象が凪いだ状態が
どんな出来事に対しても
カルマを貼られない境地です

カルマヨガとは
働きや行為全てに
利己的な思いを乗せずに
何か(賞賛とか金銭とか)を得ようと思わずに
ひたむきに生きることです

ラーマクリシュナの弟子にして
20世紀、世界にヨガを広めた第一人者といえる
ヴィヴェーカーナンダの
わかりやすく現代人に響く言葉を引用します


理想的な人は
最も深い沈黙と孤独のさなかに
最も強烈な活動を見いだし
最も強烈な活動のさなかに
砂漠の沈黙と孤独を見いだす人です

その人は、抑制の秘訣を学んだのです
彼は彼自身を支配したのです
彼は、往来頻繁な大都会の街中を歩きながら
しかもその心はまるで
もの音ひとつとどかぬ
洞窟の中にいるかのように静かです

そして彼は、常時最も活動的に働いています
それが、カルマ・ヨーガの理想です





理屈はわかっていても
なかなかそうはうまくいかないのが人間

人間だもの
年齢を重ねるほどに響く言葉ですねw

それでも
このカルマのメカニズムを知っていることは
天動説から地動説に変化するくらいの
大きな知識だと思います






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