私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)
盛時の興国寺城(こうこくじじょう)の近くにある伊豆国の堀越公方・足利政知(あしかがまさとも)様は三男・潤童子(じゅんどうし)様に後継ぎにする為、長男の茶々丸(ちゃちゃまる)様を廃嫡にし、さらには土牢に軟禁したのです。
土牢って土を掘ってつくった牢屋だよ。
茶々丸「なぜわしが閉じ込められねばならん!」
政知「お前は普段から素行悪く、わしの言うことも聞かん!殺さぬだけありがたいと思え!」
茶々丸「父上!出してくれ!」
茶々丸様が軟禁されたのは潤童子様の実母の円満院(えんまんいん)様が政知様に讒言をしたためとも言われています。
ところが、1491年政知様は病死してしまいます。
政知様の死から3ヶ月後…
茶々丸様は牢番を殺し脱獄したのです。
茶々丸「ようやく牢から出れたぞ。おのれ〜円満院め!殺してやる!」
牢から出た茶々丸様は円満院と潤童子を殺害したのでした。
茶々丸「アッハッハッハ!これでわしが堀越公方だ!伊豆国はわしのものだ!」
茶々丸様は強引に堀越公方の座に就いたのです。
この事件を盛時は忍びの小太郎(こたろう)から聞きました。
盛時「やはり事が起きたか。小太郎、堀越公方の家臣と伊豆国の国人の動向を探るのだ。」
小太郎「盛時様、伊豆国を…。」
盛時「民の様子も調べておくのだぞ。伊豆をどうするかは、それからだ!」
盛時の胸の内ではどうするかは決まっていたのでしょう。
その後の小太郎の調べによると茶々丸様は悪政を敷き、国人や民は苦しんでいたのです。
さらに茶々丸様は回りの讒言を信じ一部の重臣らを斬り旧くから堀越公方に仕える家臣から信頼を失っていきました。
盛時が伊豆国の騒ぎに注目していた頃、京では驚くべき政変が起きたのです。
1493年、管領・細川政元(ほそかわまさもと)殿が将軍・足利義材(あしかがよしき)様を追放し、茶々丸様の異母弟で京にいた清晃(せいこう)様を次の将軍に担いだのでした。
将軍を追放する暴挙は前代未聞でこの政変を明応の政変っていうんだよ。戦国時代はここから始まったって言われてるね。
細川政元じゃ。将軍を傀儡としたのはわしじゃ!
盛時はこの政変を聞き、決意したのです。
盛時「堀越公方、茶々丸を討伐するぞ!」…
つづく…
次回をお楽しみに〜