●松本サリン事件
オウムは長野県松本市に、松本支部と食品工場を建設するための土地を取得しようとしていた。
しかし、住民の反対運動や「株式会社オウム」名義で目的を隠して賃貸契約を結んだという理由で、民事裁判により賃貸契約を取り消されてしまった。
麻原は村井に相談を持ちかけた。村井は池田大作暗殺未遂事件で使ったサリンの加熱式噴霧装置の性能に注目していた。そこで、サリンを町に噴霧して威力を確かめることにした。
6月20日頃、麻原は第6サティアン1階に村井秀夫、新実智光、遠藤誠一、中川智正を集め、松本の裁判所にサリンを撒いて効果の実験をしろと指示した。
麻原「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて、サリンが実際に効くかどうかやってみろ」
村井「昼間、裁判所にまくことになる。サリン噴霧車ができ次第すぐにやる。」
新実は、池田暗殺未遂事件の際、加熱装置のガスバーナーに問題があったことを挙げ、噴霧方法や事故防止の対策が十分か村井に尋ねた。
村井「ガスバーナーではなく電気ヒーターで加熱するので大丈夫。池田事件のときの防毒酸素マスクが有効であったのでそれと同じものを着用する」
警備員に怪しまれたことを憂慮した新實は、目撃者の対策が十分か質問した。
新実「白昼に裁判所を狙って大丈夫ですか。裁判所を狙ったら警察が動きませんか?」
村井「それなら先に警察を狙えばいいじゃないか」
麻原は「警察等の排除はミラレパに任せる。武道にたけたウパーリ、シーハ、ガフヴァの3人を使え」と指示し,また,サリン噴霧車の運転を端本にさせるように言った。
新実「マンジュシュリー正大師のワークを邪魔するものはボコボコにして構わない」
警備の担当を任された新實の士気は高まった。
村井は実行メンバーに林郁夫も参加させることを提案したが、麻原は却下した。
村井は、2tアルミトラックを改造したサリン噴霧車の製造を、中川は防毒マスクの製造・予防薬の準備及びサリン噴霧車へのサリン注入を担当した。
26日、村井は中川に「明日実行する」と伝え、「クシティガルバ棟でサリンを噴霧車に注入してくれ」と指示。27日朝にはサリン噴霧車が完成した。
試しに操作しながら村井は呟いた。「計算通り」
6月27日、村井秀夫は、遠藤誠一、中川智正、新実智光の3大臣と、中村昇、冨田隆、端本悟ら自治省メンバーを集め第7サティアン前に集合した。しかし、この時村井は寝坊をしたため、実行隊が上九一色村を出発する予定が大幅に遅れてしまい、時刻は夕方になってしまった。
新実「じゃ、これから松本にガス撒きに行きまーす!」
作業服姿の7人は、噴霧車とワゴン車に分乗して、長野県松本市に向かった。
村井はサリン噴霧車に乗り、運転は端本に任せた。他はワゴン車に乗車した。
車は国道139号線から20号線に入って、塩尻峠のドライブインで休憩。
村井が休んでいると、新実が松本市内の地図を見せながら提案してきた。
「もう日が暮れかかって、裁判官の勤務中にサリンを撒くことが出来ない。400メートル離れた裁判宿舎へ、目標を変更してはどうですか?」
村井「じゃあ、そうしよう」
村井は時間にルーズだった。自分が原因で出発がおくれたこともあり、あっさり目標の変更を了承した。解毒のため全員がメスチノン錠剤を服用した。長野地裁松本支部についたときには裁判官は既に退廷していた。
6月27日午後10時頃。蒸し暑い夜だった。気温は20度を超え、湿度90%もあった。そのため、住民は暑さ凌ぎに窓を開けていた。
2台の車が松本市内の目標から南西190mにあるスーパーに停車した。一同は車を下りると、用意していたナンバープレートを準備し、偽装した。乗車していた村井は黄色い作業服に着替えた。その姿はまるで、宇宙人のようであった。
中川が防毒マスクと解毒剤「パム」の支度をした。
村井は、タバコに火を点けて風向きをみながら付近を歩いて確認した。サリンの噴霧は裁判官宿舎の西方37メートルにある鶴見西駐車場(松本市1丁目312番地)に決めた。
午後10時30分頃、2台の車を駐車場へ入れると、村井は噴霧車の両側についている扉を開けると、助手席に戻って防毒マスクをかぶり、リモコンで加熱式噴霧器をスタートさせた。信者達も防毒マスクをかぶった。
端本は隣に座っている村井に目を向けた。
村井はまいている最中も一言も言わず、わき目もふらずにスイッチを捜査していた。
10分後。気化したサリンが噴霧口から白煙上になって噴出し、まわりに立ちこめて、駐車場の左側にある池の畔に生えた木立の上などを通り、マンション形式の裁判官宿舎の周辺に流れていった。およそ10分ほど噴霧を続けて、12kgのサリン混合液は3個の貯蔵タンクから気化してしまった。
村井は運転席の端本に噴霧車を発進させ、ワゴン車もそれに続いて発進した。
河野義行氏宅。夕食を終えた家族は、自宅の居間でくつろいでいた。午後11時頃、妻の澄子さんが体の不調を訴えた。河野さんは横になるよう勧めていると、犬小屋の方から不審な物音がする。見てみると、愛犬2匹が体をけいれんさせ、口から泡をふいてたおれていた。
居間へ戻ると、今度は澄子さんがけいれんしている。驚いた河野さんは慌てて119番通報した。しばらくして河野氏と長女もサリン中毒を起こし、意識を失った。
松本サリン事件。
7人が亡くなり、約600人が重軽傷を負った。
テレビでは河野家の池で飼われていたザリガニや魚の死骸が頻繁に放送された。
村井「松本で使ったサリンは濃過ぎたな」
村井は呟いた。
警察は河野氏の自宅を捜索し、20品の薬品を押収。中には劇物の青酸カリがあったが、それらは全て趣味の焼き物や写真の現像に使う道具だった。しかし捜査員は河野義行氏に対する疑惑を深めた。マスコミも河野氏を犯人扱いする報道を連日行った。
「犯人はお前だ!正直に言え!」刑事の強情な態度に、河野氏は事実を話し続けた。澄子さんは一命を取り留めたものの、意思疎通が困難になり、2008年に亡くなっている。
●村井秀夫と覚醒剤
村井「(LSDと)同じような体験ができるものはほかにできないか」
94年4月、村井は洗脳用の薬物を開発させるため土谷、森脇に覚醒剤製造を指示した。
土谷は製造中に警察の捜査が入っても中間生成物から覚醒剤であることが分からないような特殊な生成法を公安、7月までにサンプルを完成させた。
遠藤が麻原にこれを報告すると
麻原「できているのなら試してみるから持って来い」と、答えた。
麻原は覚醒剤を「ブッタ」と名付け、使用する時の儀式を「ルドラチャクリンのイニシエーション」と呼んだ。遠藤はこれを受け覚醒剤の保管を担当、土谷に大量生産を指示した。
土谷の特殊な生成方法はうまくいかないことが多く、麻原はサンプル完成の過程から遠藤に土谷の様子を監視させた。
12月、遠藤から覚醒剤の量が足りないことを聞いた麻原は急に怒り出した。そして土谷を自分の部屋に呼び出した。
麻原「おまえはプライドが高く、闘争心ばかり出ている!だから仕事ができないんだ!」
麻原に叱責された土谷は、年末のイニシエーションに使用する覚醒剤を用意するため、急遽10gを製造した。以降、土谷は麻原の逆鱗に触れないよう覚醒剤を貯めておこうと考え、配下の信者たちを集めた。
土谷「余裕のあるうちに作っておきましょう」
95年2月までに覚醒剤227gが密造された。
●雄叫び祭
その夏、上九一色村でオウム文化祭「雄叫び祭」が開かれた。
94年の「雄叫び祭」の内容は酷いものだった。吐くのを我慢する大食い競争や、信者たちは麻原が作ったとされる歌を、2~3時間立ったまま歌い続ける競争、逆立ちのポーズで3時間我慢する競争、立った姿勢からひざまずき、額を畳になすり付ける立位礼拝の修行を3時間続けさせらされた。
それも夏日の、冷房の効かない閉め切った部屋で、1000人のサマナが競い合わされたのである。
「法皇内庁」長官・中川智正、「厚生省」大臣・遠藤誠一、「科学班」キャップ・土谷正実。松本サリン事件の中心人物らが舞台に上がると、劇がはじまった。
村井秀夫が率いる「真理軍」の兵士らが本物のバーナーを使って、舞台で鉄材の溶接を始めた。周囲から数十人の「敵」がじわじわと攻め込んで来る。
村井が叫ぶ。
村井「早く作れ。時間がないぞ」
出来上がったのは巨大なパチンコだった。
「真理軍」がゴムを引っ張ってボールを飛ばす。それが当たると、「敵」はばたばた倒れて全滅した。
村井「高い、高い、高い世界に、生まれ変われ…」
村井が、浪歌のような歌をうたった。
劇は、「強力な兵器」を作り上げたことを誇示するために、科学技術省が考えた出し物だった。
村井と遠藤と土谷は、中川の率いる「法皇内庁」の劇にも出演した。
「戦場」を模した舞台を、村井ら4人は狂ったように走り回った。
敵の攻撃をかわすように4人は伏せる。しばらくして、立ち上がった村井は、また甲高い声で歌った。
村井「耐えに耐えたこの時代、弟子の体はぼろぼろだ、毒ガス攻撃堪え兼ねて、真理の宝刀抜き放つ」
「第七サティアン」で危険な仕事をしている信徒だけに教えられた、「進軍」という歌だ。
劇、歌、踊り。20余の部署が出し物を競った「雄叫び祭」は、中川の法皇内庁が優勝した。
表彰式で審査をした麻原が満足そうに言った。
麻原「戦争は避けられない。近く、サバイバルセットを作って、信徒会員に支給する」
その後村井は「正悟師」から尊師に次ぐ地位の「正大師」に昇進する。引っ張られるように、科技省の多くが、一般信徒から「師」に格上げされた。
「彼らは危険なワークをして功徳を積んだ」。こんな噂が富士山麓の施設に広まった。
●村井秀夫小便事件
田村 智 著「麻原おっさん地獄」に、こんな逸話が記載されている。
ある時、村井の部下が怪我をした時のこと。部下を心配した村井は、麻原に伺いをたてると、教祖はこう答えた。
麻原「その程度の傷なら、何も私がやることはない。お前の小便でもかければ、そんなものは治ってしまう」
麻原の言うことを何事でも素直に従う村井は、麻原の命じるがままに、その部下のサマナに小便を振りかけた。
怪我をしたサマナも、村井の小便がエネルギーを発するものだと信じていたため、喜んで傷口に村井の小便を浴びせた。
この逸話は信憑性が高く、「エウアンゲリヲン・テス・パシレイアス」で村井本人が語る音声も残っている。