富田俊男リンチ殺害事件・公証人役場事務長逮捕監禁致死事件 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)



麻原「教団が武装しようとしている事を外部に洩らした者は殺す。もし家族のもとに逃げ帰ったら、家族もろともに殺す。もし警察に逃げ込んだ者がいたら、警察署を破壊してでもその者を殺す」

●冨田俊男リンチ殺害事件

1994年7月8日。
冨田悛男(27)がタンクローリーで水を運搬する仕事をしていたところ、女性信者が温熱治療中にやけどを負い意識を失う事故が起きた。土谷に浴室内の水を分析したところ、イペリット関連物質が検出された。

村井はこれを「やけどには水にイペリット(猛毒の化学剤)が混入されていたのが原因」と断定。同月9日,教団信者に井戸水や水道水の使用を禁じ、教団幹部にそのスパイ捜しを指示した。当時タンクローリーで第6サティアンに教団の生活用の水を運搬していた教団車両省所属の冨田俊男がスパイに挙げられた。

麻原は林郁夫氏に命じて、ポリグラフ(嘘発見器)とイソミタールインタビュー(自白剤の投与)を使い、富田から陽性反応を確認した。

新實と杉本は冨田を第2サティアン地下室にに連れてきた後、「尊師の警備をしてもらうかもしれない」と言い、冨田にヒンズースクワットを300回させた。

「体力があるのは分かった。これから精神面をみる。」

パイプいすに縛り付け、両手を手錠つないでベルトで身動きできなくした上で、尋問をはじめた。

麻原は杉本の信仰心を確かめるため尋問を杉本に担当させるように指示した。

竹刀やマチ針、ガスバーナーで熱した鉄の火かき棒で拷問し、自白を迫った。冨田は潔白を主張した。

冨田「ミラレパ正悟師は人の心が読めるはずですから,私の心を読んでください。そしたら私が毒なんか入れていないことを理解してもらえると思います」

哀願するように何度も言ったが,やがて力尽き意識を失った。

麻原、新實、村井は冨田の処分を検討した。麻原は杉本に冨田の殺害を指示。



麻原「ガンポパがマイクロ照射機でポアしろ」

第2サティアンに戻ってきた新實は、「自白をしようがしまいが、どちらにしろ、ポアだ」と答え、本にロープを渡しながら「尊師がガンポパにやらせろと言っていました」と答えた。

生きたまま焼却するのは惨いと考え、絞殺することにした。
そして、新實が冨田の首のロープを巻き、殺害した。

遺体はマイクロ波焼却装置で焼却され、骨片は富士川の河口に捨てられた。


●江川紹子ホスゲン襲撃事件

ジャーナリストの江川紹子は、坂本堤弁護士一家殺害事件へのオウム真理教の関与を追及していた。8月、村井は青酸、ホスゲンなどの製造を部下に指示。ホスゲンはすぐに準備された。

麻原は新実智光、遠藤誠一、中川智正、端本悟に命じ、江川紹子をホスゲンで殺害するよう命令した。

9月20日未明、江川宅の郵便受けからホースを入れ、ホスゲンを噴霧した。しかし、江川が音に気づき、部屋の電灯がついた。少量しか噴霧できなかった。江川紹子はホスゲンを少量吸い込んみ、気管支に全治2週間の傷を負った。命に別状はなかった。

11月、第七サティアンの工場設備は液漏れやガス漏れなどトラブルが続出し、いまだ完成していなかった。そこへ警察の強制捜査の情報が入った。

村井は「強制捜査に入るかもしれない」と、部下の藤永考三に松本サリン事件の証拠隠滅を指示した。清流精舎にあった噴霧車の機器類は外され、車両も解体された。霧吹装置に使われたバッテリーとサリン用の容器は第6サティアンに保管された。

サリンプラントは肥料プラントに偽装された。しかし強制捜査がないことが判明し、再びサリン量産準備が行われた。

村井秀夫「11月末までに最終生成物を完成させなければならない」
教祖はサリンプラントの完成を待ち侘びていた。

1995年元旦。
富士山が雪化粧をした。年が変わると、村井の表情からは、夏のような輝きが失われていた。

教団施設「第7サティアン」に、宇宙服のような着物を着込んで、掃除機を持った村井の姿があった。もう一人の信徒とともに、プラント内のパイプ内部の掃除をしていた。配管の中に何かが残っていたのか、2人は黙々と吸い取った。
 前後して、配管類の撤去や設備を発泡スチロール製の巨大なシバ神の像でカモフラージュする作業が始まった。

読売新聞がオウム施設周辺にサリンの残留物が検出したことを大きく報道したためだ。

麻原「サリン、VX、中間生成物、化学兵器、すべて廃棄しろ」

村井が着込んだ宇宙服は、頭の部分が透明なプラスチックでできていた。
奇怪な姿を、ある信徒が見つめていると、ふとした拍子に視線があった。村井の目に焦点が合わず、生気がなかった。その日のうちに巨大な仏像は完成した。



「ばく大な功徳を積むことになる」と村井が胸を張ったサリン70tの大量生産計画は、外部に発覚しかけ頓挫した。しかし同時期、清流精舎ではAK-47の試作銃が完成した。

1995年(平成7年)1月17日、阪神淡路大震災発生。世間の関心は地震に向いていた。


●公証人役場事務長逮捕監禁致死事件



93年。仮谷さんの妹は、夫が亡くなった心の隙間を埋めようとオウム真理教に入信し、これまでに6000万円を教団に布施していたが、教団はさらに妹の所有物となっている「目黒公証人役場」の土地・建物(当時の時価で2億7千万円)も布施するように強要した。

95年2月。キリストイニシエーションをさせて無理やり言質を取るが、妹はオウムから逃げ出し、仮谷さんに匿まわれることになった。

2月28日午後0時。麻原は、飯田エリ子から資産家である出家予定者が行方不明となった、と報告を受けた。

「お前はどうしようもない奴だ!」

麻原は飯田をさんざん罵倒した後、尊師瞑想室へ移り、井上と中村に資産家の行方を秘匿している事務長を拉致する計画を企てた。

麻原「拉致にはマンジュシュリーの開発した輪宝を使え」



東京都品川区大崎の路上。井上嘉浩と中村昇、平田信、松本剛、林郁夫、林武、中川智正ら8人が、仮谷清志さんが現れるのを待ち続けた。
仮谷さんが現れると、一同はレンタカーのワゴン車へ引きずり込み、チオペンタールナトリウムを注射して失神させて上九一色村へ連れ去った。



第2サティアンの瞑想室へ連れてこられた仮谷さんは、チオペンタールナトリウムの点滴をさせられ、自白を強要させられた。

村井は、監視役をしていた中川に声をかけた。

村井「ニューナルコにかけて記憶を消し、帰宅させてはどうか?」

中川「このまま帰すのは危険です」

村井「そうか……。ポアするしか、ないのかな」

村井は言い残してどこかへ行ってしまった。

3月1日。事務長が呼吸をしなくなった。遺体は3日かけて焼却し、遺骨をバケツに入れて木片で粉々にした。さらに硝酸を注いで溶解させ、第2サティアン近くの本栖湖へ運ぶと、”液体”を流して捨てた。



ある夜、村井は親しい信徒の毛布を引っ張った。その信徒が目を覚ますと、村井は手招きした。

村井「誰にも聞かれたくない話がある。いよいよ戦争が起こる。日米決戦や。戦車がどうしても必要になった」

信徒によれば、村井の表情は真顔で熱く語っていたという。

それから数日後、東京の中心地で大量殺戮が起こるのを信者は知る由もなかった。