キリスト教の日本渡来は1549年のフランシスコ・デ・サビエルに始まります。
ザビエルは日本にキリスト教を布教に来たと言われていますが、
そんな上辺だけを教えてもモノの役にも立ちません。
彼らの目的は黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の領土にするために来日しました。
サビエルはカトリック教会の主・ローマ法王の僧兵の一人で、
インドでは法王の代理として全権が与えられていました。
ザビエルがインドでやったことは、インドの土民をキリスト教に改宗させるために宗教裁判を行い、
改宗を強制し、キリスト教に改宗せず従わない土民は惨殺し、焚刑に処し、
富裕者の財産を奪ってキリスト教の僧院や教会を建設したのです。
キリスト教は「異教は悪魔の教えである」として凄惨な殺し方をするほど神は悦ぶとされました。
当時、欧州、南米、東方でキリスト教によって虐殺されたのは一千万人を超すといわれています。
日本にはサビエルの後も各派各団の宣教師が渡来しましたが、
いずれも日本の富と国土を狙って来た者たちで、
日本人を奴隷として売り渡し、一国の領主に金を貸して領地を担保に取り上げたりしたのです。
ついには島原の民・百姓を扇動して大乱を起こさせました。
この時、原城に立て籠って死んだ遺骸にはイエズス会士もバテレンの遺骸も見つかりませんでした。
彼らは日本人を信者にして煽るだけ煽り立てて、自分たちはとっくに逃げうせたのです。
キリシタン・バテレンの子供達に墓を暴かせ、神社や仏閣を破壊し、
神具・仏像を薪にして燃やし、日本の公序良俗の美風を踏みにじったのです。
これに対し豊臣、徳川は布教を禁圧し、宣教師らを国外退去させました。
これを今では「キリシタン迫害」と言われていますが、これは違います。
これは国を預かるものが国を守るための当然の施策であったのです。
サビエルはポルトガル国王に、
「軍備において日本はヨーロッパと同水準にあるため軍隊による征服は難しいです。
それよりも心に訴えて納得させればこの上なく忠実なキリスト教の下僕となる民族です」。
彼らは当初の武力占拠は断念し、
諸藩を貿易の利益で誘い布教させて日本を乗っ取ろうとしていくのです。・・・
幸食研究所 ひふみ塾
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