自分が好きですか? | 聖の道を歩みながら

聖の道を歩みながら

日神会の会員です。
これまで30年近い信仰の歩みを書いていきます。
時系列ではなく思い出した都度書こうと思っています。

プライドが高すぎると苦しみます。
若いころ、私はこれで苦しみました。

自分が正しいと強く思っていて、相手の誤りをあげつらって攻撃ばかりしていました。でも、自分は正しいはずなのに、生き苦しい…。

友人と2人で長崎道場へ参拝に行ったとき、霊能者の先生が友人にこう問われました。

「自分のことが好きですか?」

問われた友人は不思議そうな顔をしていましたが、私は心の中で(いえ、なんとなく嫌いなんです!)と答えていました。自分はいつも正しく生きているはずなのに、好きになれないなんておかしい。以来、ずっと心の中でなぜ自分のことが嫌いなのか考え続けていました。

大霊界シリーズのご本や会報を読んでいると、「反省」という言葉が心にひっかかってなりませんでした。自分を反省することが大切と会長先生がおっしゃっているのですが、なかなかそれを素直に受け入れることができずにいたのです。

「反省」「自分のことが好きか」

この2つの言葉が心をとらえるようになってから、自然と反省するようになっていったように思います。ちょっとした相手のミスも許せない心の狭い私でしたから、すぐに何かにつけ腹を立ててイライラする毎日でした。

プライドの高さから素直でない部分も多々ありました。

それが、少しずつ「反省」することができるようになると、自分の心の成長が分かるようになり、心の成長が分かるようになると、嬉しくてさらに反省できるようになってきました。

すると他人のミスが気にならなくなり、腹を立てることも少なくなってきます。
あるときパソコンショップの方が、購入したPCの配達の時間に1時間ほど遅れたことがありました。その連絡の電話があったとき、「大丈夫ですよ。この後出かける予定は入れていませんから。慌てないでゆっくり来てください。」という言葉が自然に出てきました。

以前ならそんなこと許せずにすぐに怒りの言葉を相手に投げつけていたのです。このとき自分でも驚きました。そして自分自身に対して嬉しかったのを覚えています。以来、簡単には腹を立てなくなったので、イライラする事象も減ってきました。

そんな中、長崎道場で浄霊儀式を受けました。

結構な人数がいました。私は当日の受付で最初の方だったのですが、なかなか儀式終了後の受付で名前が呼ばれません。ああ、これはきっと飛行機の便の都合だったり急ぐ必要がある方たちばかりなのだろう、だから車でいつでも帰れる私は後回しに神様がなさっているのだと思って待っていました。

待っている間も、そう思って腹を立てずに待っていられる自分に対して嬉しくて、そして少しでも長く浄霊の間にいられることが嬉しくて、ニコニコして名前が呼ばれるのを待っていました。

すると、受付されている職員の方が少し慌てた様子に見えました。朝の受け付け順からすると私はとうに呼ばれていないとなりません。それにお気づきなったようでした。そして、二代目会長先生へ書類が渡され、私は会長先生による受付をしていただいたのです。

「大変お待たせし、申し訳ありません。」丁寧なお詫びの言葉を頂戴して、最後の受付が始まりました。私にすればラッキーなことなので、さらに笑顔になってしまいました。一番最後になったからこそ、一郎先生とお話しすることができ、嬉しさが何倍にもなったできごとでした。少しでも心の成長を遂げることができた私への聖の親様のご褒美のようにも感じました。

ありがとうございます。


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