えっとですね・・・・
先々週あたりから何か
『ありのままで』というメッセージがバンバンきていて
(鑑定でよく使ったり、よくそういう話題のブログを読んだり、その他もろもろで・・・・)
歌も毎日よく外で聴くし・・・・
(これは流行ってるだけかもやけど)
で、今週DVDも発売やし・・・・
(ちょっと強引です)
多分メッセージを伝えてとKenaz光は捉えて
(転載メッセージやけど)
今週は「ありのままで」強化週間ということで毎日更新できるかわかりませんけど
キーワード「ありのままで」のスピリチュアル転載メッセージでブログ更新していきたいと思います。
多分、今 必要としている人がいてるんだと思います。
これでいいですか?ガブリエルさん?
(しかし強化週間って何やねん?って感じやけど(笑))
必要としている人に必要な気づきを得るメッセージが届く事を祈り更新 頑張ります。
『ペルソナ、仮面の下の自分の顔を みつめてみる』
ペルソナ。*心理学で、外界へ適応するために必要な、社会的・表面的 人格。
人は生きている中で様々な仮面をつけてます。
色んな人が色んなことを言う。その人の価値観や観念や信念を、期待や願いや想いを交えてぶつけてくる。
こうあるべきだ!こういうものだ!なぜそうできない?!
条件付けの中でジャッジされて、至らない自分はダメな奴。否定ばかり、×印ばかり、増えていく。
期待に応えたい想いと、教えを信頼するが故に募るプレッシャー。
そう出来ない自分への劣等感や罪悪感。
使命感からなにかを成そうとして、そこに喜びが生じなくて、滞っていく、追い込まれていく。
けどそんなの、当たり前のことで。
だって「求められる・望まれる自分」なんて、本当の自分じゃない。
そこに応えようとする自分がいても、そうなれない自分こそが本来の自分。
それで、いいんだよ。ありのままで。
それをただ認めて許し、受け入れさえすれば。
誰々がこう言ったから、誰々に叱られるのがやだから、ガッカリさせたくないから、悲しませたくないから、
「~しなくちゃいけない」「~ならなきゃいけない」「~しちゃいけない」そうしなければ、そう出来ない自分は、「ダメな奴」
結局のとこ、他者に合わせた仮面をつけて、仮面と仮面の下の自分のギャップに苦しんでる。そりゃそうだ、自分を生きていないからだ。
演じようとする限り、何かに合わせようとする限り、それは自分の外に軸を置いているってことで、自分を明け渡してるのと同じことだもの。
ジャッジされることで、ありのままの自分じゃダメなんだって、自己否定されて、自己否定して。他者に誰かに肯定されなきゃ、自分はダメな奴のまま。
いつまでたっても不安感は消えることがない。
そもそもそーゆうのが、ズレてるんだ。
自分が自分であることに、どうして誰かの肯定がいる?
認められたい、理解してほしい、褒めてほしい、否定ではなく肯定されたい、そーゆう想いは子供でも大人でも誰もが抱くもの。
けど、そこに焦点合わせてたら自分は薄らいでしまうよ。
それを得る為に~をする、しなくてはいけない、なんてことはないんだから。
するもしないも、どちらでもあなたはあなただよ。
何を選択したっていいんだよ。
あなたはどうしたい?
誰かが求める自分でいたいの?
望まれる自分像を演じるの?
誰かに認められるような褒められるような良い子でいたい?
それがあなたにとっての喜び?
それが本当のあなた?
あなたが抱く痛みや苦しさは他者が原因で生じていると思う?
誰かが何かがあなたを不幸にしてると思う?
あなたは誰かに何かに許されて存在しているわけじゃない。
そんな後ろめたい存在なんかじゃない。
様々なものに生かされて、育まれてはいるけれど。あなた自身が選んで望んで存在してる、あなたとして生きている。
あなたが世界を創造してる、あなたの世界を。
何を創り出そうと、自由なんだよ、良し悪しはないの。
あなたが誰かに何かに従属しようと、あなたが我がままに自由奔放に生きようと、どっちだって、なんだって、かまわない、問題ない。
否定がはじめからあるわけじゃない、ほんとは肯定しかない。
目の前の事象から、あなたが何を選択するのか。誰が何を言おうとも、選択権はあなたにある。
~しなくちゃいけない、~してはいけない、なんて古びた観念で思い込んでいるだけのこと 。
あなたは不自由にさせられてるんじゃない、自ら不自由になってるだけ。
それを当たり前のように思ってる、しょうがないと、思い込んでる。
あなたは自身が抱く感情に、想いに、経験に、観念に、捕らわれているだけ。
他に術がないと、道がないと、錯覚してるだけ。
俯瞰して見てみれば、道は無数にある、世界はもっとうんと広い。
感情を味わい尽くしてみれば、今もまだそうなのか、見えてくるはず。
自分に制限をかける必要は、もうないんだよ。条件付けされてジャッジされているなら、無条件にありのままを許せばいい。
外に誰かにそれを求めるんじゃなくて、自らにそうすればいい。
それを誰も責められないし罰することも出来ない。
出来るとすれば、あなた自身。
神様でも、親でも、先生でも、誰でもないよ、あなた自身。誰もあなたを裁かないし、裁けやしない、出来るのはあなただけ。
あなたという存在が持つチカラを、信頼して、活用してね。
あなたがあなた自身を心から許した時、ありのままを受け入れ抑圧から解放出来た時、外部から向けられる どんなジャッジや制限や圧力にもまけることはない。
それらをすべて無効化できる、揺らぎない安心感に抱かれる。あなたはあなたのどんな側面をも愛し敬い楽しむことが出来る。
貫くことも、変えることも、何を選択してもいい、自由自在なんだから。
・・・・・
んーーーーーーっ。選択肢はきっと、1つや2つ、ではないんだと思います。
目の前にしか扉が見えないんだとしたら、左右の壁をぶち破って道を作ったっていいわけで。
「ない」のなら「つくればいい」のです。
与えられることを待つよりも、自ら掴みに動いちゃえ!もうね、制限かけたり不自由になるような選択するのはやめ。
原因とか理由なんていらないのです。誰かが何かが、なんてどうだっていいんだ。自分はどうか、今どうなのか、ただそれだけ。
結局のとこは自分で選んで自分で作ってる現実。それを変えることが出来るのは、やっぱり自分なのです。
「でも」とか「だって」なんて言い訳してないでそれならそれで「どう したいか」「何が出来るか」そこに意識向ける。
イエスもノーもどちらだっていいんです。
楽したっていいし、逃げたっていい。
~しなきゃいけない、なんて自分を追い込まなくてもいい。
ジャッジなんて本当にもう必要ないし意味がない。
ジャッジするから苦しくもなるし不安にもなる。
いいじゃん、そのまんまで、ありのままで、正直な自分で。
素直なのがいいよ。ただ、外に軸を委ねないでね、すべてはあなたの内で生じるよ。
ブログにじいろのきらめき~わたしはいきてるさくらんぼ~より転載