ありのままで その② ペルソナ、仮面の下の自分の顔を みつめてみる | Kenaz光(ひかる)の占いブログ

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タロットや西洋占星術などの占いの事やスピリチュアルな事を書いていきたいと思います。





えっとですね・・・・


先々週あたりから何か


『ありのままで』というメッセージがバンバンきていて
(鑑定でよく使ったり、よくそういう話題のブログを読んだり、その他もろもろで・・・・)


歌も毎日よく外で聴くし・・・・
(これは流行ってるだけかもやけど)


で、今週DVDも発売やし・・・・
(ちょっと強引です)


多分メッセージを伝えてとKenaz光は捉えて
(転載メッセージやけど)


今週は「ありのままで」強化週間ということで毎日更新できるかわかりませんけど


キーワード「ありのままで」のスピリチュアル転載メッセージでブログ更新していきたいと思います。


多分、今 必要としている人がいてるんだと思います。


これでいいですか?ガブリエルさん?

(しかし強化週間って何やねん?って感じやけど(笑))



必要としている人に必要な気づきを得るメッセージが届く事を祈り更新 頑張ります。










『ペルソナ、仮面の下の自分の顔を みつめてみる』







ペルソナ。*心理学で、外界へ適応するために必要な、社会的・表面的 人格。






人は生きている中で様々な仮面をつけてます。


色んな人が色んなことを言う。その人の価値観や観念や信念を、期待や願いや想いを交えてぶつけてくる。


こうあるべきだ!こういうものだ!なぜそうできない?!
条件付けの中でジャッジされて、至らない自分はダメな奴。否定ばかり、×印ばかり、増えていく。


期待に応えたい想いと、教えを信頼するが故に募るプレッシャー。
そう出来ない自分への劣等感や罪悪感。
使命感からなにかを成そうとして、そこに喜びが生じなくて、滞っていく、追い込まれていく。


けどそんなの、当たり前のことで。


だって「求められる・望まれる自分」なんて、本当の自分じゃない。
そこに応えようとする自分がいても、そうなれない自分こそが本来の自分。
それで、いいんだよ。ありのままで。
それをただ認めて許し、受け入れさえすれば。


誰々がこう言ったから、誰々に叱られるのがやだから、ガッカリさせたくないから、悲しませたくないから、
「~しなくちゃいけない」「~ならなきゃいけない」「~しちゃいけない」そうしなければ、そう出来ない自分は、「ダメな奴」


結局のとこ、他者に合わせた仮面をつけて、仮面と仮面の下の自分のギャップに苦しんでる。そりゃそうだ、自分を生きていないからだ。
演じようとする限り、何かに合わせようとする限り、それは自分の外に軸を置いているってことで、自分を明け渡してるのと同じことだもの。


ジャッジされることで、ありのままの自分じゃダメなんだって、自己否定されて、自己否定して。他者に誰かに肯定されなきゃ、自分はダメな奴のまま。
いつまでたっても不安感は消えることがない。


そもそもそーゆうのが、ズレてるんだ。


自分が自分であることに、どうして誰かの肯定がいる?
認められたい、理解してほしい、褒めてほしい、否定ではなく肯定されたい、そーゆう想いは子供でも大人でも誰もが抱くもの。
けど、そこに焦点合わせてたら自分は薄らいでしまうよ。


それを得る為に~をする、しなくてはいけない、なんてことはないんだから。
するもしないも、どちらでもあなたはあなただよ。
何を選択したっていいんだよ。


あなたはどうしたい?

誰かが求める自分でいたいの?
望まれる自分像を演じるの?
誰かに認められるような褒められるような良い子でいたい?

それがあなたにとっての喜び?
それが本当のあなた?


あなたが抱く痛みや苦しさは他者が原因で生じていると思う?
誰かが何かがあなたを不幸にしてると思う?


あなたは誰かに何かに許されて存在しているわけじゃない。
そんな後ろめたい存在なんかじゃない。
様々なものに生かされて、育まれてはいるけれど。あなた自身が選んで望んで存在してる、あなたとして生きている。
あなたが世界を創造してる、あなたの世界を。


何を創り出そうと、自由なんだよ、良し悪しはないの。
あなたが誰かに何かに従属しようと、あなたが我がままに自由奔放に生きようと、どっちだって、なんだって、かまわない、問題ない。


否定がはじめからあるわけじゃない、ほんとは肯定しかない。
目の前の事象から、あなたが何を選択するのか。誰が何を言おうとも、選択権はあなたにある。
~しなくちゃいけない、~してはいけない、なんて古びた観念で思い込んでいるだけのこと 。


あなたは不自由にさせられてるんじゃない、自ら不自由になってるだけ。
それを当たり前のように思ってる、しょうがないと、思い込んでる。


あなたは自身が抱く感情に、想いに、経験に、観念に、捕らわれているだけ。
他に術がないと、道がないと、錯覚してるだけ。
俯瞰して見てみれば、道は無数にある、世界はもっとうんと広い。
感情を味わい尽くしてみれば、今もまだそうなのか、見えてくるはず。


自分に制限をかける必要は、もうないんだよ。条件付けされてジャッジされているなら、無条件にありのままを許せばいい。
外に誰かにそれを求めるんじゃなくて、自らにそうすればいい。
それを誰も責められないし罰することも出来ない。
出来るとすれば、あなた自身。
神様でも、親でも、先生でも、誰でもないよ、あなた自身。誰もあなたを裁かないし、裁けやしない、出来るのはあなただけ。
あなたという存在が持つチカラを、信頼して、活用してね。


あなたがあなた自身を心から許した時、ありのままを受け入れ抑圧から解放出来た時、外部から向けられる どんなジャッジや制限や圧力にもまけることはない。
それらをすべて無効化できる、揺らぎない安心感に抱かれる。あなたはあなたのどんな側面をも愛し敬い楽しむことが出来る。
貫くことも、変えることも、何を選択してもいい、自由自在なんだから。


・・・・・


んーーーーーーっ。選択肢はきっと、1つや2つ、ではないんだと思います。
目の前にしか扉が見えないんだとしたら、左右の壁をぶち破って道を作ったっていいわけで。


「ない」のなら「つくればいい」のです。
与えられることを待つよりも、自ら掴みに動いちゃえ!もうね、制限かけたり不自由になるような選択するのはやめ。
原因とか理由なんていらないのです。誰かが何かが、なんてどうだっていいんだ。自分はどうか、今どうなのか、ただそれだけ。


結局のとこは自分で選んで自分で作ってる現実。それを変えることが出来るのは、やっぱり自分なのです。
「でも」とか「だって」なんて言い訳してないでそれならそれで「どう したいか」「何が出来るか」そこに意識向ける。


イエスもノーもどちらだっていいんです。
楽したっていいし、逃げたっていい。
~しなきゃいけない、なんて自分を追い込まなくてもいい。


ジャッジなんて本当にもう必要ないし意味がない。
ジャッジするから苦しくもなるし不安にもなる。
いいじゃん、そのまんまで、ありのままで、正直な自分で。
素直なのがいいよ。ただ、外に軸を委ねないでね、すべてはあなたの内で生じるよ。






ブログにじいろのきらめき~わたしはいきてるさくらんぼ~より転載