外来途中だった患者さんの診療を終わらせ、すぐに菫さんのもとに行きました。

カーテンを開けると、ベッドには泣きじゃくる菫さんの姿がありました。

化学療法で倒れたこと、2回の手術でうっすら涙をうかべながら、私に大丈夫!と目で合図を送ってくれたことが走馬灯のように浮び、これだけの治療ができた菫さんが、なぜ泣いているのか、彼女をして子供のように泣きじゃくらせてしまったのは何なのか、戸惑い、動揺しました。

今日は放射線科の専門クリニックに行って予約を入れてくるだけの日だったはずなのに…と思いながら、何も話さないでベッドサイドに腰掛け少し落ち着くのを待ってから
「どうしたの?」って尋ねました。
彼女の口から出た言葉は
「先生には照射しても治らない可能性があるからできないと言われました」というものでした。
3日前に画像を持って、お願いをしに行って照射しましょう!と言われていたのになぜ?って、私も何が起きたのか、なぜ急に変わってしまったのか、理解できずにいました。

照射の先生に電話をして事情を聞いたところ、自費診療で高額になるため根治を確約できない治療を勧められなかったとおっしゃいました。

根治を目指して これまでスパルタと言っても過言ではない治療を受け入れてもらってきたのに、今更もう根治は無理とは口が裂けても言えませんでした。

私自身を落ち着けるために 菫さんにはベッドに横になりながら点滴をしてもらいました。点滴をして頂き、2時間という時間が私にも必要でした。

重粒子線治療…ふと頭に浮かびました。
重粒子線治療は通常は病変部位が1か所の場合が適応です。
左縦隔・肺門と左鎖骨上窩にリンパ節転移、肝転移2か所、1か所とはいえ骨盤内にリンパ節転移の病巣があります。
左縦隔・肺門以外は他の治療で乗り切る自信はあるものの、それを他院の先生が受け入れて頂けるのか全く自信がありませんでした。でも、それ以外に治療がない以上、一つずつその可能性を追求すべきというのが私の心情でしたので、意を決して膵臓癌の患者さんでお世話になったY先生に電話をしました。

患者さん思いのY先生は常に外来が混んでいて外来、病棟、治療計画と多忙を極めていました。しかし、私の電話にすぐに出て下さっただけではなく、快く婦人科のご専門のW先生にご相談して下さいました。
W先生も前向きに検討して下さり、菫さんは重粒子線治療が受けられることになりました。

菫さんは泣いたまま少し眠ってしまったようです。点滴が終わる頃、彼女の肩をそっとたたいて言いました。
「重粒子線治療にしましょう」。放医研の先生方に相談して、治療をして頂けそうなのと伝えました。

申し訳けないようですが、菫さんの手術が無事に終わった時以上に、ほっとした瞬間でした。
治る治療があると理解してくれたのでしょうか、菫さんは静かに微笑みました。
今の満面の笑みは、あの時の絶望と、そしてその後の漠然とした生還への一縷の望み、この二つがあってのことだと思いますうに思います。

この時、菫さんは 生還への再スタートを切ったのだと思います。


つづく

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