うわぁぁぁぁぁ...。

どんだけブログ更新してないねん...

 

自分のサボり癖にはつくづく驚き。

やっぱり、書き物をする切っ掛けがないとなかなか書けない。

そんな大それたものじゃないんだけどね。

 

さて、今日はそんな切っ掛けが舞い込んできましたね。

周囲の知り合いが次々に噛みついているこの騒動。

石原元都知事のTwitterでのこのつぶやき。

LGBT批判や差別と騒がれて、SNSがたちまち炎上。

高須クリニック院長やその他著名人も反応して火に油。

 

世の流れとしては差別を嫌う傾向なのだから、批判を受けるのは当たり前かもしれないな。

 

だけども、ゆなは石原元都知事の意見に敢えて寄って意見したいと思います。

 

まず、女装タレントが意味わからん、世の中狂ってる、と申すのは人の勝手じゃないかな。

当然、それを批判するのも人の勝手だけどね。

 

世の中で自由、自由と自由を重んじるなら、差別も批判も自由でしょう。

 

だから、これは一国民の意見なんだと思うんですね。

同じように思っている人は少なくないと思ってもいいと思います。

ゆなは自分も女装して人前に出ているときにこんな風に思って不快を感じさせていることもあると思いたい。

 

それから、反論をちょっと辿ってみたけど国内の歴史的背景や、世界でのLGBT容認の動きを反論の材料にしている人が目立つ気がする。

 

でも、これじゃダメじゃないかな。

男性間の恋愛、衆道や伝統文化の歌舞伎の女形、魔よけの風習の女装をあげる意見を見たけれど

 

それって少なくとも70年以上前の昔話でしょ?

 

現在武士の概念が取り払われて衆道は事実上存在しないし

現在女装している人の殆どが女形ではない(ビジュアル系は除こうね。)

魔よけの女装は日常的ではない。

 

そのどれもが仮に石原元都知事の耳に入ったとしても肯定の言葉を出してもらえるものとは思えない。

 

ましてや石原元都知事の生きた頃にはきっと女装している人は差別の対象だったんじゃないか??

 

還暦近いウチの両親はゆなが女装していることを初めて聞いたときに「オカマ」と呼んで

加えて「もう孫の顔が見れない」と言ってきた。

それは随分と憤りを覚えたけど

両親からすればそれが「常識」だったのだ。

女装する人間はみんな「オカマ」だし

子供に見せちゃいけない存在。

 

異性装者は全員が同性愛者で

同性愛者は気持ち悪いかよくわからない存在。

 

よくわからないものって大抵怖いし

分からないままでも人生困らない。

 

そんな考えな世の中の方が生きてる年数が多いなら

当然人はそんな考えが抜けきりません。

 

20代ギリ前半を生きたゆなは変化が多い時代に生きたと思います。

 

やれ消費税

やれIT革命

やれゆとり教育

やれ郵政民営化

 

あとはバカなので思いつきません。

 

もの心ついたころから変化が当たり前でした。

LGBTという言葉もスッと頭に入ったんですね。

 

対して石原元都知事、それから我が家の両親はきっと違う気がする

 

終身雇用が代表例かな??

 

違ったらごめんなさい。

 

多分、昔は今に比べれば比較的に安定した世の中だったのではないか。

 

多分そんなこと申したら「昔は大変だった云々...」ってなるんだと思う。

 

憶測になるんだけど、若者の方が変化に慣れがあって

ご年配の方が変化に慣れていないんじゃないかな。

 

逆に言うと、変化に慣れる必要がなかったというか。

 

だから、女装したタレントさんが流行する意味が分からない。

昔は際物だったのに。

 

だけど、さっきも挙げた消費税はどう?

誰も「昔は云々」言って払わない人いないでしょ?

 

だってルールだし。

 

だから、女装した人がどうしても全員に認められたいなら全員に認めさせるルールにくらいならなきゃダメじゃないかな?

それか、暗黙の了解で認めなきゃいけないくらいのレベルになるか。

 

そうじゃないと誰に文句言われたってその人の自由だよ。

 

ゆなはそのままでいいと思ってるんですけどね。

 

考えの押し付けしたって、相手が心からそう思わないと人の考えは根本までは変わらない。

 

だから、差別する自由もあっていいし

差別を否定してもいいんじゃない。

 

少なくとも、ゆなはある程度女装した人がレアじゃないと女装が個性じゃなくなってしまうと思うんですけどね。

 

だから、差別も特別扱いの一つってこと!

 

ここは、ピンチをチャンスんい捉えなおすくらいのスタンスがいいんじゃないですか?

 

その方が楽だし。

 

んじゃ、ありーでヴぇるち!