「起業への道のり4 」 家族① 母と私 | 蝶となる日を夢見つつ☆多田晴美

蝶となる日を夢見つつ☆多田晴美

ラジオ番組『はるみんのお仕事パンフレット』パーソナリティ。
ご縁があった方々の活性化に繋がる活動として、その【人】の魅力と【商品やサービス】の個性や特色を最大限に引き出しご紹介する番組を配信しています!

そう言えばどんな母だったかは
最初に書いただけでしたね。
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「起業への道のり1 」起業のきっかけになった起点


私は、過去より
これからの未来の方に意識がいくタイプ
ということもあるし

母が亡くなったのは
16年前ということもあり

今では、ふっとした拍子に
思い出すような感じです。


母とは
仲が悪いということは、なかったけれど
とくに仲がいいということもなく

性格も考え方も違うので
話題が合うわけでもありませんでした。


私が結婚して
子供も出来てからは
ようやく女同士だからわかる
話ができるようになった感じです。


それで
世代的なものが強いのですが

おとなしい性格だったこともあり
専業主婦で
自分の楽しみのために何かをすると
いうことが
 

ほとんどなかった(ように見えていた)
母は

私にとっては
反面教師のようなものでした。



私たち子供や
家族のために生きるのではなく

自分が満足のいく
したいことをして
幸せでいてほしいと
思っていました。

自分を犠牲にしている(ように見える)
そんな姿は見たくなかった。

もっと自由に生きて
自分のしたいことしたらいいのにと

ずっとそう思っていました。



私からみて
祖父母とも同居。


家の中は
その世代の価値観も
色濃く影響をしていて


私も
女の子はお嫁にいくから
を、前提に
母からも
育てられていました。
 


個人の個性ではなくて
性別だけで
決めつけられる物事の多さに
辟易し

小さな反発をしても
世間体が悪いと
抑え込まれ



それでも
親を想う気持ちはあるので

近所から
何か言われるようなことをすれば

親がかわいそうかと思い
私自身
結局は、がまんしていた20代。

 


そんなこんなで

母は
私には、嫌われているぐらいに
思っていたようで

入院中に
私にできることはなんでもやるよ
という姿勢の私に

「そんなに親のことを思ってくれているとは
思っていなかったわ」
と言いつつ


「ありがとう」
と、言ってくれたのですが


そこまで、勘違いされているとは思っていなかったので
驚きましたねー。

 

 

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