沈黙の力に耐える | ひろせカウンセリング若手ブログ

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吃音自助グループ廣瀬カウンセリング東京教室の、若手メンバーによるブログです。

 こんばんは。先日の土曜日は、横浜で復習会を開催しました。参加された皆様、お疲れ様でした。

 今回は人数が少なかった(私も入れて3人)だったので、いつにも増して沈黙の時間が多かったように思います。

 カウンセリングにおける沈黙は、大別すると、やや強引ですが「いい沈黙」と「よくない沈黙」に分けられます。

 よくない沈黙は、ただ単に話すことが無くて黙っている状態です。これはあまり意味が無いので、カウンセラーから話を切り出した方がいいです。

 いい沈黙は、参加者が心が言葉にならない「感じ」の中にあって、結果的に沈黙になっている状態です。

 テキストの「美を求める心」にも出てきますが、人間には「なんともいえない」「言葉では言い表わせない」感覚が時として出てくることがあります。

 この沈黙はものすごい変容を引き起こすトリガーになるので、何としてでも邪魔をしないでそのままにしておく必要があります。

 そのうち解説書をコピーして配ろうと思いながらなかなかできないのですが、ジェンドリンがフォーカシングを始めたきっかけとして、以下のような発見があったといいます。

 彼が、成功したカウンセリングとそうでないカウンセリングを調べたところ、うまくいくかどうかは最初の一~二回の面接でほぼ見分けられることに気付きました。

 成功したカウンセリングでは、クライアントの話す言葉が途中でゆっくりになったり、歯切れが悪くなったり、自分の感覚に合う言葉を探していたりして、言葉になりにくい微妙な感じを伝えようとしていました。

 これに対して、失敗したカウンセリングでは、クライアントはよく喋っていたものの、表面的なやりとりに終始していました。

 これはどういうことかというと、言葉にならない感覚の領域に触れないと、人間というのは変容しない、ということなんですね。

 ロジャーズのカウンセリングの逐語記録をみても、数分単位の沈黙が頻発します。心の深い領域に触れているとき、人間は沈黙せざるを得ないのです。

 下手にやると、沈黙に耐えかねてカウンセラーもクライアントも話し始めてしまいます。こうなると、せっかくの沈黙が一気に消えてしまいます。まさに水泡に帰すという感じがします。

 特に吃音が改善した側からすると、「ああした方がいい」とか「こうした方がいい」というのをものすごく言いたくなってしまう。

 それを言わないで、黙って来て黙って帰っていくには、それなりの修練が必要になります。私もだんだんと何もしないことができるようになってきました。

 そういう意味で、今回、沈黙が多かったのはよかったと思います。また、よろしくお願いいたします。