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鑑定歴35年ヒマワリ

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鑑定師の河村ジュンです(*^^*)

 

 

 

 

 

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【祖型塾】「わたし」は「一人きり」で生きられない

 

 

 

わたしたち人間にとって最も怖いのは「孤立すること」だ。

 

 

ためしに「孤立」を辞書でひいてみると次のように解説されている。

 

 

   他から離れて一つだけ立っていること。

   また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。

   他の助けがなくただ一人でいること。

 

 

 

たしかに人間社会というのは他人との関わりの中で結構面倒くさいこともあったりするが、それでも「孤立すること」に比べればいくらかマシかもしれない。

 

 

なぜなら「孤立」は、この世界の中で「たった一人きり」になるものだからだ。

 

 

人間社会のあれこれ面倒なことに巻き込まれないで済むのだから、一人ぼっちのほうが気が楽ではないかという声もあるが、それはあくまでも一人の時間を持てるということに留まるものであって、完全に孤立無援となる状態ではない。

 

 

 

そもそもわたしたち人間は「一人きり」で命を繋がれた存在ではなく、常に「二人」があってこそ存在できた生命体なのである。

 

 

つまり父と母のまぐわいが「わたし」を誕生させるに至ったものなのだ。

 

 

両親の仲が良いとか悪いとか、そういう感情論は関係なしに単純にそれは不動の事実としてあったのである。

 

 

 

父と母の子としてこの世に生まれたのが「わたし」であり、その父と母にも両親がいる。

 

それはそれは連綿と続く命の繋がりであり、辿れば辿るほど、たくさんの命によって「わたし」が存在していることが厳然とわかるだろう。

 

 

つまり、「わたし」という存在は最初から「一人きり」ではないことを証左するものであって、このことにより「孤立」というのは本来わたしたちに向かない生き方だということがわかる。

 

 

その「向かない生き方」である「孤立」を自他ともに強いてしまえば、生きていくことに張り合いがなくなるだろうし、生命そのものに輝きが失われるのは当然のこと。

 

 

 

実際、世の中に公表されている様々な統計によると、何らかの事情により孤立や孤独に身を置いてしまった人々は早死にする傾向が高いと言われている。

 

 

とくに男性の場合は長年連れ添った奥様を亡くされると、自身もまるで後を追うかのごとく寿命が尽きる方が多いそうだ。

 

 

 

また、年齢が若く健康体であったとしても、何らかの事情があって孤立や孤独に転じたとき、その若者は生きる活力や気力というものが落ち込んで、一気に老け込むと言われている。

 

孤立というのは、若さやはつらつとしたものまで根こそぎ奪ってくるものなのだ。

 

怖いことである・・

 

 

 

 

 

それから、

 

「自分の時間を大事にする」のと「孤立すること」は明らかに状態が違う。

 

 

どのような状態かというのは実は非常に大事なことであって、それが「孤立」であったならば、その状態が生み出すものは絶望であったり、無関心となる。

 

 

絶望も、無関心もわたしたち人間から生きる活力を奪うだけで、なんの生産性も未来も生み出さないだろう。

 

 

 

昔、戦争があった時代に敵国の捕虜になった人が体験談で語っていた。

 

「身柄は敵に拘束されても、わたしの精神は常に自由であった。なぜなら希望をもっていたからだ。希望があれば決して悲観しないし、絶望することもない」と。

 

 

体験談で語れるぐらいだから、この方の場合、きっと無事に戦争が終結し、奴隷のような生活から解放されたのだろうが、その地獄のような日々の中でも決して希望を失わなかったことは本当にすごいことだと思う。

 

 

 

しかしなぜ、

 

わたしたち人間の中には「孤立」に足を取られて、そのまま本当に「一人きり」になってしまう人がいるのだろうか?

 

 

天涯孤独の身の上なのか、頼れる身内もなく友達もなく、とにかく周囲の人たちとの距離を遠くに定めて隠遁生活に入るがごとく世間に背を向けてしまう。

 

 

一度そのような背を向けた生き方をしたならば、なかなか回れ右して前を向くのは至難の業だろう。

 

挙げ句、そのまま孤立していくことになる。

 

 

今の世知辛い世の中でも、隣近所で助け合ったり、仲間や友達で支え合ったりする動きも一部あるだろうが、それでもすべての「孤立」した人に手を差し伸べることができるかといえば、それも現実的に難しい話だ。

 

 

やはり、「わたし」そのものが孤立しないことに尽きる。

 

 

これはあくまでも私の勝手な意見であるが、自分自身の人生、生命に対して無責任になってはいけないと思うのだ。

 

 

無責任とは無関心と同じこと。

 

それは間違いなく「死」に直結していく。

 

 

むろん、人間はいつかは寿命が尽きてこの世を去る日が来るのだが、それは堂々と生き抜いてきての結(けつ)でなくてはならない。

 

 

なぜなら先ほども書いたが、わたしたちの命は「一人きり」で生じたものではなく、まず、父と母のまぐわいによって繋がれた命であり、それは連綿と続くご先祖様(神様)からの貴重な授かりものだからである。

 

このことは誰も否定しようもない事実であり真理といっていいだろう。

 

 

そして、その事実と真理には、大いなる畏敬が存在する。

 

 

命から命へと繋がれたものを、「道」という。

 

 

実はその「道」こそ、わたしたちが畏敬の念を抱き、真剣に学ぶものなのである。

 

 

世の中にはたくさんの尊い教えや戒めなどがあるが、なによりも「道」は自ら感じるものであって、また自ら学ぼうと思わない限りは一生涯を通しても気づかないほどの宝で埋め尽くされている。

 

それほどのものなのだ。

 

 

 

ところが、

 

「孤立」には生きるための「道」がない。

 

「道」がないところを人間は歩くことはできない。

 

だからこそ、人間は「孤立」してはならないのだ。

 

 

中には人生の修行のために、一時的に「孤立」を経験することもあるだろう。

 

が、それはあくまでも修行の一環であって、人生そのものの目的ではないのである。

 

 

ならば、「孤立」ではなく、いったい何を求めていけばよいのか?

 

それは本当に大事な問いになるため、次の機会にしっかり書いていきたいと思う。

 

 

しばしのあいだ、お時間をいただければ幸いですお願い

 

 

 

本日は少し長くなりました・・

 

長文にも関わらず最後までご覧いただき、ありがとうございましたm(__)m

 

 

感謝と敬意を込めてキラキラ

 

 

すめらみこといやさか

 

すめらぎいやさか

 

すめらみくにいやさか

 

 

 

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