おゆき弁財天、田峯城の悲話に咲く姉妹の愛 | 三河豊川ふるさと歴史観光の会

三河豊川ふるさと歴史観光の会

故郷三河そして豊川周辺には沢山見所がありますね。
地元ならではの季節に応じた見所や美味しいスポットを
御紹介しながら共にミニ旅行気分で楽しめたらなと思います。
歴史も大好きな歴女なので、歴史談話を女性の目線で
見つめてみたいと思います。

新城市鳳来町田峯にある田峯城の悲話は
戦国時代を生き残るために起きた、奥三河の歴史。

田峯の里




長篠の合戦時に、ひとつの城の中で、菅沼田峯城が武田側、そして徳川側に別れてしまう結果、
身内同士が敵か味方かに別れざるを得ない苦悩を味わった。

しかし、戦国の世の中でも、人は命を護り、育むために命をかける。
多くの犠牲の中に護られた小さな命が、その後多くの子孫を生み出し、世も変わり繁栄していく。

命を護るために賭けた、姉妹の絆、
田峯の家老、城所道寿の嫡男の嫁、
姉、梅ヶ井と妹のおゆき」

おゆきは梅ヶ井の妹で梅ヶ井の2人の息子の乳母として姉を支えていた。
その乳母の献身と忠誠の高恩に感謝して、
城所家の子孫が建てたお堂が豊川市一宮町金沢にある。
それをおゆき弁財天という。
おゆき弁財天地図



今から、約400年前、
天正3年(1575年)5月
長篠合戦にて武田方が敗戦した。
武田方に参戦した菅沼貞忠は家老城所道寿と共に、疲労困憊した武田勝頼を助けて我が城、田峯城に一休みべく帰ってきた。

ところが、敗戦を知った留守居の者たちは、一斉に反旗を翻して道寿たちを城内に入れなかった。

城内には道寿の息子嫁、梅ヶ井(37才)
とその子六の助7才、与一3才と、
乳母であり梅ヶ井の妹おゆき23才が一瞬にして敵の中に残されてしまった。
梅ヶ井は子供たちを助けるために、妹のおゆきに、子供たちとこの城を出ることを依頼した。
そして、梅ヶ井は城下に流れる寒狹川に身を投じた。

田峯城より見る、寒狹川




その後、おゆきは、2人の息子の手を引いて鷹峰山を南下して、本宮山山頂に辿り着いた。

そこで発見した松源院の住職に兄六の助を託し、弟与一を肩にして、豊川の浅瀬を渡り、養父村の溝目院に辿りこの里で武田再興を祈り、幼い与一の養育に一生を打ち込んだ。
おゆきはお家再興の悲願を達成し、寛永17年(1640年)9/28この世を去った。

おゆきの忠誠と献身の高恩に感謝して、
貞享元年(1684年)7月、
城所家の者、皆揃い、
現在の金沢の地にお堂を建立し
その霊を慰め現在に至っている。


豊川市一宮町金沢の地を訪ねてみました。

お堂のある照山全景


小さな駐車スペースあり
降りてすぐ看板あり、





ここを50m上がっていくと
木立の奥に....




おゆき様を祀っているお堂があります。





このあたりの集落には
今でも、城所道寿公の子孫が住まわれ、
おゆき様の霊を慰め供養されている。

あの折、
母、梅ヶ井の意向を汲んで
妹のおゆきが
ふたりの息子の命を助けたので
今でもこの地域には
城所の姓の方々が多く住んでおられる。


戦国の世の中でも、
そこに生きる女性たちは
命を活かすために
身を捧げてゆく。
その祈りと
献身的な人生に
また、未来の命を活かしていく。

一度は世の栄枯盛衰に
命が途絶えそうになったとしても
活かす女性たちの命によって
天は
ひとつの命から
天に瞬く星たちのように
子孫を祝する時が来る。

そのような祈りが
深く束ねられている
豊川市一宮町金沢の静かな里。
1度訪ねてみて頂きたい....