長嶋茂雄奇行録 | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。

長嶋茂雄の珍行動。



- 食べ物 -




巨人選手に一人1個来たメロンの一番上だけを食べて捨てた

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チームへの差し入れの牛肉を全部自分のと思い込みツバをつけた。その後川上にこっぴどく叱られた

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ハムサンドは中身の具だけ食べていた。そして、そのまま元通りにパンを合わせておくらしい。

一茂が食べようと思ったら、中身が全部入ってなかった。

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他の選手への差し入れの一箱3~5万円もする「女峰苺」を一気に食べてしまった。その後イチゴが気に入ったらしく、毎朝一箱桐箱入りのを買って食べていた

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巨人のフロントと高級料亭へ食べに行ったとき、綺麗に並べられたふぐ刺しを全部箸でかき集めて二口で食べ、一瞬にして空になった皿を唖然として見ている一同に

「みんなどうして食べないの?おいしいよ」

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ただの赤飯を食べて「なんだこれは。うまいなあ。これもち米か?小豆が入ってるじゃないか。うまいなあ」

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1999年のオールスターでコーチなのに「監督室」に閉じこもり、さら「監督」の権藤氏を追い出して

「暇だったからブドウは種無しと種有りのどっちが甘いかを試していたんだ。種無しのほうが甘いね」

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長嶋がゴルフをしている近くの農家の人がとても長い山芋を渡したところ

「どもー」

といって長芋をボキボキ折ってトランクに入れた。帰ってきた頃には山芋は台無し。

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宮崎キャンプで練習が終わると行きつけのうどん屋に直行し開口一番

「うどんある?うどん、うどん」

そして出てきたうどんをすぐに食べて店を出る。が、スパイクを履いているため店の床はボロボロに。

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選手時代、フグが食いたい長嶋は西鉄とのオープン戦で試合中にも関わらず豊田泰光に

「もう我慢できないっすよ!」

と言ったが豊田は無視。がその後二塁打を打ち豊田の側に行きまた同じことを言った。

その後豊田は後援会を使い長嶋をフグ料理に招待したが例によって一皿丸々持っていき、食い終わった後に

「トヨさん、毎日こういうのが食えて幸せっすね!」

(メールにてN様より情報頂きました。ありがとうございます)

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お偉い方々との会食でさえ、自分が気に入らない食事があると全く見向きもせず箸もつけない。首相との会食でもそうだったらしい。

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監督後期、チームが不振だと招興酒にザラメ砂糖をたくさん入れて溶かし飲んでいた。そして酔っ払った長嶋は「大丈夫ですか」との問いかけに「エッヘッヘッヘ」と例の笑いで答えた。

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東京・九段の中国飯店で6000円のフカヒレの姿煮スープそばを頼み、「ゼラ(ゼラチン)は体にいいんだよ。僕の血色がいいのはゼラのおかげ」

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「俺は母乳で育ったから」と言って牛乳はまったく飲まなかった

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練習中、長嶋が突然スタッフに一万円を渡し、「アンパンを買ってこい」。金額が多すぎると言っても「いいから買ってこい」。結局一万円分のアンパンをかったが、長嶋は中身のあんだけ食べてパンは捨てた。そのため周囲はパンくずだらけに




- 非常識 -


オープン戦、勝てば選手1人に100万円づつの賞金がもらえる試合だった。そのミーティングで

「100万円獲りに行こうじゃないか。100万円あれば飯が2~3回食べれるだろう」

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一茂に自動販売機でジュースを買うように指示したとき、1万円札を渡したらしい。その後「えっ?お釣り来るの?」

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宮崎キャンプに来たファンに「静岡から車で来たんですよ」って言われて「静岡!あぶないなあ。随分遠いでしょう。ヘリは持ってないの?」

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東京ドームの風呂は石鹸を落とさず入るため、長嶋が入った後は泡だらけで誰も入れなくなる

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新横浜駅から新幹線に乗ろうとしたとき、切符を渡されている選手を横目に手ぶらで改札に向かい駅員に

「おはようございま~す、長嶋で~す」

と構内へ入ってしまった。駅員は唖然としていたそうだ。

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2002年9月26日、東京ドームに解説でやってきて、女ジャビットの更衣室に入ろうとして警備員に止められた

なお、ジャビットのプロテクトはディズ○ーラ○ドのミッ○ー○ウス並らしい(中に人間が入っていないと言い張っている)。

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豊田選手にフグを奢ってもらった後(食べ物の項目参照)、二人の娘を「お持ち帰り」した。が豊田の元に30分後に帰ってきて、豊田が娘にどうしたのか聞くと

「(30分で)二度もやりはった」




- その他 -


小学校時代は番長だったが、当時小さかったので、自分が喧嘩をすると負けるため、部下に任せて高みの見物だった

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立教大学の卒業試験のとき、バレバレのカンニングをしまくっていたがもう巨人に決まっていたということで暗黙したらしい。そのことを知らず長嶋は

「俺はカンニングの天才」

と威張っていたらしい

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本人曰く「集中してると頭の中が真っ白になる」

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円山球場での試合のとき、ストッキングの片方を忘れてマネージャーに片方の靴下を黒く塗らせてストッキングらしく見せた 

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川上が偉人伝をを選手に聞かせ、各自感想を書くようにと命じ、他の選手が色々と感想や意見を提出する中、長嶋はただひとこと「わかりました」

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ホテルでチェックインするときに名前と職業を書く欄があって、両方に長嶋茂雄と書い

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大雨の翌日一茂を連れて「練習行くぞ」と多摩川グランドへ。が前日の洪水でグランドは田んぼ状態でしかも魚が転がり練習は中止。しかたないので巨人のユニフォームでフナを拾って帰った。

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ホテルで電話をしながらメモをとって堀内コーチに渡したのだが、その電話番号の下2桁が足りなかった。長嶋の部屋に戻ると机の上にはしっかりその下2桁がかかれていた


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試合中初対面の掛布に三塁で「君、年いくつ?」

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巨人に入ったルーキーの投手に対し「君、童貞?」

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五輪の陸上100m決勝で「今年はジョイナーのような小股の切れ上がった凄いのがいませんねー」といってコマネチポーズをした


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チームがボロ負けしたとき、乗っていたタクシーの運転席を思い切り蹴り上げ、運転手は鞭打ちになった。

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さすがに自分でも分かっていたのか

「かなりクレージーな方だったんですねぇ、勉強は全然だめ」

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秘密打撃特訓と称し、風呂場で選手を前に全裸で素振りをした。そのとき、

「男性にだけ付いている“袋”を、両太ももで挟み込むように振れ」

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現役時代でも全裸で素振りをし、「大切なもの」の振れ具合でバッティングの良し悪しの判断をしていた

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94年のヤクルト戦で西村投手が村田真に頭部死球をしたあと、「西村にぶつけろ」と指示。 投手は西村の頭部に速球で報復死球を与え大乱闘に。その後長嶋は

「目には目をですよ」

とほざいた。しかし長嶋には何もお咎めなし。

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上のようにほざいておきながら2002年3月に

「うちはぶつけごっこをする気はありません」 

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遠征先で麻雀をしていたが、長嶋の捨て牌だけ異様に黒い。他の選手が長嶋を見たら、タバコの灰を座布団代わりにしていた布団の上に撒き散らした上に、布団にタバコを押し付け火を消していた。そして出来た焼け焦げの穴に長嶋は指を入れていた。 

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上の様な感じなので麻雀はとても弱かったらしく、若い頃は麻雀で300万の借金を抱えていた。長嶋と打つと必ず勝てたので「小遣い配給係」と呼ばれていた

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知合いから、生まれた子供の名付け親になってくれるよう頼まれた長嶋。ああでもない、こうでもないと、思案をかさねたが、挙句の果て選んだ名前は「茂雄」

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長嶋は早朝ランニングをするのが、日課だったが、走ってる最中に、ジャンパーなり、ジャージなりを脱ぎ捨ててくるので、マネージャーも長嶋に同行することになった

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デービー・ジョンソンが読売でプレーしてた時(75・76年)の話、ある日の試合で4タコに終わったジョンソンがシャワーを浴びてると、長嶋がいきなり入ってきたあげく、ジョンソンの股間をつかんで一言、「ユーはマンだろ」といった。ジョンソンはこのことへの謝罪を要求したがもちろん、聞き入れるはずはなかった。なお、ジョンソンはアメリカでは名将として名高いが、これは長嶋を反面教師にしたかららしい

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長嶋はオフシーズンは必ず、伊豆で「山篭り」をしてると報道されてたが実際はこれ幸いとうまいモノを食いに行ったり、海外旅行してたそうだ。

そしてある年のキャンプ初日、長嶋がオーバーウェイトでキャンプインしたのに気づいた牧野ヘッドコーチ(故人)が「オマエ、また山篭りしてたのでは?」と突っこむと長嶋は「まあいいじゃないですか!」ととぼけた





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