今回は、
『親に愛されたい私を癒す』という
インナーチャイルドのお話★
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私を愛して欲しい
そう思う気持ちが強かった私は、
『愛されたい』という欲求をいろんな人に向けていました
片思いした男性や結婚する前の旦那さん
信頼できる先生や好きなセラピストの人
優しくて、私のことを理解してくれた。と思えた人に
『私を愛して欲しい』って求めていました
しかし
愛して欲しい って
求めても相手に応えてもらえません。。
その度に
『やっぱり私は愛して貰えないんだ』
って落ち込みました
なぜそれをしてしまうか、
自分の内にある理由に気づかなかったうちは、何度も何度も相手に求めることを繰り返し
結果、
相手との連絡が途絶えてしまったり、みえない距離を置かれてしまうことになりました。
『優衣ちゃんって、なんか重い』と言われたことも。。
愛して欲しい、と求めてばかりじゃ
相手は私のことが重たくなるのはわかっていたし、 相手に嫌われるのが嫌で
自分の内側の理由を見つめることにいたりました
そうして 見えてきたのは、
★自分の中に『親に愛して欲しい』という気持ちが強くあること
★私が求めるているものは、愛であって、愛でないこと
でした
親に愛されたい のだから
親に愛して貰えばいい
そう思って、否定されやしないかドキドキしながら
『私、もっと愛して欲しかったんだよね』
と親に胸のうちを明かしてみたことがあったけど
『そっか。可哀想にね』とスルー
…玉砕(笑
あー、ダメかダメなんか
どうせ愛して貰えないよね、
って、いじけたけど
そうやって過去の私は傷ついたのか、と受け入れつつ、さらに自分を見つめていったらば
自分が求めている愛の形
と
相手(親)が与えてくれた愛の形
が違うことに気づきました
私の
愛してもらえなかった、愛して欲しいは
私が求めることをして欲しい
私の求めることをしてくれる
=
愛されてる
だったのです
私が泣いてたのに構ってくれない
=愛してくれてない
私の意見を聞いてくれない
=愛してくれてない
私にさみしい想いをさせた
=愛してくれてない
そう、幼い自分は思い込んでしまった
ですが
親からしたら、それは違ったわけです
疲れていた、余裕がなかった場合もあるし、構うことが愛とは思っていない価値観でありました
私が、愛と思って求めるものとは、
違う価値観をもっていたんです
現に、私の父の私に対する愛は
構うこと
でなく
学費を出すこと
でしたし
父自身も、親に構うことをされてこなかった(本当は構って欲しかった)ので
もっと構って欲しい、と嘆く私を
『ワガママだ!』と怒ってました
こうして
私が求めている愛と、相手が与えてくれる愛とは違う価値観であること
に気づいた時、
愛されてない
と思う自分が癒され始めていきました
私は愛されてないわけじゃなかったんだ
愛の形が違ったんだ
幼い私は、私が求めることをしてもらえなかった
=
愛されてない
と思っていたんだ
と理解できたんです
そして
私が求めることをしてもらえなかった
=愛されてない
と怒り狂う、幼い時の私が出没
頭では分かっているし、理解上では癒されたけど
けど
心が追いつかない、幼い頃の愛して欲しかった自分が満たされない状態になったわけです
その幼い頃の怒った私の癒し過程については、長くなるので次回に続きたいと思います★
(私の次回に続く、はなかなか守られてなくて、読みたい方と宣言した自分に申し訳ないです。。
違う話題が降ってきちゃうと、そちらを書こうとしてしまうのですが、、
違うテーマに飛ぶ前に、ちゃんとアップしたいと思います💦)
読んでくれて、ありがとう(✿´ ー ` )優衣❤︎