今回は、

   心屋仁之助さんのシェア記事

ああ、

誰かのせいにするのは
昔からだったのね。

 
僕は橋下さんの意見、
ひどいとは思わない。
 

ほんとの意味での
弱者って違うから。 

「された」
「しかたなかった」

というようなことじゃなく
 
 
誰かのせいにしない弱者
には手は差し伸べられるんです。

ひとは、
ちゃんと優しいから。


   を読んだ中で生まれた気づき、
  「誰かのせいにする=不幸から抜けだせない理由」のお話




    



   シェアされていた記事の女性の言い分を読んで、気持ちはわかるなぁと思いました



  『国の制度のせいで理不尽な想いをした
    知事の言動に傷つけられた

    だから

    許せない 
    責任とって欲しい 』って気持ち




   でも、残念ながら


    誰かのせいにしてても
    誰かを責めても


    何も変わらないし
  いつまでたっても自分は幸せになれない

  のよね。。。



   




    この子の気持ちがわかるというのは、

    私も、幼少期、  
    親や周りの大人の言葉や対応に傷ついたこと、たくさんあるから




    「いい子」の経験から、自分の感情も考えもをわからなくなったこと

     自己無価値感が強かったり、
自分を信じること、愛をなかなか受けとることができない


    それは

  確かに、
  幼少期の家庭環境が影響している…





   少し前までは
   
    「全部、親が離婚したせいだ

      片親じゃなきゃ
      お金があれば
      味方や理解者がいれば

    私はこんなに辛くなかった
    こんなにも悲しい思いをしなかった」


    って思ってたし、
  この状況をつくった父をひどく恨んでた
 


 
    
    自分と向き合うようになり、
    
 「この状況は、自分が選んで生まれてきた」とか
 「この世界は自己責任」とか


    色々聞いたし、  
    私の憧れるキラキラと幸せに生きる人達は、そういう価値観を持つ人がほとんどだったけれど


  最初はとてもじゃないけど、
 受け入れられなかったのよ。。。




    だって


   そんな環境になったのは、自分のせいじゃない

   選べるなら違う形を選びたかった


   子どもの頃は、自分の力だけで自分の思い通りの選択ができなくて
親や社会の価値観に従わざるを得ないことも多かった

   そうやって従わざるを得ないせいで、
嫌な事、傷つく経験がたくさんあった



   自分では自由に選べない理不尽さがあるのに、人生は自己責任なんておかしいでしょ


    としか思えなかったわけだから。。。






     でね、 ずっとずっとやってたの



    私はこんなにかわいそうなんだ
   それは○○のせい
   ○○のせいで傷ついた
   こんなに不幸になってしまった


    だから

    ○○がなんとかしてよ 
    責任とってよ


   って  
  誰かのせいにして、責めること



 
    でも、それは


   誰かになんとかして欲しいがために、かわいそうな自分を選択し続ける(無意識に)

    =不幸な状況が現実化する


    要因でもあった




 誰かのせいにするために、不幸であろうとしてしまう
 自ら不幸でかわいそうになる状況を選び続ける


    けれど


 不幸だからといって、誰かが自分の人生を変わってはくれないし、なんとかしてくれるわけでもない




  不幸でかわいそうな自分を話すと、
同情や誰かの優しさは貰えることもある

   けど

   それが永遠続くわけじゃなくて
   やがて、消えてゆく



   不幸やかわいそうな自分になっても
   誰かを責めても
  
 人生が思い通りに変わるわけじゃないんよね




   




    自分の気持ちが整理できるまで
   誰かのせいにすること

   それは、していてもいいと思うの

    

    誰かのせいにすることが悪いことではないし、そうしてしまう自分を責めるほうが苦しいから。。




   ただ、
 「誰かのせいにするのは悪いこと」ではないけれど

   誰かのせいにするということは、

   「間違ってる」と責める戦い、
   時に争いが起きたり、
   傷つき、憎しみが増えたり 
   誰かから責められたり(そんな自分を責めたり)
   
   結局、自分が苦しくなることだと思う。。。


     
   
   私の場合は、
  
   過去の悲しみ、辛さ、理不尽さを整理できてきた先で、
  父を恨む気持ちも薄れてきたし、

  誰かのせいにする形じゃなく、
  自己責任と幸せの道へのシフトができてきて



  私はこんなにかわいそう
  過去、たくさん傷ついた

   だから 

   自分に優しくしよう
   自分をいたわろう
   ▶︎自分を見つめ、自分を癒すほうに力を注ぐ
   
    困ってることは、素直に周りに助けを求めよう
  ▶︎誰かを責めたり、なんとかしてよ!とはしない
 =さらなる戦い、傷つけあいはおきない



  そうすることで



  ちゃんとした助けがもたらされる
  ▶︎誰も責めないから、周りからも気持ち良く助けて貰える

   (⚠️助けを求めた人が、助けてくれるかくるないかは、その人の性格や余裕度合いにもよりますけどネ

    ちゃんと見渡すと、誰かしらはいる)


   
  不幸でかわいそうな自分を選ばなくなる

  幸せを選ぶ自分にシフトしてゆける

  責めたり傷ついたりに、苦しまない


   に変わっていったから…





   




  今思うと、

   誰かのせいにしてたのは、

   自分で選べない理不尽さがあったからこそ、誰かを責めたかった

   「この人に決められた」と思う人、
「○○のせいで」と思える要因に対して
責任をとって欲しかった現れ
(自分は決めてない、決められた、
従わざるを得なかったって思うから)
    
   だったとも思います




    だってさ、

   ★誰かに従わざるを得ない
(選択を自由にできない状況)
   ★決めたのが自分以外の誰か
   ★自分が納得できなかったこと

   なら、
   それを決めた人に責任とって欲しくなりませんかね



  そう考えると、
思春期の激しい反発、
親のせい、誰かのせいにするって行動は、


 ある意味、
 今までの不満や抑圧したこと、
従わざるを得なかった怒りが表現された状況なんじゃないかとおもったり…

 






    シェアされていた女性にとって
どんな選択が幸せとなのかわからないけれど…
きっと責め戦うことが好きな方ではないと思うから


   自分が進む先で
   気づけたらいいのではないかな
   
   とお節介ながらに思っています



 自分と向き合う自己責任=
 誰かと戦わず、これ以上傷つかず幸せになる

   そんな方法もあるってこと…
    



   そして、なにより


 その子にとっての幸せが見つかったらいいな…
 
  と思うのは、

  その方の気持ち、状況に共感できる自分もいるからなんだろうなと思いました


   
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  『誰だってみんな 
  幸せになりたいだけなんだ』


  
   

  



  最後まで  読んでくださった貴方へ

     私の想いを
     読んでくれて  ありがとう


  『こころ』と『子ども』のスマイリスト
優衣(´ ー` )