いいか・悪いか

 正しいか・正しくないか

 
 で、物事を判断するときの答えは

「いい・正しい」か「悪い・正しくない」のどちらかしかなくて


 
 その答えというのは、

 誰かの意見・価値観
 もしくは
 大多数の意見で決まるもの

 

 それが、今ある世の中の主な判断基準




  …と 私は思うのだけれど。



「個性を大切にする」
『お互いの価値観を理解しあって、心地よい関係を作る』
   って視点から見ると

「この判断の仕方って厄介になりがちだなぁ」と度々感じてきました




  ニコちゃんキラキラニコちゃんキラキラニコちゃん



  
 今の世の中の「いいか、悪いか」という2択判断に対する価値観は

  正しい、いい と判断した
  逆の意見や考え方は
  悪い、間違っている ということ


  つまり 


 自分 正しい 相手 間違っている

 もしくは

 相手 正しい 自分 間違っている


 となる考え方が多くって 




 この考え方の 何が厄介になるかって


 ぞう自分を間違っている と判断する
 =自分を責める・苦しい


 ぞう自分が正しい    と判断する
 =相手が間違っていると責める・批判する(争いがおこる)



  って原因にもなること





  ちなみに、、

 ネガティブが強かった過去の私は、自分責めが強かったのもあって、、

「これが正しい」っていう意見を聞くと、
それと違う価値観を持っている自分は「間違っている」って思う
▶︎自分を責めて苦しくなっていた 

   という経験がありますガクリ(黒背景用)


  

 子どもの頃から、親や学校(社会)に 

「正しい意見」と違う意見を持っている
  =「間違っている・ダメ」

   と判断されてきたのも辛かったなぁ涙






  そして



「どちらが正しいか」って結論を出そうとしたら 

 どちらかが意見を変えたり、合わせたりしない限り、出ないと思うんです




 意見を変えることに納得できたらいいけど、納得できないことだってある

(「正しい」って意見は、自分の信念だったりすることもありますからね)



 そうすると、


 ★いつまでも討論・論争が続く

 ★相手を間違っていると否定・非難(攻撃する)

 ★優・劣をつける(差別や不平等)

 ★正しい▶︎勝った・偉い=間違っている▶︎負け・下の存在 みたいな構図ができる

 ★正しいとするもの以外(真逆の意見は)受け入れない


 そんな原因にもなっていく。。。


  


  ニコちゃんキラキラニコちゃんキラキラニコちゃん





  私は
 「見下し(理不尽な不平等感)」「否定」「争い」が好きじゃなく
 「個性を大切にするのが好き(みんな違ってみんないい)」なので、
 

 りんご物事には メリット(良さ)・デメリット(悪さ)がある
(▶︎その視点から見ると、正しい・間違っている、いい・悪いって判断しにくい)

 りんご国や世界が変われば、価値観も大きく変わる
  =絶対 正しい って答えや価値観はない

 りんご正しい・正しくないって本人(それぞれ)の価値観でしかない


  と、いう価値観を持っていて。

  


 そのせいか

「どちらが正しいか」と争う・傷つけ合う って悲しいし、
 絶対正しい(これに合わせなさい)ってされるのは、価値観の押し付けだなぁ

 と思っちゃうのもあって、


「これが正しい」って主張されたり、
「私が正しいですよね」返答を求められても
  
「あなたにとっての「正しい」という価値観」としか思えないんですねパンだ



  だから

 
 「自分にとって正しい」という価値観や意見=自分らしく生きる指標

 でもあるから、「正しい」という意見を持つことは大切なこと

  
 なんだけど

 
「自分正しい」=それ以外間違っている としてしまうのは、

 他の意見を受け入れられない原因や
 上記のような人とのトラブル、不快が起きる原因にもなる



  って 思うし、

 「正しいの反対は間違っている」という2択選択で物事を捉えるって 

 弊害があるよなぁと思うんです
 



  
 星正しい・間違っている という意見
  =自分(その人)にとって正しい   
   自分は違ってもいい
   自分の「正しい」があっていい



 星 みんな違って みんな いい 
 (▶︎「正しいの反対は間違っている」というような、2択選択の価値観だけにしない)


  って 思えたら、



 「正しい・間違ってる」の結論争い、

 誰か(自分)を責めたり傷つけるってことは少なくなるよなぁ って 思うのでした翼
 

 




  ニコちゃんキラキラニコちゃんキラキラニコちゃんキラキラニコちゃんキラキラニコちゃんキラキラニコちゃん





 四つ葉おまけ 
「批判されない・批判が気にならないための工夫」四つ葉



「正しい・間違っているって表現を使うと
  
 相手を否定したり責めたりしているつもりはなくても

 否定された・責められたって思われる、
そう感じる人が多いのが今の世の中だなぁ」



 と 今までの経験上、私は感じてきましたむー




 これは、社会的な価値観・統一を図りたい今までの教育の影響なんだと思うけど、、


「個性を大事にして幸せに生きよう」
「みんな違ってみんないい」って形にしたいなら

    やっぱり

 「正しいの反対は、ダメで間違えている」みたいな2択価値観は難しい部分が多いし、
個性を自由に表現していきる中では、苦しくなる価値観

  と、思うんです




 で。


 否定や正論争いが嫌いで
   個性を大切に自由に表現する生き方がいい私は、

「どうしたら 否定や正論争いを避けられるか」
「苦しまず自由に表現できるようになりたい」

   って、考えて笑



「否定や非難を(極力)避けて 自分の意見を表現するならば。
 自分が「好き」か「嫌いか」
 私は こう考えた・思う って表現がいい

  って、答えにたどり着きました四つ葉
 



 これは、いろんな人(批判されやすい人・されにくい人)の表現を分析したり、

 実際、自分がやってみて 思ったことなんですが

 この表現、否定されることはほぼなくてきらきら!!


 だって


「自分はどう思うか、どう感じるか」って表現をしているだけで、
 相手を否定・非難しているわけではないですからね
マフラー+(・へ・)


(▶︎正しい、間違ってるって表現より、好き・嫌いで表現した方が、
個人の意見や思いとして捉えてもらいやすい
=「相手を否定したり責めたりしているわけじゃない」って伝わりやすいんですよね)




 それでも 


 相手の受け取り方によっては「批判・非難された」って捉えられる場合もあるし、

嫉妬を相手にぶつけたり、正論を見極める争いが好きな人から、否定や非難がある時はある(´-┃

 

 
 私の表現をどう受け取るか、相手が表現するかは 個人の自由 だと思っているので

 そこは、もう気にしてないと言いますか

 気にしても無駄というか

 相手を支配する以外、コントロールできることじゃないですからねん~・・・。





 昔は、批判や否定のエネルギーや言葉が怖くて仕方なかったんですが


 この攻撃は嫉妬から来てるんだな って本質が見れたら

 批判や否定に対する怖さは減ったし、
 
 気にしない・関わらない ってしていると、苦しくないんですあっっ



 まぁ、ぶつけられたら、不快だし嫌なのは昔から変わりませんけどねあぁっ?!

 





 おんぷ最後まで  読んでくださった貴方へ


   私の想い、読んでくれて  ありがとう

『こころ』と『子ども』のスマイリスト
優衣(✿´ ー ` )