お母さんが子どもにする言動って
子どものため(愛) であり
どのお母さんも
一生懸命、自分なりにやっている
たくさんのお母さんをみてきて
そう思うんだけど
見ていて すごく 悲しくなる形があります
それは、以下のような形
私の憧れであり好きなお方、
脱がせ屋えりちん のシェアなんですが、
ちょっとご覧ください
大阪からの帰り道、東京から、総武線快速のグリーンに乗った。
二つくらい後ろの席に、幼稚園くらいの小さな男の子と、お母さんが乗ってきた。
男の子が小さい声でお母さんに話しかけると、お母さんは『声が大きい!静かにして!』と。
オイオイお母さんの声の方が大きいんですけどwウケるwwとか思ってたら、なんか猛スピードで数字の勉強を始めた。
『15の次は17じゃないでしょ!なんで16が抜けてるの!?』
『ここに9を足したら?はい足したらいくつなの?早く答えなさい!』
昼間の空いた静かな車内に、お母さんの押し殺したけれど鬼気迫るような声が響く。
突然、男の子が泣き始めた。
『行かないで行かないで降りないでお母さんお願いだから降りないで降りないで降りないで』
と、泣きながらお母さんを追いかけて行く。
どうやらお母さんは、
『早く計算をやらないと、あなたを置いてお母さん電車から降りるから』
と席を立った様子。
そして、すぐに席に戻ったその1秒後には
『じゃあ早く計算して』
『次の駅までにここ終わらせなさい』
『だから9を足したらいくつなの?早く9を足してよ!!』
小さな男の子が、いち、にい、さん、と指折り数える声と、
駅に止まるごとに、降りるふりをして席を立つお母さん。
そして時々、パチン、と肌と肌がぶつかる音。
男の声がだんだん小さくなって聞こえなくなる。
『純ちゃん、えり、車両変わりたい・・・』
涙と嗚咽が止まらなくて身体が怒りとか悲しみとかなんかもうわけわからん感情で沸騰しそうに熱くなって、押し殺してもえりの泣き声も車内に聞こえていたと思う。
なんで?
なんで?
なんで?
なんで今やらなきゃいけないの?
なんで計算覚えなきゃいけないの?
なんで降りるなんて言うの?
なんで叩くの?
なんで?
なんで?
それでも、
お母さんに愛されたくて、置いて行かれたくなくて、お母さんに喜んで欲しくて、一生懸命数字を数える男の子の声。
置いて行かないで
降りないで降りないで降りないで、とお母さんにすがる声。
なんで?なんで?
苦しくて苦しくて今にも席を立って彼を抱きしめに行ってしまいそうな自分を抑えて、
お母さんの頬をはたいてしまいそうな自分を抑えて、
純ちゃんの手をぎゅっと握りしめて堪えた。
彼らが同じ車両に乗っていたのは、いくつかの駅を過ぎるほんの数十分だと思う。
耐えられなくなって、せめて顔を見てやろうと振り返った時には、忽然といなくなっていた。
おそらく、他の車両へ移ったのかもしれない。
男の子がかわいそうとか、お母さんがひどいとか、
そんなジャッジの話じゃなくて、
お母さんが何故そうするのか?
それはきっとお母さんなりの愛で、
彼に幸せになって欲しくて、
お母さん自身の育ちも影響していて、
この出来事が彼にとってどんな意味を持つのかもわからない。
良い悪いのジャッジじゃないの。
⚠️途中までを拝借しました
全文を読みたい方・
こういう状況をみた時、どう自分を見たらいいのかを知りたい方はこちらへ ▶︎えりちん
いかがでしたでしょうか
私は子どもに関わる仕事をしていて、
こういう親子もたくさん見たし
この形よりも酷い形(虐待)をする親子の問題・サポートにも携わったことがあります
で、思うんです
お母さんがする言動って
お母さんなりの我が子への愛なんだけど
必ずしも
優しく温かい愛ばかりじゃないよなって
(⚠️虐待の場合は、愛とは違うケースもあるけど
話の視点が違くなるので、今回は除きます)
こういう形を見る度に、上記のえりちんみたいに、胸がいたくなってました。。。
毎回、本当に辛かったです
胸が締め付けらるし
涙が出るし
感情が揺れて、仕事になりませんでした
(いや、プロとして仕事はしたけども
感情的にならないようにするのが大変でした)
いつもね
なんで優しく対応できないのかな
優しく対応しようよ
(子ども、悲しんでるよ)
もっと子どもの気持ちを見てあげて
って 思ってしまっていて
今も このシェアを読んで、
すごく悲しくなりましたし、苦しい。。。
なぜ 今回のような対応をする母がいるか
という解説をするならば
お母さんもそうやって育てられたから
(▶︎この方法がよいと思っていたり、当たり前だと思っている
▶︎それしか対応方法がわからないから、そうせざるを得ない)
って ことが多くて
後は、
自分の想いを押し付けてしまう
(▶︎できる子になって欲しいという期待が強すぎる)
子どもに優しくできる余裕がない
子どもよりも自分を優位にしたがる
子どもは自分の所有物だという意識がある
(▶︎自分が満たされていないから、自分の欲を満たしたくなる
▶︎不満があったり、満たされてないから、
弱者(反抗しない相手)を攻撃してしまう)
嫌いな部分(見たくない自分)を重ね見て、イライラする
(▶︎自分の中にあるインナーチャイルド、
過去できたトラウマ、ダメだと許せない価値観の投影)
って こともある
私は、今回のお母さんの気持ちや価値観を確認してないから、真意(どうしてそういう言動をしてるか)はわからないけど
子どもからしたら
「恐れ(脅迫概念からの行動)」になってしまっているし
こういう対応・経験が
お母さんに嫌われないために
罰を受けないために
嫌な想いをしないために
言われたことをやらねばならない
って いうトラウマ・歪んだ思い込みができてゆく元になる
子ども側の気持ち、
親が子に向ける愛の形、
子どもが求める愛の形の違い(すれ違い)、
トラウマ・歪んだ思い込みができる過程
それらがわかるから
すごくすごく胸が痛くなる。。。
自分も幼少期にそういう対応を受けてきたことがあるっていう経験があり、
悲しみや痛みが重なるって部分もあるけれど
それよりも
毎回胸が張り裂けそうになるのは
親から出る対応の冷たさや暴力さ
(▶︎体や心を傷つける対応が嫌だし、悲しい)
▶︎平等や対等が好きであり、子ども達が大好きだから、怒りにもなる)
子どもから溢れる悲しみや恐怖感
を感じるからでもある
さらには
全ては愛、
個々(その子にとって)の学び体験だと思えど
微笑ましく温かい形、
子どもが笑顔でいる形 が私は好きだから
なんだと思いました
それから
親から子、旧時代から新しい時代への
負のカルマや価値観、感情の連鎖って、
親になる側・伝え教える側の意識が変わらないと とまらないよなぁ と改めて思いました
ああ、胸が痛いよ
最後まで 読んでくださった貴方へ
私の想い、読んでくれて ありがとう❤️
『こころ』と『子ども』のスマイリスト
優衣(✿´ ー ` )