すごい人でいよう とすると、
周りの評価が気になるようになる
すごい って言われたくなるし
すごいって言われないと
嬉しくないし、不安にもなる
それから
ずっと すごい人って言われるように
努力しなくちゃ って苦しくなる
たくさん知識があるから
専門家だから
資格があるから
1番になれるから
有名になれたから
有名な肩書きがついたから
100点とれるから
〇〇人を集められるから
いいねが100以上だから
そういう 『すごい 基準』ができてしまうと
その基準でない自分になることが怖くなる
そうじゃない自分を否定したり
できない自分を表現することができなくなったり
無理したり頑張ったり
すごい人でいようと背伸びしたり
苦しくなってしまう。。。
でも
すごくある人 でなく
『嬉しい人 』 であったなら
秦由佳さん のいうような
”あなたがいてくれて嬉しい”と言われたい、ということでもあるし
”あなたがいてくれて嬉しい”と言う人でいたい、ということでもあります。
その欲に、忠実でいたい。
で、あったなら。
すごくなきゃ って 頑張ったり、
「すごい」意外の反応が受け取れなくなったり
すごい基準に満たない自分が許せなくなって、
否定したり責めたり
そういうのがなくなるね
目の前のできていること、
周りがくれる賞賛や感謝
それらを 否定せず、受け取れるようにもなるね
それから
周りからの評価が怖くないね
だって
「あなたがいてくれて 嬉しい人」には
評価(できない批判)は ないもの
(▶︎批判がある
=「私の要望や期待通りにできてない」っていう
相手の文句なだけだから)
相手を喜ばせる、
誰かにとって嬉しい人であるって
すごく いるよりも簡単
なぜならば
私が私でいることが
誰かのためになるから
なにも肩書きや基準がなくても
誰かのためになることはできるから
… 補足でいうと。
すごくいたい人=ダメ
すごい人=評価が気になる、
すごいって言われたくなるもの
と、いいたいわけでなく
私の場合、すごい人でいようとすると、
上記のように
周りの評価や基準に囚われて苦しくなるから
とらわれすぎないためにも、
嬉しい人になりたいなぁという話でした
すごくあること、
すごい人になること が苦しくなければ
すごくある人を目指すのもいいし、
すごくあるための行動を続けるといいと思います
競争心やすごさ が あることは、
よりよいものを生み出す力にもなりますからね
ただ、
すごいと評価する視点を持つ場合は、
優劣や善悪が生まれやすく
どちらかに 傾くと、
優れる、善▶︎人を見下す、正しさを主張する
劣る、悪▶︎否定感、劣等感、自信喪失
に、なるから注意が必要かと思います
秦 ゆかさんの 『嬉しい人 』
すごいひとより
うれしい(のギブアンドテイク)がある人でいたい。
この 世界観が素敵であり、
「私もその世界が好きだなぁ」と思ったので、
リブログしてみました
しかし
秦ゆか(ラブ)さん、
1つの記事に 内容盛りだくさん だべょ(
人の目が気になる
批判されたくない
勘違いされたくない
は、
1記事ずつ書けるくらい深い内容だと思いまふ
1つ1つの記事の内容が深いのに
いつも わかりやすく まとまってるから
ラブさんの文章力は尊敬ものだし
大好きだし
いつも読んでるけどさ
ラブさんの記事のおかげで
人の目や批判が気にならなくもなれたから
その話はまた 別で書いてみます
あなたが いてくれて うれしい
あなたと であえて うれしい
そんなふうに
言われる人に なりたい
言われる人で ありたい