執着心 | 時刻の残照(トキノザンショウ)

時刻の残照(トキノザンショウ)

太陽が落ちて残る空の紅・・・それが残照。
刻一刻と流れる時間。
消えゆく一秒。
そんな中で、心に残る一瞬は、
私にとって「時刻の残照」。
そんな気持ちで綴るブログです。

我が夫は、物に対する執着がない。

大事に扱わないわけではないが、ある物は惜しげも無く使う派だ。

限定品だろうが非売品だろうが高価だろうがガンガン使う。


それでも、やたら執着の強い私に合わせてはくれるのだが、なにせ「ある物は使う」という考え方なので、なぜこれは使って良くてこっちは使ってはダメなのかがどうしても理解できないらしい。


昨日も洗濯物の中に、まだ真っ白であったらしきタオルが、かなり真っ黒に汚れた状態で発見された。

何かを拭いたのだろうと思われる。

こんなに汚れるのなら、もっとくたびれたタオルがいくらでもあるだろうに、何故わざわざ綺麗なタオルを選んで使うのか。


タオルに限らず、スプーンだとかメモ用紙だとか、私が「なるべく後に使おう」と奥にしまった品々を、器用に探し出して使う傾向にある。

この才能はたいしたものだ。


もう、どう頑張っても、今の年齢の倍は生きられないと思うので、せっかくあるのなら使うべきなのだとは思う。

しこたまため込んだメモ用紙やタオルを、全部背負って三途の川は渡れない。

だから主人の方が「正解」なのはわかる。

わかるんだけれども、洗濯しても汚れたままのタオルを見ると「あ~あぁぁ」とため息が出る。

そして、引き出しを開け、ボロボロのタオルの下の方に、乾いたタオルを押し込みながら、どこまで私はケチくさいのかと苦笑してしまうのである。


案外真逆な性格が、夫婦仲のバランスをうまくとってくれているのかもしれない。




汚れたタオルの写真をお見せするのも忍びないので、近所に咲いた蝋梅を添える。

風の中に、微かな春の香りを感じる日がある。

毛玉だらけのセーターは、いい加減処分することにしよう。

執着もほどほどを心掛けることにした。