自由思想。 | 幸せ感じよう★ by保志乃詩青

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『他人の思惑は関係ない。自分の道を行くこと』byイーチン。
ごもっともでございます。


他人の思惑=他人の反応・評価・評判。
人それぞれ皆違う思惑を持っているのは当たり前で。
それらに縛られることなく、
自分の道、自分のやるべきことを全うしていくことは大事だと思う。
さすがに人としてやってはならないことは、
他人の思惑があってもなくても、してはならないわけだけど。




******

(今日も長文です)



私の中の、自由を追い求める思想が強くなったのは、
自由の得られない過去世を辿ってきたからだろうと思う。
それらの記憶が出てきて、より強くなってきたかもしれない。
これも、必然…だな。
なるべくしてなった経緯…
思い出した時は、やっぱり相当しんどくて。
辛かったし、苦しかったし。
なんのためにあの人生があったのか、とか、
なんのために思い出したのか、とか、色々考えて。
で、ようやく、
無駄に過ごした人生じゃあなかったと、
心の底から思えるようになった。
(つまり、「今」の自分にとって必要な人生だったと)


「今」のために、「過去」があったということ。
「過去」があったから、「今」があるということ。
そして、「今」があるから、「未来」が作られるということ。


で、やっぱり常に追い求めているものは、「自由」…
感情の自由、認識の自由、価値観の自由、行動の自由、
好みの自由、やり方の自由、考え方の自由、などなど。
自分で自分にかなり制限かけている分、
より大事だなぁ、と思っている。
きっと、今の世の中生きている人にとっても、

過去に生きた人々にとっても、自由って、大事なんだと思う。


もちろん、人として生きる上での最低限のモラルは必要。
人を殺めたり、傷つけたり、やってはいけないことは、ある。
その上での自由を求めていて。
どんな自由が必要で、大事なのか。
多くの人が考えていかねばならない課題なのだと思う。




ここのところ、色々また考えさせられることがあって。
その中で、少し前に出てきた言葉の意味が、やっと判明。
ファシズム=全体主義。 自由主義の対義語?反対派?
(以下、自由について書いてますが、
ファシズムに対しては否定も肯定もしていません。
あくまで自由についての考えや認識を書いています)


人によって考え方や認識・価値観が違うように、
人それぞれの思想、主義があって。
例えば一概に「自由」と言っても、いろんな種類があって。
いくら自由とは言っても、好き放題やることがOKというものでもなく。
相手や周りの状況を踏まえた上での自由が大事。
相手や周りの状況を理解したり認めた上で、ということ。


人が二人いれば意見が食い違うことがあるのは必然で。
お互いに主張しあえば、諍いが起きるのは当然で。
それが大きくなってしまえば、戦争に発展することだってある。
悲しい出来事が起きる元になる。


それを避けるためには、
どこまで自分の自由を主張していくか、
ということを考えなくちゃいけない。
どうしても曲げられない想いを主張することが自由ならば、
その諍いを避けるために、話し合うことも必要だし、

認め合うことも必要、争わない程度の距離感も必要。
むやみに争うことが、いいことだとは思わないから。


争いは、悲しみを生む。
確かに悲しみがあって、初めて気付くことも多い。
それでも、悲しむ人が一人でも少ない方がいいに決まってる。


多くの人が、争わずに済む方法を考えていかなきゃならない。
自分の自由を取るか、周りの自由を尊重するか。
全てはバランス。天秤。
その辺り、うまく調整することができたら、
本当の平和がやってくるのではないかと思う。





もう一つ出てきたキーワード、フィレンツェ。
先日とある方からのメッセを読んだ後、
不明な個所や気になることがあり、色々調べものをしていた。
そこに、偶然か必然か、この名前が出てきた。
「あぁ、そういうことか…」と。
(気付いてから再度調べ直したんだけれど、
どこに書いてあったのか、すでに見つからず;;)


そして同時期に、全く別の人から、
その意味を強調するかのごとくな内容のメッセを頂いた。
私にとっては予想外な内容だったんだけれど、
(おそらくご本人様もその意図は全くないと思われ)
それでも、
「これは確実だな…(啓示の一つだな)」と思った。


(この詳細は、まだココには書けないのが残念…)



最終的には、「自由について」のこと。
結局そこに辿り着いてしまった。
考えるべきことなのだろうとも思ったし、
多くの人に今必要なことでもあると感じた。


「人権尊重」というと大げさかもしれないんだけど。
最低限の、人としての自由は必要、ということ。
生きるための自由…というのかな…。


それは、ただ自分の自由の主張だけを貫くのではなく、
相手や周りの主張・想いなども考慮した上でのこと。
(考慮しすぎも考慮しなさすぎも避ける)
ただやみくもに周りの状況や想いなどおかまいなしで、
自由の主張をするというのは、
本当の意味での自由(幸せ)ではないからね…。


思いやり…大事。
愛…大事。
それらがあった上での自由こそ、
本当の楽園・幸せに繋がるんじゃないかな…。





己の魂の声に従うこと、つまり本来あるべき状態を貫く意思、
それが、『自分らしく』ということでもある。
これは、自分の魂の解放・自由を意味する。
本来は全ての人が常に望んでいることで、
それを得ている時に、強く幸せを感じるのではないかな。


自分らしく生きようとしている人、
自分らしくいることで本当の幸せを感じている人は、
他の人にも自分らしくいることを望むもの。
己の魂の自由を得ていれば、自分らしくいれば、
必然的に他者の心の自由を理解し、認めていけるもの。

(欲望を貪りそれを満たそうとするのは、本当の自分ではない)



己の魂の声に従わず、あるべき姿を見失い、
己の欲望(支配欲・独占欲)を優先してしまう人は、
人を支配したがったり、相手を思うままにしたいと考える。
そこで優越感を得て、それが本当の喜び・幸せだと思ってしまう。
そんな、目先だけの幸せを得るために、
簡単に人を犠牲にしたり、媚を売ったりする。
そして、自分の幸せを得るためには
それが当たり前だと思い込もうとする。
本当の幸せを見失っていることを、認めたくないがために。
(それを認めなければ、本当の幸せへは到達できない)


己の欲望(目に見えるものを得ること)を優先している人は、
それが得られた時に満足し、
それが本当の喜び・幸せだと勘違いしてしまう。
でも、目に見えるものを得ても、いずれそれには慣れてしまう。
そしてまた、新たな目に見えるものを探し、追い求める。
どこまで行っても、どれだけ得ても、満足することはない。
永遠に心が満たされることはない。
なぜなら、それは目先だけの喜びであって、
本当の幸せではないから。




本当の幸せは、そこにはない。


『自分らしくいること』
『自分の魂の声に耳を傾けること』
『人として生きる上での、大事なことを思い出すこと』


本当の幸せは、その先にある。


相手の幸せを願うのならば、
相手が自分らしくいられるように望むことが、
本当の意味での、「あなたのために」ということ。
(もちろん押し付けたり強要したりしては無意味)



全ての人に与えられた幸せ、それが魂の自由。
自分らしくいられることが、本当の幸せ。


目先のこと・ものに捉われなければ、
それがどういう意味なのかが分かる。
人として本当に望むべきことは何なのかが分かる。
本当の幸せがどこにあるのかに、気付く。


辿り着くべき場所は、皆同じ。
目指しているところは、皆同じ。
全ての人が、本当の幸せを探してる。
多くの人が、自分らしさを取り戻すこと、
人としてあるべき姿に戻ること。
本当の平和、本当の幸せは、全ての人に与えられている。
それに気付くか気付かないかは、自分次第。
それを掴むか掴まないかは、自分次第。





天は、全ての人を信じているよ。
大事なことに気付いてくれるのを、待っていてくれてるよ。
きっと気付く、本当の幸せを掴むと、信じてくれているよ。
そのために、多くのヒントを散りばめてくれているよ。
無駄なものも、不要なものも、この世にはないよ。
全てが自分のために、天が与えてくれているんだよ。
それを無碍にしてはいけないよ。
見て見ぬふりをしてはいけないよ。
喜びも、楽しみも、苦しみも、悲しみも、全て天が与えてくれたもの。
それを忘れてはいけないよ。


全ての人が目指す楽園は、御霊の自由。
本当の意味での自由、本当の意味での幸せを理解することから始まる。


チャンスは全ての人に与えられてる。
愛は、全ての人に与えられてる。
それを忘れてはいけないよ。




『天は 全ての存在に 愛を注ぐ』