人は何故、物を「書く」のか ~NHK大河ドラマ『光る君へ』に見る、「書く」ことの意味~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

このブログで、再三、書いて来ている通り、

私は、今年(2024年)のNHK大河ドラマ『光る君へ』に、「どハマリ」している。

現在、『光る君へ』は、第17話まで放送終了しているが、主人公のまひろ(吉高由里子)藤原道長(柄本佑)との関係性を軸として、その周囲の人々や、この時代(平安時代中期)の出来事が劇的に描かれており、大変面白く、毎回、目が離せない。

 

 

『光る君へ』

とは、まひろ(吉高由里子)という女性が、やがて「物書き」として目覚め、

『源氏物語』

という壮大な物語を書く、紫式部という「作家」になって行く過程を描いているのだが、

「まひろが、如何にして紫式部になって行ったのか?」

という事が、丁寧に描写されている。

そして、『光る君へ』を見ていると、

「人は何故、何かを『書く』のか?」

という事が、大きなテーマとして描かれているような気がする。

『光る君へ』

の脚本を書いている、大石静が一番描きたいのは、実はその事なのではないだろうか。

そこで、今回は『光る君へ』を通して、

「人が、何かを『書く』ということの意味」

について、掘り下げてみる事としたい。

それでは、ご覧頂こう。

 

<幼少期の「まひろ」と「三郎」の出逢い>

 

 

『光る君へ』

の主人公、まひろという少女は、漢学者として著名だった、藤原為時(岸谷五朗)の娘として生まれた。

まひろには、太郎という弟が居たが、為時は息子・太郎のために、一生懸命に学問を授けよいとしているものの、

どうやら、太郎はあまり学問が好きではないらしく、一向に勉強に身が入らなかった。

そんな中、まひろは、父親から学問を習ったわけでもないのに、側で聞いているだけで、父・為時が弟・太郎のために教えている漢文を覚えてしまい、スラスラと諳んじてしまうほど、幼い頃から、大変に頭が良く、聡明な子だった。

 

 

 

藤原為時(岸谷五朗)は、やがて、娘・まひろが大変聡明な子である事に気が付き、まひろに漢文を教えたりしていたが、

「お前が、男であったらなあ…」

と、為時は溜息をついていた。

当時は平安時代中期で、まだまだ女性の社会的身分は低く、よほど高貴な家の生まれでもない限り、女性が出世する可能性は殆んど無かった。

そして、為時の妻・ちやは(国仲涼子)は、大変優しく、気立ての良い女性であり、まひろは、この心優しい母親が大好きであった。

 

 

そんなある日の事。

まひろが可愛がっていた小鳥が、籠から逃げて行ってしまった。

「あっ!?小鳥が…」

まひろは、慌てて小鳥を追いかけて行ったが、小鳥は飛び去ってしまった。

そして、小鳥はまひろの手の届かない所へ行ってしまった…。

 

 

大切に飼っていた小鳥が逃げて行ってしまい、泣いていたまひろだが、

そんなまひろの前に、三郎という少年が姿を現した。

「どうした?」

三郎に聞かれ、まひろは、

「私の小鳥が逃げて行ってしまったの…」

と、泣きじゃくっていた。

「そうか、お前も気の毒にな…」

三郎は、まひろに同情していた。

 

 

「ところで、お前は何処の誰なんだ?」

三郎という少年に聞かれた、まひろは、

「貴方、私の事を『お前』とか、気安く呼ばないで。私の名前は、まひろ。私は帝(みかど)の落とし胤なんだから…」

と言った。

勿論、そんな事は口から出まかせの嘘だったが、会ったばかりの三郎なる少年に、

「お前」

などと、気安く呼んで欲しくないと思い、まひろは、咄嗟にそんな嘘をついたのかもしれない。

 

 

しかし、三郎は、そんなまひろの咄嗟の嘘に乗っかってあげたのか、

「左様でございましたか。ご無礼をお許し下さい、まひろ姫…」

と言って、跪き、まひろを「姫」と呼んだ。

実は、この三郎という少年は、時の右大臣・藤原兼家(段田安則)の三男で、大貴族の「お坊ちゃん」であり、まひろよりも身分は高かったのだが、三郎はそんな事は明かさず、まひろを「姫」として遇した。

こうして、心優しき少年・三郎と、「作り話」が上手い少女・まひろは初めて出逢ったが、

この三郎こそ、後の藤原道長であり、まひろこそ、後の紫式部である。

なお、

「女の子が、逃げてしまった小鳥を追いかけて行く内に、貴公子と出逢う」

というエピソードは、後に、

『源氏物語』

で、光源氏紫の上が初めて出逢った場面でも出て来るが、

「そうか、まひろは後に、このエピソードを『源氏物語』に書いたのだな…」

という事が、さりげなく示されており、『源氏物語』の愛好者をニヤリとさせている。

『光る君へ』

には、そういう細かい「仕掛け」が散りばめられており、そこも見所の一つである。

 

 

こうして、まひろと三郎は出逢ったが、初対面かた意気投合した、まひろと三郎は、

「また逢おう」

という約束をした。

三郎は、まひろよりも少し年上だったが、まひろは三郎という少年に、淡い恋心を抱いていた。

そして、三郎も、まひろという、ちょっと変わった女の子に、心惹かれていた。

だが、このまひろと三郎という2人の出逢いが、思わぬ「悲劇」を引き起こす事となってしまう。

 

<「まひろ」の目の前で衝撃的な出来事が…>

 

 

まひろの父・藤原為時(岸谷五朗)は、優秀な漢学者だったが、

「世渡り下手」だった為時は、なかなか官職が得られずにいた。

だが、ある時、為時は久しぶりに官職を得る事が出来た。

そこで、為時の妻・ちやは(国仲涼子)は、その御礼のために、娘・まひろを連れて、神社に御礼参りに行った。

その日は、実はまひろと三郎が、再び逢う約束をしていた日だったので、御礼参りに行った帰り道、まひろは三郎に逢いたい一心で、駆けだしていた。

「まひろ、待ちなさい…」

母は、まひろを追いかけたが、その時、まひろは駆けて来る馬に、直前まで気付かなかった。

その馬には、ある貴族が乗っていた。

それは、藤原兼家(段田安則)の次男で、実は三郎の兄・藤原道兼(玉置玲央)であった。

道兼は、大変な「荒くれ者」で、家族の「鼻つまみ者」だったが、この直前にも家族と諍いが有り、気が立っていた。

そこで、まひろと危うくぶつかりそうになり、道兼は馬から落ちてしまった。

激怒した道兼は、まひろを斬り殺そうとしたが、母・ちやは(国仲涼子)が、

「おやめ下さい。まだ子供ではありませぬか…」

と言って、必死に娘を庇った。

こうして、一旦は道兼もこの母娘を許したが、道兼の従者が、

「あの女、道兼様をやりこめるとは、大したものですな…」

などと言ったものだから、道兼は再び激怒し、何と、まひろの目の前で、母親を殺害してしまった…。

あまりにも衝撃的な光景に、まひろは呆然としていた。

 

 

突然、愛する母親を目の前で殺されてしまい、まひろは打ちひしがれていた。

しかし、妻の亡骸を前にして、為時は信じられない事を言った。

「妻は、突然の病で亡くなった…という事にする…」

まひろは、そんな父親に対し、

「父上、何で!?母上は、道兼に殺されたのよ!?それなのに、何で!?」

まひろは、泣きじゃくっていた。

何故、為時がそんな事を言ったのかといえば、実は為時を官職に就かせてくれた、雇い主というのが、藤原兼家(段田安則)だった…そう、道兼の父親だったのである。

立場の弱い為時は、だからこそ、道兼を殺人犯として突き出す事が出来なかったのである。

こうして、あまりにも理不尽だが、「身分」の違いによって、為時は「泣き寝入り」せざるを得なくなってしまった…。

この出来事は、まひろの心に大きな傷を残した。

 

<やがて「再会」した、まひろと三郎(藤原道長)だが…?>

 

 

それから、数年後…。

年頃の娘となっていた、まひろ(吉高由里子)は、相変わらず貧乏貴族だった、父・藤原為時(岸谷五朗)の家計の足しになればと、ちょっと変わった「アルバイト」をしていた。

まひろ(吉高由里子)は、絵師に弟子入りして、文字が書けない庶民のために、

「代筆」

の仕事を請け負っていたのである。

まひろは、絵師の元にやって来る、様々な階層の人達の話を聞き、その人達のために、

「和歌」

を代筆していた。

「その人達の気持ちになりきって、その人達の立場として、和歌を詠む」

…これは、後に「作家」となる、紫式部の「原点」ともなっていた。

「色々な人の立場に立って、何かを『書く』って、楽しいな…」

と、この時、まひろは思っていたかもしれない。

 

 

そんな、ある日の事。

まひろ(吉高由里子)は、数年振りに、三郎(柄本佑)と「再会」を果たした。

この時、まひろと三郎は、まだお互いの「正体」を明かしてはいない。

だが、まひろは三郎に対し、

「私は、代筆の仕事をやっているの。良かったら、貴方の和歌も代筆してあげるわよ?」

と、言っていた。

「俺は、名前さえ書ければ良いから、代筆など必要無い」

三郎は、そう言って笑った。

「まあ、三郎は名前しか書けないんだから、偉くなんかなれないか!!」

そう言って、まひろはアハハと笑っていたが、

「お前、男みたいに笑うんだな…」

と、やはり、ちょっと変わった女性であるまひろに、三郎…実は藤原道長は、ますます惹かれて行った。

 

<左大臣・源雅信の娘・倫子の「学びの会」に出入りするようになった、まひろ~そして、遂に三郎の「正体」を知った、まひろだが…?>

 

 

さて、まひろの父・藤原為時(岸谷五朗)の「雇い主」である藤原兼家(段田安則)「右大臣」だったが、兼家の「ライバル」だったのが、「左大臣」源雅信(益岡徹)だった。

まひろ(吉高由里子)は、父・為時のために、何か有った時のために、

「左大臣家」

とのパイプも繋いでおいた方が良いであろうと判断し、その役目を自ら買って出た。

そして、まひろは、源雅信の愛娘・源倫子(黒木華)と、その「お友達」の貴族の娘達による、

「学びの会」

に顔を出すようになった。

 

 

当初、まひろは全く空気を読めず、お姫様達の会にも関わらず、

まひろの知識の深さや頭の良さが、却って「仇(あだ)」になってしまい、まひろは、かなり浮いていたが、

倫子(黒木華)は、何故か、そんなまひろの事を気に入っていた。

「この子、変わってて、面白いわね…」

倫子は、まひろの事を、そんな風に思っていたのかもしれない。

「これからも、遊びに来てちょうだいね…」

倫子とまひろは、身分の差を超えて、不思議な「友情」で結ばれるようになった。

 

 

そうこうしている内に、あるキッカケにより、まひろは、「想い人」である三郎の正体が、

実は、藤原兼家の三男・藤原道長である事を知った。

そして、それは、三郎が、母親を殺した、憎き藤原道兼の弟である事を意味していた。

或る夜、三郎とまひろは、「六条」という場所で密会をする。

「三郎じゃなかったのね…」

まひろの前に、三郎が藤原道長として姿を現した時、まず、まひろは三郎…実は道長に対し、そう言った。

「三郎とは、俺の幼い頃の呼び名だ。だから、お前と初めて逢った時は、本当に三郎であった。俺は、お前を騙そうと思った事は、一度も無い…」

道長は、そう言った。

だが、そんな事より、この夜、まひろはどうしても道長に伝えなければならない事が有った。

 

 

「私の母上は、貴方の兄の道兼に殺されたの…」

まひろは、あまりにも衝撃的な事を言った。

そして、まひろはあの日の出来事を、全て道長に打ち明けた。

「あの日、私が三郎に逢いたいと思わなければ…。私が走り出したりしなければ…。道兼が馬から落ちなければ…。母上は殺されなかったの…。母上が死んでしまったのは、私のせいなの…」

まひろは、号泣し、今まで心の奥に仕舞い込んでいた思いを、全て道長にぶつけた。

まひろは、母親を殺した道兼を、ずっと憎んで来たが、それと同じぐらい、自分の事を許す事が出来ずにいたのであった。

道長も、兄のしでかした事に、大きなショックを受けたが、まひろの想いを全て受け止めていた。

なお、これは『光る君へ』の第5話だったが、涙なしには見られない回であった。

 

<若き日の、まひろ(紫式部)と、ききょう(清少納言)の出逢い>

 

 

さて、それから暫く経った頃、道長の兄・藤原道隆(井浦新)が、若手の貴族達を集め、

「漢詩の会」

を開く事となった。

そして、「漢詩の会」のお目付け役として、著名な漢学者・藤原為時と、有名な歌人・清原元輔が呼ばれた。

その藤原為時の娘こそ、まひろ(吉高由里子)であり、清原元輔の娘こそ、ききょう(ファーストサマーウイカ)だった。

まひろは後に「紫式部」、ききょうは後に「清少納言」となる人であるが、

「2人の才女」

は、この時、初めて出逢い、2人の間にも「友情」のような物が生まれていた。

「紫式部と、清少納言が会ってる!?」

と、私はこの場面を見て喜んでしまったが、紫式部と清少納言は「宮仕え」の時期がずれていたので、実際に、この2人が出逢っていたかどうかは、わからない。

しかし、紫式部・清少納言という、日本文学史上に残る2大スターが、こうして出逢っていた…という風に描かれる方が、見ている方としては、何とも楽しいものである。

 

<お互いを想い合っていながらも結ばれない、まひろと道長…>

 

 

さて、これまで述べて来た通り、

『光る君へ』

における、まひろ(吉高由里子)藤原道長(柄本佑)には、幼い頃からの特別な「絆」が有った。

しかし、道長の兄・道兼の「殺人」の事や、2人の身分差の事もあって、2人はなかなか結ばれる事は無かった。

そんな、ある時の事。

まひろと道長の共通の知り合いで、2人とも親しかった、直秀(毎熊克哉)という謎の男(※実は盗賊)が捕らえられ、直秀は仲間達と共に「処刑」されてしまった。

直秀を救う事が出来なかった道長は泣き崩れた。

まひろと道長は、直秀達を「埋葬」したが、

「俺のせいで、直秀を死なせてしまった…」

と、道長はまひろの胸に抱かれ、泣きじゃくっていた。

こうして、「秘密」を共有した、まひろと道長の絆は、ますます深まって行った。

 

 

まひろ道長は、お互いを想い合う、「両想い」だった。

特に、道長はまひろに対する想いを抑え切れず、道長はまひろに対し、熱烈な「恋文」を何通も送った。

それに対し、まひろは努めて冷静な筆致で、「漢文(漢詩)」で返事を寄越した。

その後、道長とまひろは、度々「密会」していた、「六条」で逢い、道長はまひろに対し、

「俺は、藤原を捨てる。このまま、俺と一緒に海が見える国に行こう。俺達が、寄り添って生きて行くには、それしか無い…」

と言って、まひろに対し、「駆け落ち」するよう、口説いた。

だが、まひろはそんな道長に対し、

「道長様のお気持ちは、とても嬉しい…。でも、私達はそれで幸せかもしれないけど、貴方はもっと偉くなって、この世の中をもっと良い世の中を良くするという、役目が有るのよ…。貴方は、その為に高貴な家に生まれて来たと思うの…」

と言って、道長を諭した。

 

 

この夜、遂にまひろと道長は結ばれた。

しかし、まひろは涙を流していた。

「俺を振ったのは、お前だぞ…」

道長はそう言った。

その道長に対し、まひろは、

「女は、嬉しくても悲しくても泣くのよ…」

と、答えた。

何とも切ない場面だが、まひろと道長は、お互いを想い合っていながら、どうしても一緒にはなれない運命のようであった。

 

<道長からの「妾(しょう)」になって欲しいという申し出を断った、まひろ。そして、道長は…?>

 

 

しかし、道長はどうしても、まひろの事を諦める事が出来なかった。

考えに考えた末、道長はまひろに対し、

「やっぱり、俺の妻になって欲しい」

と、告げた。

まひろは、

「貴方の、北の方(※正室)にしてくれるの?」

と聞いたが、道長は、

「北の方は、無理だ。俺の妾(しょう)になってくれ。だが、俺の心の中では、お前が一番だ」

と、言った。

当時、貴族には何人も妻が居るのが当たり前だったが、まひろは、

「そんなの嫌!!そんなのは耐えられない…」

と言って、道長からの申し出を拒絶してしまった。

まひろは、一番好きな人に、正室が別に居ながら、自分が妾(しょう)になるという事は、どうしても耐えられないと思っていた。

 

 

その後、まひろも、やはり道長への想いは抑え難く、

「妾(しょう)でも構わないから、やっぱり、貴方の妻にして欲しい…」

と言おうと、考えを改めた。

だが、その頃には、既に道長の「婿入り」が決まってしまっていた。

そして、その相手というのが、よりによって、まひろが親しくしていた、あの源倫子(黒木華)であった…。

「倫子さまは、とても素敵な方です…。どうぞ、お幸せに…」

まひろは、涙ながらに、心とは裏腹な事を言ってしまった。

こうして、まひろと道長は、「すれ違い」の末に別れてしまい、道長は「出世」のために、大貴族・源雅信の娘・倫子の元へと婿入りをした。

 

<まひろ、「物書き」への目覚め①~ききょう(清少納言)に触発される>

 

 

さて、こんな風に、まひろ(吉高由里子)には辛い出来事ばかりが起こっているのだが、

そんなまひろを触発するような、ある出来事が有った。

あの「漢詩の会」での出逢い以来、不思議な友情で結ばれていた、ききょう(ファーストサマーウイカ)が、まひろの元を訪ね、こんな事を言った。

「私は、自らの才を活かして、宮仕えをしたいのです…」

ききょうは、大変な才女だったが、そんな自分の事を家に閉じ込めておこうとする夫が嫌でたまらなかった。

当時、ききょうには夫も子供も居たのだが、

「だから、私は息子を夫に押っ付けてやるつもりです」

と言い放つ、ききょうに対し、まひろは目を丸くして驚いていた。

 

 

 

その後、ききょうは、道長の長兄・藤原道隆の娘で、

当時、一条天皇に入内していた、中宮定子(高畑充希)に仕える事となった。

ききょうは、定子に初めて逢った時、

「何て、綺麗な方なの…」

と、忽ち、定子に魅了され、一目惚れをしてしまう。

そして、ききょうは定子から、

「清少納言」

と命名され、以後、ききょうは「清少納言」として大活躍する事となる。

その姿に、まひろも触発され、

「自分の才を活かして、女性でも活躍できる道が有るのね…」

という事を思ったかもしれない。

 

<まひろ、「物書き」への目覚め②~『蜻蛉日記』を書いた、憧れの人・藤原道綱母との出逢い>

 

 

さて、まひろ(吉高由里子)には、ひょんな事から、「友達」が出来た。

それが、父・藤原為時の愛人の娘・さわ(野村麻純)だった。

まひろさわは意気投合し、ある時、まひろとさわは、当時、京の都の貴族の間で流行っていた、

「石山詣で」

に出掛ける事となった。

その道中で、さわはまひろに対し、

「まひろ様。もし、この先、私達が誰にも嫁入りしなかったら…。私達、この先もずっと一緒に助け合って暮らして行きません?」

と言った。

まひろは、ちょっとビックリした顔をしていたが、

「それも、良いかもしれませんね」

と、笑顔で答えた。

当時、2人はそれぐらい親しい間柄だった。

 

 

こうして、まひろさわは石山寺へと赴いたが、

その石山寺で、まひろとさわは、思わぬ人と出逢った。

それは、かつて藤原兼家(段田安則)の「妾(しょう)」で、

『蜻蛉日記』

を書いた、藤原道綱母(財前直見)だった。

まひろ(吉高由里子)は、

『蜻蛉日記』

の愛読者であり、幼い頃から何度も何度も読み返して居たが、その憧れの『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母に逢えたまひろは、天にも上る気持ちだった。

そんなまひろに対し、藤原道綱母は、こんな事を言った。

「やはり、妾(しょう)というのは、とても辛くて寂しい立場でした…。でも、『蜻蛉日記』で、その辛い気持ち、寂しい気持ちを書く事によって、私は自らの悲しみを救ったのです…」

その言葉を聞き、まひろはハッとした。

「そうか、書く事によって、自らの悲しい気持ちを救う事が出来るのね…」

まひろにとって、「書く」という事に対する思いが強まった瞬間だった。

なお、この場に、藤原道綱母の息子・藤原道綱(上地雄輔)も現れたが、そんな彼が思わぬ騒動を引き起こしてしまった…。

 

<まひろ、「物書き」への目覚め③~まひろの「手紙」が、仲違いしていた、友人・さわの心を動かす>

 

 

実は、この時の「石山詣で」で、まひろの友人・さわ(野村麻純)にとって、辛い出来事が有った。

あの藤原道綱(上地雄輔)が、さわの元に「夜這い」に来たが、何と、それは「人違い」で、実は道綱は、まひろを求めていたという…。

さわは、酷い屈辱を受けた。

そして、「石山詣で」の帰り道、さわはまひろに対し、

「私、まひろ様の事を信じていたのに…。『蜻蛉日記』の話の時は、私を除け者にして…。それに、道綱様も相手にされず…。私は、殿御を惹き付ける魅力も無いし、まひろ様みたいな才能も無いし、私なんて生きてる甲斐は無い!!」

と、八つ当たり気味の気持ちをぶつけてしまった。

「これ以上、私を惨めな気持ちにさせないで!!」

そう言って、さわはまひろの元から走り去ってしまった。

まひろは、せっかく出来た、さわという友達を失ってしまい、ショックを受けた。

 

 

その後、まひろさわに対して、思いの丈を綴った手紙を何通も送ったが、

その手紙は、全て、そのまま、まひろに対して送り返されていた。

「やっぱり、さわさんと仲直りするには、無理なのかしら…」

そう思っていた、まひろの元に、さわが現れた。

そして、さわはまひろに対し、

「今までのご無礼をお許し下さい…」

と、頭を下げると、意外な事を言った。

「私、まひろ様から頂いたお手紙は、全て書き写していたのです…」

そう言って、さわは、自ら書き写した、まひろの手紙の「写し」を、まひろに見せた。

「ええっ!?」

まひろは驚いたが、確かに、それは彼女が書いた手紙の写しであった。

「私、まひろ様に少しでも追い付きたくて…。こんな事を言って、勝手かもしれませんが、また私と仲良くして下さいませんか?」

さわに言われ、まひろもそれを受け入れた。

こうして、まひろとさわは無事に仲直りした。

 

 

「私の書いた手紙が、さわさんの気持ちを動かした…」

まひろは、改めて、その事に思いを馳せていた。

「何かを書く事によって、人の気持ちを動かせる事も有る…。書く事って、凄い事なのかも…」

まひろの中で、「何か」が芽生えていた。

「何かを書いてみたい。それが、何なのかは、わからないけど…」

まひろの中で、

「物を書く」

という事の衝動が、確かに生まれていた。

それは、まひろという女性が、

「作家・紫式部」

へと大きく近付いた瞬間でもあった…。

 

<人にとって、「物を書く」という事の意味とは…?>

 

 

…という事で、

『光る君へ』

を題材にして、

「物を書く」

とは何か…という事について、考えてみたが、これまで述べて来た通り、

「人が、物を書く」

という事は、

 

・何かを書く事によって、自分の気持ちと向き合い、自分の気持ちを整理する。

・何かを書く事によって、喜びや悲しみといった気持ちを表現する。

・何かを書き、誰かとその気持ちを共有する。

 

…といった意味合いが有るのではないかと、私は思っている。

私も、「何かを書く」という事は、昔から凄く好きだが、

「ブログ」

という物をやる事によって、更にその気持ちが強まった。

また、昨今は、それこそYouTubeだのInstagramだのと、SNSでも、動画のアップを主目的とする、様々な媒体が有る中で、

わざわざ「ブログ」という媒体を選び、何かを書いている人というのは、基本的には、

「何かを書く」

という事が好きな人である…と私は思う。

そして、「何か」を書き、「ブログ」という媒体で発表するという事は、

「誰かと、その気持ちを共有したい」

という思いの表れなのではないだろうか。

だからこそ、人は何かを書き、その文章を発表したがるのであろう。

私も、「ブログ」で自分の文章を書いたり、他の人が書いた「ブログ」を読んだりするのも大変好きだが、文章を通して、

「この人は、今、こういう気持ちなのかな…」

という事に思いを馳せたりする。

だからこそ、「何かを書く」という事は「人生」そのものである、という言い方も出来よう。

『光る君へ』

の作者・大石静は、きっと、

「物を書くという事は、素晴らしい事なのですよ…」

という事を、視聴者に伝えたいに違いない。

私は、そんな事を思いながら、『光る君へ』を毎回、夢中になって見ている。

というわけで、「物を書く」という事が好きな方は、是非とも『光る君へ』を見て、何かを感じ取って欲しい…と、私は思っている次第である。