頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

本日(2024/5/22)、このブログは開設「11周年」を迎えた。

今から11年前の、2013(平成25)年5月22日、私はこのブログを始めたが、

それから「11年」が経った…という事である。

 

 

今まで、何度も書いて来ている事だが、

そもそも、何故、私がこのブログを書き始めたのかというと、

2013(平成25)年春の東京六大学野球で、法政大学明治大学が、

「勝ち点4」

同士で並び、最終週で法政明治が激突し、

「法政と明治の直接対決で、勝ち点を取った方が優勝」

という、

「勝ち点4同士の法明決戦」

が実現した事がキッカケである。

(※ちなみに、東京六大学野球は、総当たり戦(リーグ戦)で6校が戦い、各カードで先に「2勝」した方が「勝ち点」を取る。最終的には「勝ち点」を最も多く取り、「勝率」が最も多く高いチームが「優勝」である。従って「勝ち点5」を取れば、文句無しの「完全優勝」である)

私は、「勝ち点4同士の法明決戦」が実現した事がとても嬉しく、

そして、法政に是非とも勝って欲しい…という願いを込めて、

今から11年前の2013(平成25)年5月22日、

「頑張れ!法政野球部」

…というタイトルで、このブログを始めてしまった…というわけである。

そして、その「法明戦」はどうなったのか…と言えば、残念ながら法政明治に敗れ、法政は優勝する事は出来なかった。

その時の「法明戦」は、4回戦までもつれ込む死闘となったが、法政「1勝2敗1分」で敗れ、本当に惜しくも優勝を逃してしまったが、私は、その時の4試合を全て神宮球場で観戦し、このブログに「観戦記」を書いた(※今思えば、我ながら凄い「情熱」である)。

私が、このブログを始めた目的は、その時の「法明戦」を書き残し、「記録」に残したい…と思ったからである。

そして、願わくば、法政の優勝記事を書きたい…と思っていたが、残念ながら、それは叶わなかった…。

 

 

…と、そんなキッカケで始めたブログではあるが、

まさか、それから「11年」も続くブログになるとは、その時は全く思っていなかった。

「11年」と言っても、長い間「放置」していた期間もあり、厳密に言えば「丸11年」というわけでもないが、とにかく、気が付けば「11年」も経っていた…という感じである。

なお、最初の頃は、法政野球部東京六大学野球の事ばかりを書いており、その事に特化したブログを書こうと思っていたが、

法政が全然優勝しなくなってしまったので(※このブログを始めてから、法政が優勝したのは2度(※2018年秋、2020年春)のみである)、仕方なく(?)色々な記事を書くようになった…。

まあ、それは半分は冗談で、半分は本気(?)だが、当初の目的から、

「路線変更」

して、例えば私が好きなサザンオールスターズの事をはじめ、私が贔屓にしている横浜DeNAベイスターズの事や、様々な「歴史」「文化」をテーマにした記事など、色々な記事を書いて行くのが楽しくなり、だからこそ、こんなに長く続ける事が出来た…と思っている。

それに、お陰様で、このブログの記事を読んで頂いている方が居るからこそ、それが励みになり、こうしてブログを書く事が出来ている。

この場をお借りして、改めて皆様に御礼を申し上げたい。

という事で、甚だ簡単ではあるが、今回はブログ開設「11周年」のご挨拶と、日頃の感謝の気持ちを皆様にお伝えさせて頂き、

「このブログも12年目に突入しますが、これからも宜しくお願い致します!!」

という言葉を皆様にお贈りさせて頂き、今回の記事の締めくくりとさせて頂く。

1992(平成4)~1996(平成8)年、私が10代の中高生だった頃、

サザンオールスターズ松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとのタイアップで、大ヒット曲を連発していたが、その頃のサザンとユーミン(松任谷由実)の黄金時代を描く、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズを、当ブログにて断続的に連載中である。

そして、現在は「最終章」である「1996年編」を書いている。

 

 

という事で、ここまで書いて来ている、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

シリーズの記事は、下記の通りである。

 

①1992年『涙のキッス』と『ずっとあなたが好きだった』

②1993年『真夏の夜の夢』と『誰にも言えない』

③1993年『エロティカ・セブン』と『悪魔のKISS』

④1994年『Hello, my friend』と『君といた夏』

⑤1994~1995年『祭りのあと』と『静かなるドン』

⑥1994~1995年『春よ、来い』

⑦1994年『砂の惑星』と『私の運命』(第1部)

⑧1995年『命の花』と『私の運命』(第2部)

⑨1995年『あなただけを ~Summer Heart break~』と『いつかまた逢える』

⑩1995年『輪舞曲(ロンド)』と『たたかうお嫁さま』

⑪1996年『まちぶせ』(前編)

⑫1996年『まちぶせ』(中編)

⑬1996年『まちぶせ』(後編)~80年代アイドル歌謡史~

 

 

1976(昭和51)年、ユーミン(荒井由実)が作詞・作曲した、

『まちぶせ』

という楽曲が、三木聖子に提供されたが、三木聖子が歌った『まちぶせ』は、残念ながら、ヒットには結び付かなかった。

しかし、その5年後の1981(昭和56)年、『まちぶせ』石川ひとみに提供され、石川ひとみが歌った『まちぶせ』は大ヒットを記録した。

…という事で、『まちぶせ』という楽曲を巡る物語と、ユーミン(松任谷由実)中島みゆきという、偉大なる二大女性アーティストの活躍などを描く、『まちぶせ』編は、今回で「最終回」であるが、

1996(平成8)年、いよいよ「真打ち登場」とばかりに、

『まちぶせ』

を作った本人であるユーミン(荒井由実)が、この曲をセルフ・カバーする事となった。

というわけで、「1992~1996年のサザンとユーミン」の「第14回」、「1996年『まちぶせ』(完結編)」を、ご覧頂こう。

 

<ユーミン(松任谷由実)、角川映画の2大スター、原田知世&薬師丸ひろ子に楽曲提供~原田知世『時をかける少女』(1983)と、薬師丸ひろ子『Woman "Wの悲劇"より』>

 

 

 

1980年代、ユーミン(松任谷由実)は、かつてのハリウッド映画の大女優、グレタ・ガルボをもじった、

「呉田軽穂」

というペンネームを名乗り、作詞家の松本隆とタッグを組んで、松田聖子に次々に楽曲提供し、いずれも大ヒットさせ、「作家」としても大活躍していたが、ユーミン(松任谷由実)松田聖子以外の歌手にも、沢山の楽曲提供をしている。

1970~1980年代にかけて、

「角川映画」

が大ヒット作を連発し、日本映画界に旋風を巻き起こしていたが、その「角川映画」の2大スターといえば、薬師丸ひろ子原田知世である。

1983(昭和58)年、原田知世が主演した角川映画が、筒井康隆が原作の、

『時をかける少女』

だが、ユーミン(松任谷由実)が作詞・作曲した、映画と同名タイトルの楽曲、

『時をかける少女』

が、この映画の主演女優・原田知世に楽曲提供され、原田知世が歌った『時をかける少女』は、オリコン最高「2位」という大ヒットを記録している。

(※『時をかける少女』の作詞・作曲は、松任谷由実名義である)

 

 

 

 

そして、翌1984(昭和59)年、今度は、角川映画のもう一人の大スター、薬師丸ひろ子が主演したのが、

『Wの悲劇』

であるが、この映画の主題歌、

『Woman "Wの悲劇"より』

を、作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂(松任谷由実)というゴールデン・コンビが手掛け、勿論、この映画に主演した薬師丸ひろ子が歌ったが、『Woman "Wの悲劇"より』は、オリコン最高「1位」という大ヒットを記録している。

こうして、ユーミン(松任谷由実)は、原田知世・薬師丸ひろ子という、角川映画の2大スターの曲も大ヒットさせ、ユーミン(松任谷由実)「作家」としての名声は、ますます不動の物となった。

 

<1986(昭和61)~1987(昭和62)年…日本テレビ「メリークリスマス・ショー」で、桑田佳祐&ユーミン(松任谷由実)が共演し、『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』(作詞:松任谷由実、作曲:桑田佳祐)を歌う>

 

 

 

さて、このブログでは既に何度も書いた話だが、

1985(昭和60)年限りで、サザンオールスターズは一旦「活動休止」し、

1986(昭和61)~1987(昭和62)年にかけて、桑田佳祐をはじめ、サザンの各メンバー達はソロ活動を行なっていたが、

1986(昭和61)~1987(昭和62)年に、2年連続で、桑田佳祐がプロデュースを行なった、日本テレビのクリスマス特番、

「メリー・クリスマスショー」

が放送されたが、その番組のテーマ曲として、ユーミン(松任谷由実)が作詞し、桑田佳祐が作曲した、

『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』

という曲が歌われた。

「作詞:松任谷由実、作曲:桑田佳祐」

という、まさしく「夢のコラボ」が実現したわけだが、このクリスマス特番には、超豪華アーティストがズラリと顔を揃え、本当に華やかな番組だった。

それは、まさに当時、桑田佳祐ユーミン(松任谷由実)が、日本の音楽界のトップ・アーティストである事を示す、象徴的な番組でもあった。

そして、この後、ユーミン(松任谷由実)のライバル、中島みゆきは、ある歌手との「出逢い」により、「作家」として大ヒット曲を連発して行く。

その「ある歌手」とは、工藤静香である。

 

<中島みゆきと、「おニャン子クラブ」を経てソロ・デビューした工藤静香が出逢う~「作詞:中島みゆき、作曲:後藤次利」のコンビで、『FU-JI-TSU』、『MUGO・N…色っぽい』、『黄砂に抱かれて』etc…工藤静香が大ヒットを連発>

 

 

 

さて、フジテレビの番組、

「夕やけニャンニャン」

をキッカケとして、同番組の放送作家だった秋元康がプロデュースした、

「おニャン子クラブ」(1985~1987)

という、大所帯のアイドルグループが有ったが、その「おニャン子クラブ」のメンバーの一人だったのが、工藤静香である。

「おニャン子クラブ」からは、「うしろゆびさされ組」「うしろ髪ひかれ隊」という派生ユニットも生まれたが、工藤静香は、その内の「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーにも抜擢されていた。

 

 

 

 

当時、「おニャン子クラブ」がリリースした曲は、軒並み大ヒットしていたが、

1987(昭和62)年、フジテレビで放送されていたアニメ、

『ハイスクール!奇面組』

の主題歌に起用され、工藤静香も所属していた「うしろ髪ひかれ隊」が歌った、

『時の河を越えて』

は、何とオリコン最高「1位」の大ヒットを記録している。

ちなみに、この曲を作ったのは、作詞:秋元康、作曲:後藤次利というコンビであった。

 

 

1987(昭和62)年、「おニャン子クラブ」が解散した後、

同年(1987年)、工藤静香はソロ・デビューしたが、

その工藤静香のソロ・デビュー曲としてリリースされたのが、

『禁断のテレパシー』(作詞:秋元康、作曲:後藤次利)

という曲である。

そして、『禁断のテレパシー』はオリコン最高「1位」という大ヒットを記録すると、

工藤静香は、『禁断のテレパシー』『Again』『抱いてくれたらいいのに』…と、ソロ歌手として大ヒット曲を連発し、工藤静香はソロ歌手として「大化け」して行く。

 

 

 

 

翌1988(昭和63)年6月1日、

工藤静香の4枚目のシングルとしてリリースされたのが、

作詞:中島みゆき、作曲:後藤次利というコンビによって作られた、

『FU-JI-TSU』

という曲である。

この曲から、中島みゆきが、工藤静香の楽曲の作詞を手掛け、後藤次利が作曲する…という体制が始まるが、

『FU-JI-TSU』はオリコン最高「1位」の大ヒットとなった。

なお、『FU-JI-TSU』とは「不実」を意味する言葉であるが、この曲を歌っていた当時、工藤静香は18歳だったというのだから、驚いてしまう。

今見ると、随分と大人っぽい18歳である。

 

 

 

 

 

続いて、1988(昭和63)年8月24日、

前作『FU-JI-TSU』に引き続き、

「作詞:中島みゆき、作曲:後藤次利」

のコンビが手掛けた、工藤静香の5枚目のシングル、

『MUGO・N…色っぽい』

がリリースされたが、『MUGO・N…色っぽい』もオリコン最高「1位」の大ヒットとなった。

中島みゆきは、作詞のみの参加ではあるが、

「目と目で 通じ合う かすかに ん…色っぽい」

「目と目で 通じ合う そうゆう仲になりたいわ…」

というフレーズなどは、大変キャッチーであり、流石は中島みゆき…と思わされる。

 

 

 

その後も、工藤静香の快進撃は、まだまだ続き、

 

・1988/12/28『恋一夜』(作詞:松井五郎、作曲:後藤次利)

・1989/5/3『嵐の素顔』(作詞:三浦徳子、作曲:後藤次利)

 

…と、工藤静香は、またまたオリコン最高「1位」の大ヒット曲を連発した。

当時の世の中は「バブル景気」の真っ只中であり、工藤静香の派手なメイクと衣装は、その「バブル景気」を象徴するような華やかさが有ったが、工藤静香は女性人気も高く、それが大ヒットの連発に繋がっていた。

特に『嵐の素顔』は、その個性的な振り付けも話題を呼び、未だに現代の世でも「モノマネ」されるぐらいインパクトが有った。

そして、その後、中島みゆきが、再び工藤静香の楽曲の作詞を行なう事となった。

 

 

 

 

1989(平成元)年9月6日、工藤静香の8枚目のシングル、

『黄砂に吹かれて』

は、再び、作詞:中島みゆき、作曲:後藤次利のコンビによって作られた楽曲であるが、

『黄砂に吹かれて』も、オリコン最高「1位」となったが、工藤静香はこれで5作連続(※通算6度目)のオリコン「1位」という快進撃であり、まさしく、

「工藤静香の時代」

を到来させたが、その「工藤静香の時代」の立役者の一人だったのは、「作家」としての中島みゆきであった。

なお、工藤静香は、この後「9作連続オリコン『1位』」という快挙も達成している。

 

<1992(平成4)年11月9日…松任谷由実・カールスモーキー石井『愛のWAVE』リリース~オリコン最高「1位」の大ヒット>

 

 

 

さて、前述の通り、

『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』

という曲で、桑田佳祐との異色のコラボを実現させたユーミン(松任谷由実)は、

今度は、米米CLUBのボーカル、カールスモーキー石井とのコラボを行ない、

1992(平成4)年11月9日、松任谷由実・カールスモーキー石井名義で、

『愛のWAVE』

というシングルをリリースした。

この曲は、ユーミン(松任谷由実)石井竜也(カールスモーキー石井)が「共作」し、フジテレビのキャンペーン・ソングとしてリリースされたが、『愛のWAVE』はオリコン最高「1位」の大ヒットとなった。

この年(1992年)米米CLUBがリリースした楽曲、

『君がいるだけで』

が、米米CLUBのキャリア最大のヒット曲となっており、その勢いも有ったと思われるが、ユーミン(松任谷由実)は他アーティストとのコラボでも、素晴らしい曲を出し、まさに円熟味を増していた。

 

<1993(平成5)~1996(平成8)年のユーミン(松任谷由実)~テレビドラマとのタイアップで大ヒット曲を連発>

 

 

さて、これは「1992~1996年のサザンとユーミン」のシリーズ記事の「おさらい」になるが、

1993(平成5)~1995(平成7)年にかけて、ユーミン(松任谷由実)はテレビドラマとのタイアップで、大ヒット曲を連発した。

以下、それを列挙しておく。

 

・1993/7/26…『真夏の夜の夢』(※TBSドラマ『誰にも言えない』とのタイアップ)

・1994/7/27…『Hello,my friedo』(※フジテレビドラマ『君といた夏』とのタイアップ)

・1994/10/24…『春よ、来い』(※NHK連続テレビ小説『春よ、来い』とのタイアップ)

・1995/11/13…『輪舞曲(ロンド)』(※日本テレビドラマ『たたかうお嫁さま』とのタイアップ)

 

…その他、1994(平成6)~1995(平成7)年にかけて放送された、TBSドラマ、

『私の運命』

とのタイアップで、

『砂の惑星』『命の花』

という曲も有った。

という事で、この時期に放送された、上記のテレビドラマを見ていた方は、

「ああ、そう言えば、あのドラマの主題歌はユーミンだったな…」

と、思い出される方も多いと思われる。

 

<1992(平成4)年7月29日…中島みゆき、通算28枚目のシングル『浅い眠り』リリース~フジテレビドラマ『親愛なる者へ』の主題歌に起用~中島みゆきも「女医」役で出演し、話題に~>

 

 

 

1992(平成4)年7月29日、中島みゆきは、通算28枚目のシングル、

『浅い眠り』

をリリースした。

『浅い眠り』

は、1992(平成4)年7月~9月にかけて放送され、柳葉敏郎・浅野ゆう子が主演したフジテレビドラマ、

『親愛なる者へ』

の主題歌として起用され、『浅い眠り』は、オリコン最高「2位」の大ヒットとなった。

私も『浅い眠り』は大好きな曲だが、この『親愛なる者へ』は、もう一つ、大きな話題が有った。

 

 

 

中島みゆきという人は、テレビには殆んど出ない人である。

しかし、中島みゆきは、自身が歌う、

『浅い眠り』

が主題歌として起用された、

『親愛なる者へ』

に、「女医」役として、2度も出演した。

中島みゆきがテレビドラマに出るというのは大変珍しく、当時、大いに話題になったが、中島みゆきがテレビに出る事自体、デビュー当時以来、10数年振りの事であった。

「出来心で、(ドラマに)出てしまいました…」

当時、中島みゆきは、そのようなコメントを残しているが、当時、このドラマを見た人は、大変レアな物を見た…という事である。

 

<中島みゆき、1994(平成6)年の『家なき子』の主題歌『空と君のあいだに』と、1995(平成7)年の『家なき子2』の主題歌『旅人のうた』リリース~共にオリコン「1位」の大ヒット>

 

 

 

さて、1990年代の中島みゆきの楽曲の代表作と言えば、

やはり、何と言っても、1994(平成6)年に放送された、安達祐実主演の日本テレビのドラマ、

『家なき子』

の主題歌として起用された、

『空と君のあいだに』

と、翌1995(平成7)年、その「続編」として放送された、

『家なき子2』

の主題歌として起用された、

『旅人のうた』

であろう。

『空と君のあいだに』は、1994(平成6)年5月14日に、中島みゆきの通算31枚目のシングルとしてリリースされ、

『旅人のうた』は、翌1995(平成7)年5月19日に、中島みゆきの通算32枚目のシングルとしてリリースされたが、

前述の通り、『家なき子』シリーズの主題歌として起用された、『空と君のあいだに』『旅人のうた』は、共にオリコン「1位」の大ヒットとなり、まさに中島みゆきのキャリアを代表する「名曲」として、多くの人達に愛された。

 

 

 

そして、この曲の話題に触れる度に、私はこのブログで何度も書いて来ているが、

『空と君のあいだに』

は、『家なき子』で、「これでもか」というぐらい悲惨な目に遭う安達祐実に寄り添う、愛犬・リュウの視点として描かれれている。

「空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る…」

というのは、まさに愛犬・リュウから見た安達祐実が演じる主人公・相沢すずへの視点であり、

「君が笑ってくれるなら 僕は悪(あく)にでもなる…」

というフレーズも、リュウとすずの強い結び付きを示す物である…と言って良い。

これを、中島みゆきが、力強く朗々とした歌声で歌っているのが、何とも素晴らしい。

という事で、ユーミン(松任谷由実)が活躍すれば、負けじと中島みゆきも「名曲」を生み出す…という図式は、1970年代のお互いのデビュー当時から、ずっと続いている。

これは、本当に物凄い事である。

 

<1996(平成8)年7月15日…ユーミン(荒井由実)が『まちぶせ』のセルフ・カバーのシングルをリリース~20年越しでユーミン(荒井由実)本人が遂に『まちぶせ』を歌う!!>

 

 

さてさて、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズとして、これまで語って来た、ユーミン(松任谷由実)の物語は、いよいよこれで「最終節」である。

1996(平成8)年7月15日、ユーミン「荒井由実」名義で、

『まちぶせ』

を、セルフ・カバーのシングルとして、リリースした。

1976(昭和51)年、ユーミン(荒井由実)が作詞・作曲し、三木聖子に初めて提供された時から数えると、実に20年越しに、ユーミン(荒井由実)本人によって、

『まちぶせ』

が歌われた…という事である。

『まちぶせ』

と言えば、1981(昭和56)年に石川ひとみが歌い、大ヒットさせた…という印象が強かったが、

「一丁、私も歌ってみるか…」

と、ユーミン(荒井由実)本人が思ったのかもしれない。

 

 

1996(平成8)年に、ユーミン(荒井由実)本人が歌った、

『まちぶせ』

は、テレビドラマとのタイアップこそ無かったが、当時、日本テレビで土曜日の夕方に放送され、中山秀征が司会を務めていた、

「TVおじゃマンボウ」

という情報番組のエンディング・テーマとして起用されていた。

なお、中山秀征といえば、日本テレビのドラマ、

『静かなるドン』

に主演し、そのドラマの主題歌だったのが、桑田佳祐が歌う、

『祭りのあと』

という曲だった…というのは、既にこの連載記事で書いた通りである。

 

 

 

さて、こうして20年越しに、ユーミン(荒井由実)本人が歌う事となった、1996(平成8)年版の、

『まちぶせ』

であるが、ユーミン(荒井由実)曰く、

「ストーカーの女の子の曲」

…と、やや自嘲気味(?)に、この曲について語っている。

確かに、そう捉えられても仕方ないような歌詞ではあるが、

「一人の男性を一途に想い続ける女性の歌」

という見方も出来るというか、その切ない想いが伝わって来るような、素晴らしい曲である。

なお、1996(平成8)年にユーミン(荒井由実)本人が歌った『まちぶせ』は、オリコン最高「5位」のヒット曲となった。

…という事で、

『まちぶせ』

の歌詞を、ご紹介させて頂き、この記事の締めくくりとさせて頂くが、次回の記事は、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

シリーズの「最終回」として、1996(平成8)年にリリースされた、サザンオールスターズ「あの曲」について、ご紹介させて頂く予定である。

 

 

『まちぶせ』

作詞・作曲:荒井由実

唄:三木聖子、石川ひとみ、荒井由実

編曲:松任谷正隆

 

夕暮れの街角 のぞいた喫茶店

微笑み見つめ合う 見覚えある二人

あの娘が急になぜか きれいになったのは

あなたとこんなふうに 会ってるからなのね

 

好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと

もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる

 

気のないそぶりして 仲間に加わった

テーブルをはさんで あなたを熱く見た

 

あの娘がふられたと 噂に聞いたけど

私は自分から 云いよったりしない

別の人がくれた ラブレター見せたり

偶然をよそおい 帰り道を待つわ

 

好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと

もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる

 

好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと

もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる

 

あなたをふりむかせる

 

(つづく)

私が大好きなサザンオールスターズ桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材にして、

「原案:桑田佳祐」

として、私が勝手に「短編小説」を書くという、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズは、現在、「27本」を書いて来ている。

そして、現在は、

『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

から始まる「4部作」を連載中であるが、現在は「4部作」の内の「その3」までを書いて来た。

 

 

という事で、まずは、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズの、これまでの「27本」のタイトルを、ご紹介させて頂く。

 

①『死体置場でロマンスを』(1985)

②『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)

③『マチルダBABY』(1983)

④『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』(1982)

⑤『私はピアノ』(1980)

⑥『夢に消えたジュリア』(2004)

⑦『栞(しおり)のテーマ』(1981)

⑧『そんなヒロシに騙されて』(1983)

⑨『真夜中のダンディー』(1993)

⑩『彩 ~Aja~』(2004)

⑪『PLASTIC SUPER STAR』(1982)

⑫『流れる雲を追いかけて』(1982)(※【4部作ー①】)

⑬『かしの樹の下で』(1983)(※【4部作ー②】)

⑭『孤独の太陽』(1994)(※【4部作ー③】)

⑮『JOURNEY』(1994)(※【4部作ー④】)

⑯『通りゃんせ』(2000)(※【3部作ー①】)

⑰『愛の言霊 ~Spiritual Message』(1996)(※【3部作ー②】)

⑱『鎌倉物語』(1985)(※【3部作ー③】)

⑲『夕陽に別れを告げて』(1985)

⑳『OH!!SUMMER QUEEN ~夏の女王様~』(2008)

㉑『お願いD.J.』(1979)

㉒『恋するレスポール』(2005)

㉓『悲しい気持ち(Just a man in love)』(1987)

㉔『Moon Light Lover』(1996)

㉕『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』(2007)

㉖『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』(1998)

㉗『ハートせつなく』(1991)

 

 

…という事であるが、冒頭でも書いた通り、現在は「4部作」を連載中である。

その「4部作」の「その3」までが終了しているが、その各話のタイトルは、下記の通りである。

 

・『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』(2007)

・『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』(1998)

・『ハートせつなく』(1991)

 

…今回、連載している「4部作」のテーマは、ズバリ何かと言えば、

「不倫の恋」

である。

ある銀行に勤める男が出逢った、マリリン(榊マリ)という不思議な女との「不倫の恋」を描いているが、これまで、どんな顛末だったのかは、宜しければ、これまでの3回分をご覧頂きたい。

そして、今回は「4部作」の「その4」であり、いよいよ「4部作」の「最終回」であるが、

その題材となる曲は、1992(平成4)年にリリースされたサザンオールスターズのアルバム、

『世に万葉の花が咲くなり』

に収録されている楽曲で、原由子がメイン・ボーカルを務めている、

『ポカンポカンと雨が降る(レイニー ナイト イン ブルー)』

という曲である。

 

 

 

このブログでも、度々、書いているが、

『世に万葉の花が咲くなり』

は、全16曲が収められているアルバムであり、本当に「捨て曲無し」の名盤中の名盤である。

全16曲のどの曲をシングルのA面としてリリースしても良いぐらい、素晴らしい出来栄えの曲ばかりであり、それこそ何百回聴いても飽きないぐらい凄いアルバムである。

『ポカンポカンと雨が降る(レイニー ナイト イン ブルー)』

は、桑田佳祐が作詞・作曲し、先程も述べた通り、原由子がメイン・ボーカルを務めているが、「昭和歌謡」テイストも漂う、大人の楽曲…といった趣が有る。

 

 

そして、サザンが、1992(平成4)~1993(平成5)年にかけて、サザンは、

『世に万葉の花が咲くなり』

というアルバムを引っ提げ、

「歌う日本シリーズ」

と題した全国ツアーを行なっているが、勿論、

『ポカンポカンと雨が降る(レイニー ナイト イン ブルー)』

も披露され、原由子が素晴らしいボーカルを聴かせてくれていた。

…という事で、「前置き」はそれぐらいにして、

「サザンの楽曲・勝手に小説化シリーズ」の「第28弾」であり、

「マリリン(榊マリ)4部作」の「その4(最終回)」の、 

『ポカンポカンと雨が降る(レイニー ナイト イン ブルー)』(原案:桑田佳祐)

を、ご覧頂こう。

 

<序章・『スローモーション』>

 

 

私達が立つステージは、今日も華やかで煌びやかな、沢山のライトに照らされていた。

そして、私達は、会場を埋め尽くしていた沢山のお客さん達から、大きな喝采を浴びていた。

そういった体験は、誰にでも出来るものではない。

そういう意味では、私達はとても幸せだった。

でも…。

「みんな、来てくれてどうも有り難う!!」

私は、ステージ上で声を張り上げ、私達を見に来てくれたお客さん達に、精一杯の感謝の気持ちを伝えた。

すると、私の声に呼応して、更に大きな歓声が上がった。

「何か、本当に夢みたい…」

私は、その光景を見て、何だか自分が自分ではないような、不思議な気持ちになっていた。

そして、まるで全ての光景がスローモーションのように見えた…ような気さえしていた。

「私達のバンドって…。いや、私って、本当にこんなにお客さん達に見に来てもらえるような値打ちが有るのかしら…」

私は、表情は精一杯の笑顔を浮かべていたものの、心の中は何処か冷めていて、密かにそんな事を思ったりしていた。

私は今、あるバンドのボーカルとして、ステージに立っていた。

本当に幸運な事に、私のバンドは、今こうやって、プロとしてステージに立っている。

でも、本当は私の心の中は、不安でいっぱいだった…。

 

<第1章・『1/2の神話』>

 

 

「私ってさ…。何もかも中途半端なんだよね…」

私は、車の助手席に座り、私の隣で車を運転している「彼」に、ポツリとそんな事を言った。

「中途半端って…何が?」

「彼」にそう聞かれ、私は今、思っている事を正直に伝えた。

「私って、こうやってバンドのボーカルをやらせてもらってるけど、歌だってそんなに上手くないし…。それに、音楽の知識だって全然無いから…」

私は、今、隣に座っている「彼」が結成した学生バンドに、あるキッカケでボーカルとして迎えられた。

そして、そのバンドは色々有ったけど、紆余曲折を経て、遂にプロとしてデビューしてしまった。

それはもう、私の周りの環境は目まぐるしく変わって行ったけど、私自身は全く成長していない…私はいつも、そんな不安を抱えていた。

「彼」は私の言葉を聞くと、

「そんな事ないよ。それに、上を見たってキリが無いし、みんなで一緒に上手くなって行けば良いんじゃないか?」

と言ってくれた。

「そうだね…」

私は、とりあえず頷いておいた。

「それに、君は最近、歌のレッスンにも行ってるし、本当にここ最近、歌も格段に良くなったよ。これは、俺の客観的な意見だよ」

「彼」にそう言ってもらえて、率直に私は嬉しかった。

「ありがと…」

私も素直にお礼を言った。

私は、今、隣で車を運転している「彼」…バンドリーダーの「彼」とは、公私共に「パートナー」である。

「彼」はそうやって、いつも誰よりも私の事を「過大評価」してくれる。

それは、とても嬉しい事ではあるけれど、音楽の天才である「彼」と比べると、プロのアーティストとしては、私にはどうにも「核」が無いような気がしていた。

「あとさ…。私の悩みって、やっぱり曲が書けないって事なんだよね…」

私は、この際だからと、もう一つの悩みを「彼」に伝えた。

「そんな事ないだろ…。『私はピアノ』っていう、素晴らしい曲を書いたじゃないか」

「彼」の言う通り、私はかつて、

『私はピアノ』

という曲を書いた事が有った。

私は一応、子供の頃からピアノを習っていたし、そのピアノの経験も活かして、『私はピアノ』という曲を書く事が出来た。

「でも、あれは…。私の実体験から書いた曲だったから…。だから、それ以外で、自分で歌の世界を作る事が出来ないの。貴方は、そんな事は無いでしょ?」

私は「彼」にそう言った。

『私はピアノ』

は、私と「彼」との間に有った出来事を元に書いた「私小説」みたいな物だったから…だから私にも書けたのだと思う。

でも、それを書いてしまったら、後はもう、私の「引き出し」は空っぽだった。

それに引き換え、「彼」「引き出し」は本当に多く、歌でありとあらゆる「物語」を紡ぎ出しているように見えた。

私には、そんな芸当はとても出来なかった…。

「とにかく、私はまだまだ半人前なのよ…」

そう言って私は溜息をついた…。

 

<第2章・『トワイライト -夕暮れ便り-』>

 

 

車の窓の外には、夕暮れの空が見えていた。

「ねえ…。貴方が曲を作る時って…どういう風に思い付くの?」

私は、前々から気になっていた事を、「彼」に聞いた。

「貴方の曲って、本当に多彩よね…。色んな恋の話が出て来るじゃない?何か…本当に『恋多き男』って感じよね…」

私は半ば冗談めかして言ったが、思わず「彼」は目を丸くして、そして咽(むせ)てしまっていた。

「ちょっと、大丈夫?」

私は、「彼」の背中をさすった。

「全く、何て事を言うんだと思ったよ…」

そう言って「彼」が苦笑いしていたのを見て、私も思わず笑ってしまった。

「俺は、そんな『恋多き男』じゃないよ…。まあ、でも曲を書く時は、実体験というよりも…まあ、妄想力かな…」

と、「彼」は言った。

「ふーん…。妄想力ねえ…」

私も、今、「彼」が言った言葉を繰り返した。

「それに、大体、人間が人生で体験できる事なんて、たかが知れてるんだよ。だから、それこそ沢山の映画を見たりとか、本を読んだりとか、あとは良い音楽を沢山聴くとか…。そうやって、自分の中で色々な事を蓄積して行くっていう事を、俺は意識してるかな…」

「彼」は、今、私に対し、「創作」の秘密を明かしてくれていた。

つまり、何かを生み出すには、まずは自分の中で「蓄積」が無いとダメだと、「彼」は私に教えてくれていた…。

「そういう蓄積が、何かのキッカケで出て来たりすると、俺は思うよ…。それも含めての『妄想力』だね」

「そっか…。わかった、ありがと…」

私達がそんな会話を交わしている内に、車は都内を抜け、横浜へと近付いていた。

窓の外を見ると、夕陽は殆んどビルの谷間に沈みそうになり、横浜の夜景が見えて来ていた。

この時の「彼」との会話が、私に新たな力を与えてくれた…私には、そんな予感が有った。

 

<第3章・『少女A』>

 

 

「送ってくれて、ありがと…」

「ああ。気を付けて帰れよ…」

仕事帰り、「彼」は、横浜に在る、私が住む家の近くまで、いつむ車で送ってくれていた。

そして、私は車を降りたが、今日はそのまま家には帰らず、ちょっと「寄り道」をして行こう…という気持ちになっていた。

既に夜になっていたが、私は自宅とは反対方向の道を、ぶらぶらと歩き始めた。

そこは、ちょっと裏寂れた街角で…沿道には、小さなバーや酒場が並んでいた。

私は普段、あまりお酒は飲まないが、

「ちょっと、行ってみようかな…」

と思い、その中の一つのバーに行ってみる事にした。

さっき、「彼」は、曲作りの「秘訣」を私に教えてくれていた。

「つまり…。曲を作るためには、日頃の取材が大事だって事よね…」

私は、自分なりに、「彼」の言葉をそんな風に解釈していた。

だから、私はこういう場末(って言ったら失礼だけど…)のバーに入り、

「人間観察」

を、ちょっとやってみようか…という気持ちになっていたのである。

勿論、そう都合良く、曲作りのネタになるような事が有るとは、思っていなかったけれど…。

私は、そのバーの重い扉を開けると、扉に取り付けられた鈴が、カランカランと鳴った。

「いらっしゃいませ…」

中を見ると、そのバーにはカウンターが有り、カウンターの中では、マスターらしき男の人が、グラスを磨いていた。

カウンターの他には、テーブルがいくつか有るが、お店はもうそれだけで一杯だった。

つまり、それほど広いお店ではなかった。

そして、カウンターには…一人、先客が居た。

「何にしますか?」

マスターにそう聞かれ、私はとりあえずカウンターの席に座ると、ジントニックというカクテルを注文した。

そして、横目でチラっと、先客を見ると…それは、とても綺麗な女性だった。

でも、彼女の横顔はとても寂しそうに見えた。

「何か、不思議な女(ひと)…」

彼女は、私から見ても本当に美人だったが、国籍不明というか何と言うか…とても不思議な雰囲気の有る女(ひと)に見えた。

「この女(ひと)って、どんな女(ひと)なんだろう…」

私は、失礼の無いよう、あまりジロジロ見ないようにしていたが、やはりどうしても視線は彼女の方に吸い寄せられてしまっていた。

年齢は、恐らく私よりも少し年上ぐらい…20代半ばぐらいだろうか。

でも、彼女には、まるで少女のような儚げな危うさもあるように見えた。

私は、そんな彼女の事を、心の中で密かに、

「少女A」

と、命名(?)していた…。

 

<第4章・『禁区』>

 

 

彼女は、そのバーで、独り寂しく、お酒を飲んでいた。

「こんなに綺麗な女(ひと)なのに…。何か寂しそうな女(ひと)…」

一体、この女(ひと)には、どういう背景が有ったのだろう…。

私は、頭の中で勝手にグルグルと「妄想」を思い浮かべていたが、その時、ふと私と彼女の目がバッチリと合ってしまった。

「あ…。ごめんなさい…」

私は思わず謝ってしまった。

別に、何か悪い事をしたわけじゃなかったけれど…。

「ううん、いいのよ…」

彼女は、そう言ってくれていた。

「あのう…。ここには、よく来るんですか?」

私は、思い切って彼女に話しかけてみた。

彼女は、少しビックリしていたが、

「ええ。前はよく来ていたわ…。彼と一緒にね…」

と、答えてくれた。

「そうだったんですね…」

私は彼女の言葉を聞き、思わず、こう聞いてしまっていた。

「今日は、その方と一緒ではないんですね…」

すると、彼女は寂し気な笑みを浮かべ、

「今日は、私、独りだけよ。彼とはもう別れたから…」

と言った。

私はハッとして、

「ごめんなさい…」

と、謝った。

「いいのよ、謝らなくて…」

彼女は、そう言って、私を許してくれた。

「だって…。初めからこうなる事は、わかっていたわ…。私が付き合ってた人って…奥さんが居る人だったから…」

彼女の言葉を聞き、私は思わず息を呑んだ。

「それって…」

「そう、私、不倫してたのよ…」

彼女の言葉は、私にとって、少なからず衝撃的だった…。

「ねえ。私の不倫の恋の話、聞きたい?」

彼女が、私の顔を覗き込んだ。

彼女の視線に射すくめられると、私は身動きが取れなくなってしまうような感覚になっていた。

そして…私はコクリと頷いていた。

 

<第5章・『十戒』>

 

 

「私…。本当に罪な女なの…。奥さんが居る男の人を好きになって、その人の家庭をメチャクチャにしてしまったのよ…」

私は、その女(ひと)の隣に座り、彼女の告白に耳を傾けていた。

その女(ひと)は、凡(おおよ)そ、次のような事を、私に語った。

「私は、ある所で出逢った男の人を、物凄く好きになってしまったわ。もう、その人の事しか考えられなくなってしまったぐらい…。でも、最初から、その人には奥さんもお子さんも居る事を、私は知ってたの。それでも、私は自分の気持ちを抑える事が出来なかった…」

私は、ただ黙って、彼女の言葉に耳を傾けていた。

「そして…。もっと最低な事に、私は彼を追いかけて、とうとう彼と同じ職場に入ったの…。勿論、彼を逃さないようにするためよ。とにかく、彼と一緒に居たい一心でね…。そうして、事は私の思惑どおりに進んだわ…。私と彼は、人目を忍ぶ恋をするようになった…」

そこで、彼女は気を落ち着かせるためか、グラスのお酒をグイっと飲み干すと、マスターに「おかわり」を注文した。

そして更に、彼女の話は続いた。

「私も彼も、お酒が好きだったから…。こういうバーに来て、一緒に飲んだりもしたわ…。とにかく、私も彼も、ただ一緒に居たいという気持ちだけだった…。でも、いつかは終わりが来るって、私も彼も、何処かでわかっていたのよね…」

気が付くと、バーの外で、微かに雨音が聴こえていた。

どうやら、外では雨が降っているらしかった。

「そして、そういう秘密の関係が続いた後…。彼の奥さんに、とうとう私達の関係がバレてしまったのよ…。その時の、彼の狼狽(うろたえ)っぷりったら、無かったわね…」

その女(ひと)は、そこで苦い笑みを浮かべた。

それは、何か重い十字架を背負った罪人(つみびと)のような表情に見えた。

「…それで、どうなったんですか?」

私が恐る恐る、そう聞くと、彼女は、

「彼ね…。私にこう言ったの。『俺は、やっぱり家庭を捨てられないから、別れてくれ』って…。それはそうよね…。私も、わかっていた事ではあったけど…。やっぱり、それは悲しかったわね…」

私が彼女を見ると、彼女のグラスに注がれたお酒に、彼女の涙が零れ落ちているのが見えた…。

 

<第6章・『飾りじゃないのよ涙は』>

 

 

「酷い男ですね!!」

私は、まるで自分の事のように憤慨していた。

「結局、その男は、貴方の事も、奥さんの事も泣かせて…みんなを不幸にしただけじゃないですか」

私は本当にそう思って、怒っていた。

すると、その「不倫の恋」の、もう一人の当事者…その女(ひと)は、ちょっと笑顔を見せると、

「そう言ってくれて、有り難う。でも、最初に彼に近付いたのは私だったし…。結局、悪いのは私だったのよ…」

と言った。

「だけど…」

私も、まだ何か言いたかったが、上手く言葉がまとまらなかった。

「とにかく…。それで私達の恋は終わったの。私も、その職場を辞めて、それっきり、もう彼には逢ってないわ…」

その女(ひと)はそう言うと、マスターに、

「熱いお茶を…」

と頼み、気を落ち着かせるように、お茶を飲んでいた。

それにしても…結局、「不倫の恋」は、誰も幸せになれない…という、当たり前過ぎるほど当たり前の事を、私は痛感していた。

結局、「不倫」の当事者になってしまった人達は、こうして泣かされて終わってしまう…。

さっき、私はその男に対して憤慨していたけれど、冷静になって考えてみれば、確かに、最初にその男の事を誘惑(?)したのは、この女(ひと)である。

だとすれば、責任の所在(?)は何処に有るのだろうか…。

私が、そんな取り留めの無い事を考えていると、

「ねえ。今度は貴方の話が聞きたいわ…」

と、彼女に言われ、私はハッとした。

 

<第7章・『セカンド・ラブ』>

 

 

「私の事ですか…?」

彼女にそう聞かれ、私はちょっと困惑してしまったが、

せっかく、彼女が自分の辛い身の上を話してくれたのだから…と、私も、自分の事を話してみる事にした。

「実は私…。あるバンドでボーカルをやってるんです…」

私がそう言うと、彼女は、

「へー、凄いじゃない!!」

と、ビックリした様子だった。

「いえ…。私は全然凄くないんです…。本当に凄いのは、『彼』の方で…」

私は、これまで有った事を、彼女に話した。

ただの歌好きの女の子だった私が、天才ミュージシャンである「彼」の作った学生バンドにボーカルとして入った事、その「彼」が私の初恋の人だった事、色々有った末に、そのバンドがプロとしてデビューした事、そして、今、私はプロとして「壁」にぶち当たっている事…。

「…という事が有って、私も悩んでるんです…。私は本当の恋って、『彼』としかしていないし、恋愛経験もそんなに無いから、私は恋の歌なんて、とても書けないなあって…」

私の話を、彼女はただ黙って聞いてくれていた。

「…そう、わかったわ。話してくれて有り難う…」

そして彼女は私に、こんな事を言った。

「ねえ、恋の歌って、別に本当に自分が体験した事ではなくても、頭の中でイメージさえ湧けば書けるものだと、私は思うわ…。そうだわ、貴方。私の体験を、曲に書きなさい…」

私は、その言葉を聞いて、本当にビックリした。

「え!?でも、それって…」

「いいの。今日、話を聞いてくれた、お礼よ…」

そう言って、彼女は微笑んだ。

「貴方。まだ名前を聞いてなかったわね…」

彼女に聞かれ、私は、

「私の名前は、ユウコ。ユウコって言います…」

と、名乗った。

「そう、ユウコさんね…。ねえ、ユウコさん。ちょっと目を閉じてて…」

彼女に言われると、私は何故か、彼女の言葉に抗えず、目を閉じた。

そして…。

気が付くと、彼女の唇が、私の唇に触れていた。

「ちょっと…」

驚いて、私は何か言い掛けたが、

「いいから…」

と言う彼女に、遮られてしまった。

そして、そのまま私の意識が遠のいて行った…。

意識を失う間際、私は夢うつつの中、

「ねえ、待って…。貴方の名前は…?」

と、彼女に問いかけた。

「私は…榊マリ…。いえ、マリリンよ…」

遠くに聴こえる雨音と共に、そんな声が聴こえたような気がしたが、私はそのまま気を失ってしまった…。

 

<終章・『DESIRE-情熱-』>

 

 

「ユウコ!!凄い曲が出来たじゃないか…」

私が作った曲を聴いて…「彼」をはじめ、私のバンド…「ベターデイズ」の仲間達が、絶賛してくれていた。

あのバーでの不思議な夜…その後、私はどうなってしまったのか、ハッキリとは覚えていない。

でも、気が付くと私は自宅に居て、そして私はピアノに向かって、ありったけの情熱を込めて、一気に曲を作ってしまった。

それは、あのバーで出逢った不思議な女(ひと)…榊マリ…いや、マリリンにインスパイアされて作った曲だった。

彼女との出逢いが無ければ、この曲は出来なかったに違いない…。

「ユウコ、この曲はどうやって思い付いたの?」

「彼」にそう聞かれ、私は、

「さあ…。私にも『妄想力』が備わったのかもね!?」

と、答えになっているのか、なっていないのか、よくわからないような事を言ったので、彼は目を丸くしていた。

「で、この曲のタイトルは何ていうの?」

ギターのタカシに聞かれ、私はこう答えた。

「この曲は…。『ポカンポカンと雨が降る(レイニー ナイト イン ブルー)』っていう曲よ…」

 

 

『ポカンポカンと雨が降る(レイニー ナイト イン ブルー)』

作詞・作曲:桑田佳祐

唄:サザンオールスターズ(リードボーカル:原由子)

 

夢を見るひとときが 思い出にかわる頃

泣きながら振り返る いつかの街角

やがて来るさよならと心では知りながら

誰よりも信じてた あなたの言葉を

 

冷たい夜風に涙がひとしずく

抱(いだ)き合う口づけは永遠(とわ)の蜃気楼

 

★好きよ夜の街 お酒飲み同士じゃない

知り合って寄り添えば

ポカンポカンポカンと雨が降る

 

夏は過ぎ青空に黄昏が浮かぶ頃

待ちわびる恋だけは二度と溺れない

酔い醒めのお茶を飲み

せつなさを噛み締めて

悪戯(いたずら)な面影が胸をかすめてく

 

いけない逢瀬は涙の物語

忍びあう悦びは熱いランデブー

 

好きよいつまでも泣かされ続けたのに

波音が遠ざかり

ポカンポカンポカンと雨が降る

 

★Repeat

 

レイニー ナイト イン ブルー

 私が大好きな、サザンオールスターズ桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材にして、
私が勝手に「短編小説」を書いている、 
「サザンの楽曲・勝手に小説化」 
シリーズは、これまでの所、「26本」を書いて来ている。 
そして、現在は、
『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』
から始まる「4部作」を連載中だが、今回は、
『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』
『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』

…からの「続編」であり、「4部作」の「その3」である。

 

 

それでは、「本編」に行く前に、私が今まで、当ブログで書いて来た、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズの「26本」のタイトルを、ご紹介させて頂く。

 

①『死体置場でロマンスを』(1985)

②『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)

③『マチルダBABY』(1983)

④『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』(1982)

⑤『私はピアノ』(1980)

⑥『夢に消えたジュリア』(2004)

⑦『栞(しおり)のテーマ』(1981)

⑧『そんなヒロシに騙されて』(1983)

⑨『真夜中のダンディー』(1993)

⑩『彩 ~Aja~』(2004)

⑪『PLASTIC SUPER STAR』(1982)

⑫『流れる雲を追いかけて』(1982)(※【4部作ー①】)

⑬『かしの樹の下で』(1983)(※【4部作ー②】)

⑭『孤独の太陽』(1994)(※【4部作ー③】)

⑮『JOURNEY』(1994)(※【4部作ー④】)

⑯『通りゃんせ』(2000)(※【3部作ー①】)

⑰『愛の言霊 ~Spiritual Message』(1996)(※【3部作ー②】)

⑱『鎌倉物語』(1985)(※【3部作ー③】)

⑲『夕陽に別れを告げて』(1985)

⑳『OH!!SUMMER QUEEN ~夏の女王様~』(2008)

㉑『お願いD.J.』(1979)

㉒『恋するレスポール』(2005)

㉓『悲しい気持ち(Just a man in love)』(1987)

㉔『Moon Light Lover』(1996)

㉕『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』(2007)

㉖『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』(1998)

 


…という事であるが、今回、私が書かせて頂く「サザン小説」の題材として選んだのは、1991(平成3)年にリリースされた、原由子の楽曲、 
『ハートせつなく』 
である。 
この曲は、桑田佳祐が作詞・作曲し、原由子のソロ曲としてリリースされた曲だが、
女性の視点から、切ない恋心を歌っている、素晴らしい名曲であり、曲調はポップでありながら、詞の内容は何とも切ない。

その女性心理を、原由子が切々と歌っているが、

『ハートせつなく』

は、私も大好きな曲である。

 


そして、今回は、現在連載中の「4部作」の「その3」として、
『ハートせつなく』
を題材とした小説を書くが、
『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』
『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』

では、主に、「夫」の視点から、「不倫の恋」を描いた。
そして、今回の、
『ハートせつなく』
では、「夫」に裏切られた「妻」の視点から、「不倫の恋」を描く。
果たして、愛していた「夫」に裏切られた「妻」は、一体どのような心境だったのであろうか…?
それでは、前置きはそれぐらいにして、 

「サザンの楽曲・勝手に小説化シリーズ」の「第27弾」、 
『ハートせつなく』(原案:桑田佳祐) 
を、ご覧頂こう。 

(※なお、この小説に登場する個人名・団体名などは全て架空の物であり、実在の物とは関係ありません)

 

<序章・『霧の旗』>

 



「もう、どうして良いか、わからない…」
それが、私の偽らざる心境だった。
私は今、最も大切に思っていた人…私の夫の「裏切り」に遭い、途方に暮れている。
その「裏切り」とは何かと言えば、それは夫の「不倫」である。
「まさか、そんな事は…」
最初は、私も自分でそう信じようとしていた。
しかし、どうも夫が「不倫」をしているらしい…という疑いが出てきて、どうやらその疑いが濃厚になり、そして、それが決定的になった時、私は本当に大きなショックを受けた。
そして、6歳になる娘を連れて、家を飛び出し、そして私の実家へと帰る決断をしてしまった。

 


だが、これから先の事は、まだ何も考えていない。
「五里霧中」
という言葉が有るが、それはまさに、今の私の心を表すのにピッタリな言葉である。
確かに、最近、夫との関係は、上手く行っていなかった。
でも、私達の夫婦は、元々、「大恋愛」の末に、結婚した。
「それなのに、何でこんな事になっちゃったんだろう…」
私は、夕暮れの街を見ながら、溜息をついた。
気がつくと、私の目から勝手に涙が出て止まらなくなっていた。
そして、私は、夫と出逢った頃から、今に至るまでの日々を思い返していた…。

<第1章・『ゼロの焦点』>

 

 

私は、夫に出逢ってからの出来事を、

「日記」

につけていた。

そして、私はその「日記」を元に、夫と出逢ってから今までの事を書いてみる事としたい。
私と夫の「出逢い」…それは、大学時代の「合コン」だった。
私は、中高一貫の女子高に通っていたが、大学も女子大に入った。
女子高では、私も「それなり」に楽しく過ごしていた。
女子高の「恋愛事情」はどうだったのかというと、女子の間でも人気の有る子も居たりしたけど、男女の「出逢い」の機会という点では、それはやっぱり限られていた。
その上、私は女子大に入ったから、「彼氏」を作る機会も、全然無かった。
私は、それまでの恋愛経験は全く「ゼロ」とは言わないが、まあ、それに近かった。

 


そんなある日の事。
私が通う女子大と、ある大学との「合コン」の話が有った。
女子大で知り合った、私の友達が、とても積極的な子で、その子がどういう伝手を使ったのか、ある大学との「合コン」を主催する事になった。
ちなみに、ある大学というのは、あの有名な福澤諭吉先生が作った学校で、お金持ちの子弟が沢山通っている所…と言えば、まあ、おわかり頂けるだろう。
「ねえ、貴方も来てよ!」
私は、その子…慶子という友達に誘われた時、最初はあまり気が進まず、
「うーん、どうしようかな…」
と答えてしまったが、
「もしかしたら、素敵な出逢いが有るかもしれないよ!!」
と、慶子があんまり熱心に誘ってきた事もあり、結局、その「合コン」に行く事になった。

 


そして、その「合コン」当日。
私の通う女子大と、その大学との「合コン」は、お互いに「3対3」の人数で行われた。

「初めまして…」
都内のお洒落なお店に、私達は集まり、「顔合わせ」を行ったが、最初はお互いに、おずおずといった感じで、ぎこちなかったが、やがて、段々と打ち解けて行った。
その時、私は一人の男の子に、まるで吸い寄せられるように、視線が釘付けになっていた。
その男の子は、あまり口数は多くはなく、一緒に来ていた他の二人の男の子が、何か冗談を言って、場を盛り上げようとしているのを、ニコニコしながら見ていた。
でも、私は、その男の子のそんな所が素敵だな…と思っていた。
そう、要するに、私は第一印象から、その男の子にとても惹かれていた。


<第2章・『眼の壁』>

 



その日の「合コン」は、結構盛り上がっていた。
私達は、お酒を飲んでいた事もあり、お互いの話に、大いに笑ったりしながら、とにかく楽しく過ごしていた。
この「合コン」を主催した慶子も、とても楽しそうな様子だった。
その「合コン」も終盤に差し掛かった頃、私はお手洗いに行くため、席を立った。
お手洗いは、店の奥にあったが、先に中に人が入っていたので、私は壁を背にして、少し待っていた。
すると、そこへ、さっきの男の子…そう、私が素敵だなと思っていた、あの男の子がやって来た。
彼も、お手洗いに行くようだった。
「凄く盛り上がってますよね…」
「ええ…」

私達は、そこで少し話したが、彼は、
「ああいう所、本当はあんまり慣れてなくて、ちょっと苦手なんだけどね…」
と言っていた。
「そうなの!?実は私も…」
思わず、私もそう答えていた。
「友達が、あんまり熱心に誘うものだから…」
私がそう言うと、彼も、
「実は、俺もそうなんだよね…。だから、何か気疲れしちゃった」
と言ったものだから、私も、
「わかる!!私も…」
と答えていた。
そして、私達は顔を見合わせ、フフッと笑ってしまった。

 

 

「なかなか話が合うわね…」
と、私が思っていた、その時、
「ねえ、良かったら、今度ご飯でも行こうよ!!」
と、彼がサラリと言って来た。
私は、ちょっとビックリしたが、彼はあくまでも物腰柔らかで、何というか…人を惹き付けるような天性の魅力が有るように思われた。
だから、私は、
「ええ!!行きましょう…」
と、思わず答えてしまっていた。
そして、私達はその場で連絡先を交換してしまった…。
というわけで、これが、後に私の夫になる人との「馴れ初め」である。

 

<第3章・『愛のきずな』>

 



こうして、「合コン」での出逢いをキッカケに、私と彼は付き合い始めた。
付き合い始めの頃、私は彼の大学に遊びに行った事が有った。
彼の大学のキャンパスは、日吉に有ったが、
私が日吉のキャンパスに行き、キョロキョロと彼を探していると、何やら、彼は女の子達に囲まれ、楽しそうに談笑していた。
その時、そんな彼の姿を見て、私は複雑な心境だったが、正直言って、胸がちょっと痛んだ…。

やがて、彼は私の姿を見つけると、満面の笑みで、私に手を振っていた。
「それじゃあ、また!!」
彼は、女の子達にそう言うと、私に向かって駆け寄って来た。

 

 

「よく来てくれたね!!」
彼は、いつものように、優しい眼で、ニコニコしていた。
「うん…」
私は、多分その時、あんまり面白くなさそうな顔をしていたかもしれない。
そして、私は、
「さっきの子達は…?」
と、聞いてしまっていた。
私に聞かれ、彼は、
「え?ああ、同じゼミの子達だよ…」
と、答えた。

「ふーん…」

私は、彼の答えを聞き、ちょっと素っ気ない調子(?)で、相槌を打った。
その時、私が、たぶん変な顔をしていたからか、彼は、それを察したのだろうと思うけど、彼は私と手を繋ぎ、
「さあ、行こう!!」
と言って、早々に大学のキャンパスを出て、私を「デート」に連れて行ってくれた。
その後、彼は、あくまでも私を一番に考えて、私を大切に扱ってくれたが、そういう気遣いが嬉しかった。
でも、私としては、内心、
「この人って、モテるのね…」
という事を思っていて、その事がしっかりと脳裏に刻み込まれた。

 


まあ、そんな事も有ったけど、
私と彼は、「ラブラブ」な恋人同士になり、
夏には、一緒に海に行って、楽しいひと時を過ごしたりしていた。

私は、彼に夢中になり、ちょっとの間、彼と逢えないだけでも、
「彼に逢いたい!!」
という事ばかりを思うようになっていた。
遠く離れた場所に居ても、
「今すぐ雲に乗って、彼に逢いに行きたい…」
と思ったりした事も有った。
とにかく、それぐらい私は彼にゾッコンだったし、彼も私を愛してくれていた…。
今でも、私の心は、あの頃の楽しい思い出ばかりが蘇って来ている。

 

<第4章・『黒革の手帖』>

 



そして、その後、私と彼は、まるで当然の流れのように結婚した。
大学を卒業した後、彼はある銀行に就職し、
私は、あるメーカーに勤めるOLになったが、
私達は、大学を卒業し、社会人になってからも、お付き合いを続けていた。
それから暫く経った頃、私は彼にプロポーズされ、そして私は勿論、プロポーズをOKした。

その時の彼のプロポーズの言葉は、未だに私の胸に、大切な想い出として残っている。

私は、今までの人生で、あの時ほど、嬉しくて感激した事は無かった。

 


結婚式には、私と彼の「出逢い」のキッカケとなった、あの「合コン」を主催してくれた子…私の親友の慶子も来てくれた。
「おめでとう!!」
慶子は、まるで自分の事のように、喜んでくれていたが、友達思いの慶子は、感極まって、目を潤ませていた。
私も、そんな慶子を見て、(結婚の当事者は私なのに…)私の方が、「貰い泣き」しそうになってしまった。
こうして、私と彼は結婚し、夫婦になったが、
結婚した後も、私も仕事を続け、私達の夫婦は、
「共働き」
になった。
さっきも書いた通り、彼はある銀行に勤める事となったが、彼は何やら、
「黒革の手帖」
を、いつも肌身離さず、大事そうに持っていた。
「これには、お客様の大切な個人情報が書いてあるから、勝手に見たらダメだよ」
私は彼に、いつもそう言われていたが、勿論、彼に言われるまでもなく、勝手に見るつもりもなかった。
その後、結婚した翌年に、私は娘を生んだ。
待望の子供が生まれ、彼もとても喜んでいた。

「この子のためにも、俺も頑張らないと!!」
そう言ってくれた彼の事を、私はとても頼もしく思っていた。
そして、後から思えば、この時が私達夫婦にとって、幸せの絶頂だった…。

 

<第5章・『砂の器』>

 



さっきも書いた通り、私と夫は、結婚した後も、「共働き」を続け、結婚した翌年には、娘も生まれた。
しかし、子育てに追われ、色々な「すれ違い」が重なって行く内に、段々と私達夫婦の関係に、亀裂が生じるようになっていた。
あんまり細かく話すと辛くなってしまうから、細かくは言わないが、とにかく、私と夫は、お互いにイライラが募り、ちょっとした事で言い争うようになってしまった…。
私達の結婚生活は、まるで「砂の器」のように、脆くも崩れ去ってしまうのだろうか…その頃、私はそんな事ばかり思っていた。 
「私、最近、彼とあんまり上手く行ってなくて…」
私は、親友の慶子に、電話したり、時には会ったりして、夫の事について、よく愚痴を言ったりしていたが、慶子も、そんな私の愚痴に、よく付き合ってくれていた。
「大変だよね。子育てと仕事の両立って…」
ちなみに、慶子も結婚していて、子供も生まれていた。
慶子は、子供が生まれたのを機に、仕事は辞めていたけど、「子育て」の大変さは、よくわかっていたし、私の境遇に、共感してくれていた。
「ねえ、貴方もちょっとはリフレッシュした方が良くない?例えば、娘さんと二人で、夏休みを取って、実家に帰るとか…」
ある日、慶子にそう言われた私は、
「そっか…。そうしてみようかな…」
と、彼女の考えに賛同していた。
こうして、結婚7年目の夏、私は夫より早めの夏休みを取り、少しの間、実家に帰省する事にした。
「ママ、大丈夫…?」
自宅を出て、実家に帰るまでの道中で、6歳になる娘が、私にそんな事を聞いて来た。
「大丈夫よ。でも、どうして?」
私がそう聞くと、娘は、
「ママ、最近ちょっと疲れてるみたいだったから…」
と言っていた。
その言葉を聞いて、私はハッとした。
「この子に、そんな心配をかけてたなんて…」
私と夫は、最近、喧嘩ばかりだったけど、娘には、なるべくそういう所は見せないように、気をつけているつもりだった。
でも、娘は、母親である私の様子がおかしいと、敏感に気付いていたのだった…。

「ううん、大丈夫よ!!」
私は、笑顔を作り、娘を安心させようとしていた。

 

 

そして、私と娘は、私の実家で、暫くの間、「夏休み」を過ごしたが、この時は心身共に、私もリフレッシュする事が出来たし、娘もとても楽しそうにしていた。
「大丈夫か?」
「何か有ったら、またいつでも帰っておいで…」

私の両親も、そう言ってくれたが、私は、
「大丈夫よ!!」
と、答えていた。

しかし、その時、既に私達夫婦の「破局」の危機は、すぐ目の前まで迫って来ていた…。

<第6章・『疑惑』>

 



「まさか…」
最初は、私もそう思っていた。
しかし、どうやら、私は認めざるを得ないように思われた。
「夫が、浮気をしている」
という事を…。
「夏休み」の帰省を終え、私と娘は、自宅に戻った。
しかし…。
私は、夫の様子が、いつもと違う事に、すぐに気付いた。
表面上、夫はいつもと同じように振る舞おうとしていたが、明らかに「何か」が違っていた。
何処がどう違うのか…と言われると困るが、
私も、伊達に7年も、この人の妻として過ごして来たのではない。
だから、夫の様子が、何かちょっと違う…という事は、敏感に察してしまった。

「何か怪しいな…」
と、私が思ったのは、夫が妙に私に対し、機嫌を取るような事を言ったりする事が増えたから…という事もあった。
そんな事は、絶えて久しかったというのに…。
とにかく、夫の様子が何処となく不自然なのであった。
「まさか…。他に女でも出来たんじゃないでしょうね…」
私の心の中で、「疑惑」の黒い影が、少しずつ大きくなっていた…。

 

<第7章・『点と線』>

 



「慶子…。折り入って、お願いが有るんだけど…」
私は、慶子に会い、この頃、夫の様子が変だ…という事を言った。
「最初は、私の思い過ごしかも…と思ったよ。でも、ここ最近、何か『出張』とか言って、帰りが遅くなる事も増えたし…。何か、明らかに彼の様子が変なんだよね…」
私は、本当はこんな事は親友の慶子には言いたくなかったが、言わずにはいられなかった。
ただ、このままの状態が続くと、私の心が壊れて、どうにかなってしまいそうだった…。
その思いを、洗いざらい、慶子にぶちまけていた。

そんな私の「独白」を、慶子は全て受け止めてくれた。

本当に、友達というのは有り難い…と、その時、私は思った。
「そう…。大変だね…可哀想に…」
慶子は心底、私に同情し、寄り添ってくれていた。
「それで、私へのお願いって、何…?」
慶子に聞かれ、私はこう答えていた。
「貴方のご主人に…それとなく、彼の様子を見ててもらえないかしら…?」
実は、慶子の夫というのは、私の夫と同僚…「横浜大洋銀行」の川崎支店という、同じ職場に勤める同僚だったのである。
「勿論、いちいち監視するとかじゃないよ。何か、彼に変わった様子は無いかとか、何となくで良いから、気にかけてもらえないかな…」
私は、こんな事を親友の慶子に頼むのは、本当に心苦しかった。
でも…。
「他に、こんな事を頼める人なんか、居ないから…」
私は俯き、声を絞り出すように、慶子に伝えた。
「…わかったわ」
少し考えていた様子だった慶子は、一言、そう言った。
「本当にごめんね!!有り難う…」
私は、思わず涙を流し、慶子にお礼の気持ちを伝えていた…。

 


「ねえ。落ち着いて聞いてちょうだい…」
それから暫く経った頃。
慶子が、改まった様子で、私に言って来た。
そして、私は慶子が、彼女の夫から聞いたという、下記の内容の事を、私に伝えた。
「私の夫から聞いた話なんだけどね…」
夫の職場に、最近、榊マリという若い女性の新人が入って来た事、夫が、その人の上司として、よく一緒に行動しているという事、そして…。
「貴方のご主人、最近は『出張』なんて全然行ってないって…」
それを聞き、私は大きなショックを受けた。
でも、その一方で、
「やっぱり、そうか…」
という気持ちも有った。
「それと…。私の夫が、彼を見たって言うの。横浜のボウリング場でね…」
慶子の言葉を聞き、私は動揺していた。
「ボウリング場?どういう事…?」
慶子のご主人が、横浜のボウリング場に行くと、そこに何故か、私の夫が居たという。
しかも…。
「そこには、榊マリって子も居たって…」
やはり、やはりそうだったのか…。
私には「出張」などと嘘を言って、夫は、その榊マリなる女と会っていた…。

 

 

それに、本当はいけない事だと、わかっていたが、私はあの「黒革の手帖」を覗いてしまっていた。

その「黒革の手帖」のカレンダーのページには、いくつか、

「M」

という暗号めいた文字が有った。

恐らく、この「M」というのは、「榊マリ」の事を示していたに違いない。

その「M」の字が書いてある日に、夫は榊マリと「密会」していたのであろう…。
「…これで、全ての『点と線』が繋がったわ…」
私は、ポツリと呟いていた…。

 

<終章・『天城越え』>

 



こうして、夫の「不倫」を確信した私は、すぐさま、行動に移った。
「ほら、支度して。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの所に行くよ」
私は、娘にそう告げていた。
「…また行くの?ねえ、パパはどうするの?」
娘にそう聞かれたが、私は有無を言わさず、
「良いから。早く着替えなさい」
と、ピシャリと言った。
今、夫は、榊マリなる女と、外でコソコソと会い、「逢瀬」を楽しんでいる…。
そう考えると、私の腸は煮えくり返りそうだった。

そして、私は手早く旅支度を整えると、
「実家に帰ります」
という書き置きを残し、娘を連れて家を出た。
私は、娘を連れ、ついこの間、「帰省」していたばかりの、実家へと向かっていた…。

 


私の実家は、天城峠を越えた所…伊豆半島の下田に在る。
夜の天城峠の上に、水色の月が浮かんでいた。
「結婚しよう。これからも、ずっと一緒に居よう!!」
その月を見上げる私の胸には、かつて、優しい眼で私を抱きしめ、私にプロポーズをしてくれた時の彼の姿が思い浮かんでいた。
でも、今、彼の心には、私は居ない…。
今、彼の心には、他の女が居て、彼は他の女を抱きしめている…。

「ママ…」
夜空に浮かぶ水色の月を見上げ、涙が止まらずにいた私に、娘が抱きついて来た。
「ごめんね…」
私はそう言って、娘の事を離さないよう、固く固く、抱きしめていた…。

(つづく)

 

 

『ハートせつなく』

作詞・作曲:桑田佳祐

唄:原由子

 

涙を誘う夕暮れの街

夏の日の想い出を噛みしめる

夜空に浮かぶ水色の月

あの男性(ひと)の面影を映してる

 

やさしい瞳(め)で私を抱いてくれた

最後の言葉が胸に残る I'm callin’

 

ハートがせつなくて 誰より愛していたのに

夢を見る頃はもう二度と帰らぬ I’m fallin'

悲しいこの気持ち 本当の恋に落ちたのに

今頃あなたは誰かを愛してる

 

…I'm feelin' blue…

 

心にしみる情熱の旅

日に焼けた恋人がたわむれる

二つの影が浜辺に落ちて

口づけを交わしたら離れてく

 

このまま今私は雲に乗って

あなたのところへ飛び出したい I'm callin'

 

心がちぎれちゃう あんなに信じていたのに

雨の降る音が夏の終わりを告げ I'm fallin'

これ以上愛せない 素敵な恋に落ちたのに

この頃私はひとり泣き濡れてる

 

やさしい瞳(め)で私を抱いてくれた

最後の言葉が胸に残る I'm callin’

 

ハートがせつなくて 誰より愛していたのに

夢を見る頃はもう二度と帰らぬ I’m fallin'

悲しいこの気持ち 熱い恋に落ちたのに

今頃あなたは誰かを愛してる

誰かを口説いてる

誰かを抱きしめる

 

…I'm feelin' blue…

…I’m waitin' for you…

いやはや、何とも凄い出来事を目の当たりにしてしまった。

昨日(2024/5/6)横浜スタジアムで行われた、横浜DeNAベイスターズ東京ヤクルトスワローズの試合を、私は友人達と現地で観戦していたが、この試合が5年振りの日本復帰初戦となった、我が横浜DeNAベイスターズ筒香嘉智が、3-5とリードされた8回裏に、あまりにも劇的な逆転3ランホームランを打ち、見事にベイスターズが6-5でヤクルトに逆転勝利を収めた。

まさに、私は図らずも「伝説」の目撃者となってしまったわけである。

 

 

…という事で、私としても、まだ興奮冷めやらぬ…といった感じであるが、

既に日付も変わった本日(2024/5/7)は、私は早起きして仕事に行かなければならない。

なので、昨日(2024/5/6)の試合の詳細な「観戦記」などは、また後日改めて…という事にさせて頂き、

今回は、その「伝説」の名勝負の模様を、ごくごく大雑把に書かせて頂く。

それでは、ご覧頂こう。

 

<2024(令和6)年5月24日…「DeNA VS ヤクルト」①~5年振りにベイスターズで日本球界に復帰した筒香嘉智、「6番レフト」でスタメン出場>

 

 

昨日(2024/5/6)横浜スタジアムにて行われた、

「DeNA VS ヤクルト」

の試合を、私は、当ブログにも度々ご登場して頂いている、ベイスターズファン仲間のAさんBさんご夫妻と、ちょうど1年前にも、横浜スタジアムにてご一緒に観戦した、AさんBさんご夫妻のお友達のDさんと見に行った。

席は、横浜スタジアムの一塁側の、かなり前の方であり、グラウンドが目の前という「超良席」である。

そして、冒頭でも述べた通り、この試合は、先頃、5年振りにベイスターズに復帰し、5年振りの日本球界復帰となった、筒香嘉智の、

「5年振りの日本球界(ベイスターズ)復帰初戦」

となった。

試合前、筒香がグラウンドに姿を現すと、横浜スタジアムの観客席からは物凄い大歓声が上がっていたが、

当の筒香は、ご覧の通り、ベイスターズの同僚の選手達と和やかに談笑し、リラックスムードであった。

 

 

 

「筒香だ!!筒香が目の前に居る…」

私としては、もうそれだけで感動していたが、

2019(令和元)年シーズンオフに、ベイスターズを退団し、以後、5年間にわたってアメリカ球界で苦闘を重ねて来た筒香にとって、5年振りの「古巣」ベイスターズ復帰である。

「筒香、お帰り!!」

「筒香、待ってたよ!!」

横浜スタジアムのベイスターズファンからは、次々に筒香に対し、大声援が送られていた。

そして、この試合が復帰初戦となった筒香は、いきなり、

「6番・レフト」

でスタメン出場を果たした。

ベイスターズの三浦大輔監督は、筒香を代打などではなく、いきなり先発出場させるという、思い切った策に出た。

果たして、これが吉と出るか凶と出るか…。

 

<2024(令和6)年5月24日…「DeNA VS ヤクルト」②~筒香が登場するだけで、大いに沸いた横浜スタジアム~筒香は復帰初打席で四球で出塁し、2回裏のベイスターズ逆転のキッカケを作る>

 

 

 

 

さて、その筒香であるが、

2回表、ヤクルトに1点先取された後の2回裏、筒香の第1打席が回って来た。

「6番・レフト・筒香…」

というアナウンスが流れると、横浜スタジアム全体から、割れんばかりの大歓声と大拍手が巻き起こった。

「横浜の空高く ホームランかっ飛ばせ 筒香~!!」

5年振りに、横浜スタジアムの夜空に、筒香の応援歌のファンファーレが響き渡った。

なお、この日のヤクルトの先発投手は、

「通算185勝185敗」

という通算成績を残し、今年44歳になる大ベテラン、石川雅規である。

石川としても、

「通算200勝」

という大目標が有るので、簡単には負けられない思いが有ったであろう。

なお、筒香の復帰初打席は、筒香が石川から四球を選び、

この回、チャンスを広げたベイスターズは、伊藤光の同点タイムリー、京田陽太の犠牲フライで2点を取り、ベイスターズが2-1と逆転に成功した。

なお、京田の犠牲フライで、筒香が逆転のホームインを果たし、またまたベイスターズファンから大歓声が起こった。

 

<2024(令和6)年5月24日…「DeNA VS ヤクルト」③~3-5とリードされたベイスターズ、8回裏2死1・2塁で筒香嘉智が劇的な逆転3ランホームラン!!>

 

 

さて、その後、細かい試合経過は全て「割愛」するが、

ベイスターズは、まずい試合運びで、8回表を終わった時点で、ヤクルトに2-5と3点をリードされてしまった。

そんな中、筒香嘉智は、第1打席から、

「四球」「センターフライ」「左中間フェンス直撃の二塁打」

と、ここまでの所、

「2打数1安打」

という成績を残していた。

しかし、この日のベイスターズは、投手陣も今一つ、打線も繋がりを欠き、ハッキリ言って、

「敗色濃厚」

であった。

「今日は、つまらない凡戦だね…」

私達は、そんな事を言いながら、ひたすら愚痴とボヤキのオンパレード(?)であった。

「でも、8回裏は打順は1番から始まるから、まだわからないよ!!」

私は、そんな事を言って、「空元気」(?)を出していた。

そして、この回(8回裏)、ベイスターズは、ヤクルトの四番手・エスパーダから1死2塁のチャンスを作ると、

3番・佐野恵太が、ライト前に見事なタイムリー安打を放ち、1点を返し、3-5と2点差に迫った。

しかし、続く4番・牧秀悟はアッサリと三球三振に倒れ、2アウトとなったが、5番・宮崎敏郎がしぶとく四球を選び、場面は2死1・2塁となった。

ここで打席に入ったのが、6番・筒香嘉智である。

勿論、一発ホームランが出れば逆転という、これ以上無い、絶好の大チャンスであった。

「ここで、筒香に回って来るのかー!!」

「やっぱり、スターにはこういう場面で回って来るんだよねー」

私達は、そういう事を言ったりしていたが、横浜スタジアムの観客席からは、この日一番の大声援が起こった。

「筒香、ここで打ってくれ!!!!」

全てのベイスターズファンが願うのは、ただ一つ、それだけである。

 

 

 

 

 

そして、ここであまりにも信じられない出来事が起こった。

筒香は、エスパーダの初球を捉え、鋭く振り抜くと、

打球は右中間スタンドに向けて、一直線にグングンと伸びて行った。

その瞬間、横浜スタジアムを埋め尽くしたベイスターズファンは、一斉に総立ちになった。

「行け、行けー!!!!」

ベイスターズファン達が、口々に叫んだ。

そして、打球はベイスターズファンの夢を乗せて、そのまま右中間スタンドへと突き刺さった。

「筒香、起死回生の逆転3ランホームラン!!!!!」

その時の感動と興奮と熱狂を、一体どのように形容すれば良いか、わからないが、とにかく横浜スタジアムは、物凄い興奮の坩堝であり、今までに聞いた事が無いような大歓声が起こっていた。

私もそうだが、ベイスターズファンは皆、狂ったように叫び、雄叫びを上げ、喜びを爆発させていた。

「ここで打つなんて…本当に凄すぎる!!!!」

今、目の前で起こった、あまりにも劇的なドラマに、私も本当に興奮してしまったが、筒香が逆転3ランを打ってくれた時の気持ちは、多分、この先、一生忘れまい。

それぐらい、物凄い感動だった。

そして、感極まって泣いているファンも沢山居た…いや、これは泣いてしまうのも当然である。

「筒香、何て凄い奴だ…」

私は暫くの間、筒香の劇的な逆転3ランの感動と興奮の余韻に浸っていたが、やや興奮が収まって来ると、

「ここで打って欲しい!!」

という場面で、しかも日本球界復帰初戦という舞台で、これ以上ない結果を残してくれた筒香に対し、脱帽するしか無かった。

いやはや、筒香とは本当に物凄い男である。

 

<2024(令和6)年5月24日…「DeNA VS ヤクルト」④~ベイスターズが6-5でヤクルトに逆転勝利!!~筒香が日本球界復帰初戦で「お立ち台」に…>

 

 

 

そして、ベイスターズが6-5と逆転した9回表、

ベイスターズの抑えの切り札・森原康平が、何とかヤクルトの強打者達を抑え、1点のリードを守り、

ベイスターズが6-5でヤクルトに劇的な逆転勝利を収めた。

試合後のヒーローインタビューで、

「お立ち台」

に上がったのは、勿論、筒香嘉智であった。

「筒香、お帰りー!!」

「筒香、有り難う!!!!」

ベイスターズファンからは、またまだ大歓声と大拍手が起こったが、

「やはり、こうしてベイスターズファンの皆さんに応援して頂けるのは、最高に嬉しいです」

と、筒香がインタビューに答えると、ベイスターズファンからは、ヤンヤの大歓声が起こった…。

という事で、私としては、図らずも、

「伝説の目撃者」

となってしまったわけだが、私は長年、大洋ホエールズ~横浜(DeNA)ベイスターズを応援して来て、球場の現地で、こんな劇的な試合を見た事は、初めてである。

先程も述べたが、私としては、

「一生の思い出」

が出来た…と言っても過言ではない。

…というわけで、筒香嘉智選手には、

「筒香、本当に有り難う!!!!」

という言葉をお贈りさせて頂き、(※ごく簡単ではあるが)この記事の締めくくりとさせて頂きたい。

私が大好きなサザンオールスターズ桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材に、私が勝手に「短編小説」を書くという、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズは、これまでの所、「25本」を書いて来ている。

そして、現在は、前作『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』から始まる「4部作」を連載中である。

従って、今回、書かせて頂くのは、『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』「続編」であり、「4部作」の「その2」である。

 

 

という事で、まずは、これまで私が当ブログで書いて来た、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズの「25本」のタイトルを、ご紹介させて頂く。

 

①『死体置場でロマンスを』(1985)

②『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)

③『マチルダBABY』(1983)

④『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』(1982)

⑤『私はピアノ』(1980)

⑥『夢に消えたジュリア』(2004)

⑦『栞(しおり)のテーマ』(1981)

⑧『そんなヒロシに騙されて』(1983)

⑨『真夜中のダンディー』(1993)

⑩『彩 ~Aja~』(2004)

⑪『PLASTIC SUPER STAR』(1982)

⑫『流れる雲を追いかけて』(1982)(※【4部作ー①】)

⑬『かしの樹の下で』(1983)(※【4部作ー②】)

⑭『孤独の太陽』(1994)(※【4部作ー③】)

⑮『JOURNEY』(1994)(※【4部作ー④】)

⑯『通りゃんせ』(2000)(※【3部作ー①】)

⑰『愛の言霊 ~Spiritual Message』(1996)(※【3部作ー②】)

⑱『鎌倉物語』(1985)(※【3部作ー③】)

⑲『夕陽に別れを告げて』(1985)

⑳『OH!!SUMMER QUEEN ~夏の女王様~』(2008)

㉑『お願いD.J.』(1979)

㉒『恋するレスポール』(2005)

㉓『悲しい気持ち(Just a man in love)』(1987)

㉔『Moon Light Lover』(1996)

㉕『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』(2007)

 

 

…という事であるが、今回、私が書かせて頂く「サザン小説」の題材として選ばせて頂いたのは、

1998(平成10)年にリリースされたサザンオールスターズの楽曲、

『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』

である。

この曲は、未だにサザンのライブの「定番曲」であり、サザンファンの中でも特に人気が高い曲だが、

『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』

という楽曲の中には「横浜」の観光名所が沢山出て来るので、

「横浜の名所案内」

という側面もある。

そして、この曲のテーマは、ズバリ何かと言えば、

「不倫の恋」

である。

というわけで、今回の小説は、冒頭で述べた通り、

『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

「続編」として書くので、前作で登場した「あの女」が再び登場する。

従って、宜しければ前作からお読み頂ければ幸いである。

それでは、前置きはそれぐらいにして、

「サザンの楽曲・勝手に小説化シリーズ」の「第26弾」、

『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』(原案:桑田佳祐)

を、ご覧頂こう。

(※なお、この小説に登場する個人名・団体名などは全て架空の物であり、実在の物とは関係ありません)

 

<序章・『夜霧よ今夜も有難う』>

 

 

まだ人通りの少ない夜明けの街を、私と、ある女が、ピッタリと寄り添いながら歩いていた。

私も彼女も、ただひたすら黙っていたが、私と彼女は、しっかりと手を繋ぎながら、ゆっくりと歩を進めていた。

夜が完全に明けてしまえば、私と彼女は、こんなに大っぴらに一緒に居る事は出来ない。

何故なら、私と彼女は、

「人目を忍ぶ恋」

をしていたからである。

そんな私達の事を、まるで外界から覆い隠してくれているかのように、お誂え向きに、辺りには「夜霧」が立ち込めていた。

その時、私の胸は疼いていた。

私と彼女は、お互いに、

「好きになってはいけない人」

を、好きになってしまい、今こうして、二人して歩いていた…。

「何故、こういう事になってしまったのか…」

今更、考えても仕方が無いが、私は、これまで有った事を思い出していた。

しかし、彼女は一体、何を考えているのか、ただ私に寄り添っている彼女の表情からは、その考えは何も読み取れなかった…。

 

<第1章・『風速40米』>

 

 

その時の私の「衝撃」を、一体、どのように表現したら良いか…。

私は、あの時ほど、物凄い「衝撃」を受けた事は無かった。

私は、もう二度と逢う事はあるまいと思っていた、「あの女」と再び出逢ってしまったのである。

しかも、それは私の職場だった。

私は、ある銀行に勤めているが、私の勤め先…「横浜大洋銀行」の川崎支店に、「あの女」が現れた時、私は本当に心臓が止まるかと思ったものである。

ある朝の事。

私の職場に、中途採用の新人社員が入って来るというお達しが、支店長から有り、私達の職場の人達が集められた。

「今日から、こちらに配属される事になった、新人の方をご紹介します。さあ、どうぞ…」

支店長から紹介され、一人の若い女性が姿を現した。

「さあ、皆さんにご挨拶を…」

支店長に促され、その女性は皆の前に進み出た。

「本日から、こちらでお世話になる事になりました。榊マリと申します。宜しくお願い致します…」

少し緊張気味の彼女が、そのように挨拶し、ペコリと頭を下げると、職場の皆から拍手が起こった。

しかし、この私と言えば…その女の顔を食い入るように見ていた。

「…マリリンじゃないか…」

今、目の前に居て、榊マリと名乗った女性…この女(ひと)は、どう見ても、私が不思議な「出逢い」をして、一度は「深い関係」になってしまった、あのマリリンではないか…。

「何で、マリリンが此処に…」

私の頭は混乱していた。

私が出逢った時、マリリンは金髪だったが、この日、私の職場に現れたマリリン…いや、榊マリは、黒髪だった。

しかし、それ以外は、どう見ても、あの時に私が出逢ったマリリンその人である。

 

 

マリリンと出逢い、別れた後、私の生活は、また平凡な日常に戻っていた。

しかし、この時、私はまるで「風速40メートル」ぐらいの大嵐に見舞われたような心境だった。

そして、榊マリと名乗った女は、私の方を見ると、何か意味ありげに笑っていた…。

「えー、それじゃあ、榊マリさんには、渉外担当になってもらいます。君、色々と教えてあげなさい」

支店長に言われ、私は凍り付いた。

私の職場に、何故か、再び彼女が現れたというだけでも、かなりの「衝撃」だったが、よりによって、私の直属の後輩になるというのだから…。

「一体、どうなっているんだ…」

表面上、私は平静さを装っていたが、心の中は乱れに乱れていた。

榊マリの、皆への紹介が終わり、今日もまた通常の業務が始まった。

そして、榊マリは私の隣の席に着く事となった。

「宜しくお願い致します…」

榊マリは、ニッコリ笑い、私に挨拶して来た。

「こ、こちらこそ…」

私も挨拶を返したが、その時、多分、私の顔は引きつっていた筈である…。

 

<第2章・『陽のあたる坂道』>

 

 

思いがけず、マリリン…いや、榊マリが私の「部下」となったショックが冷めやらぬ中、

私は彼女を連れて、早速「外回り」に行く事になった。

新人の部下が入って来たのだから、彼女を連れて、得意先に「挨拶回り」をしに行くのである。

猛暑のピークは過ぎたとは言え、まだまだ暑さが残る季節だった。

「それでは、行って来ます…」

私と彼女は、職場の上司に告げ、銀行の外に出た。

私の勤め先の銀行は、JR川崎駅から、程近い場所に有った。

私と彼女は、二人して、川崎駅の方へと向かった。

川崎駅へと向かう坂道を、ギラギラと明るい太陽が照らしていた。

そして、銀行から少し離れた場所で、私は物陰に彼女を連れて行き、

「君、何であそこに現れたんだ…?」

と、私はたまらず聞いていた。

「それに、榊マリというのは、君の『本名』か?」

そもそも、銀行が、身元の怪しい人間を採用する筈も無いのだが、私は一応、彼女に確かめてみようと思っていた。

「何を言っているの?本名に決まっているでしょう?」

榊マリは、さも当然のように答えていた。

「まだ最初の質問に答えてないぞ…」

私がそう言うと、彼女は、

「貴方に逢いたかったからよ…」

と、答えた。

相変わらず、答えになっているのかなっていないのか、よくわからなかったが…。

「さあ、行きましょう…」

榊マリに促され、再び私は駅へと向かった。

そう、とりあえずは一通り、「挨拶回り」を終わらせないと…。

「話は、後でゆっくりと。ね?」

榊マリは、そんな事を言っていた。

「やれやれ…」

私は、溜息をついた。

 

<第3章・『狂った果実』>

 

 

私と榊マリは、一日中、「外回り」をした後、

その日は銀行には戻らず、そのまま「直帰」する事となった。

私が担当する区域は、職場の近辺である川崎と、横浜の辺りである。

「外回り」を終え、私と榊マリは、夕暮れの横浜・みなとみらいの街を歩いていた。

「今日は、お疲れ…」

私がそう言うと、榊マリは、

「お疲れ様でした…」

と答えた。

流石に、彼女も少し疲れた表情だった。

私と榊マリは、二人してベンチに腰掛け、みなとみらいの夕景を眺めていた。

「はい、これ…」

私は、榊マリに「缶コーヒー」を渡した。

「それは、『WONDA』じゃないけど…」

私は、彼女に前に飲まされたのとは別のメーカーの「缶コーヒー」を渡した。

「有り難う…」

彼女はそう言って、素直に「缶コーヒー」を受け取った。

私達は、そのまま暫く、何も言わず、港を見ていた。

やがて、いつぞやのように、彼女は私にもたれかかって来た…。

「君、まずいって…。俺には妻と子供が…」

私はそう言ったが、榊マリは、

「わかってるわ。でも、もう少しこのまま…」

と言った。

その時、私はこう思っていた。

「これ以上、この女(ひと)と一緒に居たら、俺は逃れられなくなる…」

しかし、逃げようにも、この女(ひと)は今や、私の職場の同僚になってしまった…。

私は、逃げるに逃げられない状況だった。

そして、私が彼女を見ると、彼女も私の方を見ていた。

榊マリは目を閉じ、私からの口づけを待っているようだった。

そして、私は、まるで吸い寄せられるように、彼女にキスをしてしまった…。

「こうなってしまったのは、他の誰でもない、俺のせいだ…」

後から思えば、これが大きな「分岐点」だった。

この時を境界(さかい)として、私は榊マリの魔性の魅力から、逃れられなくなってしまったのである。

 

<第4章・『俺は待ってるぜ』>

 

 

「今日は、帰りが遅くなるから…」

「あ、そう…」

私が妻に電話をすると、妻からは素っ気ない返事が来たが、特に何も言われる事は無かった。

あの夜、私とマリは、夜遅くまで一緒に過ごした。

そして、それからというもの、私とマリの、

「人目を忍ぶ関係」

が、始まってしまった。

私とマリは、表面上は、ただの職場の同僚だった。

しかも、私は結婚し、妻子が居る事は、勿論、職場の他の同僚も知っていた。

だから、職場の同僚には、私達の関係は絶対にバレないようにしなければならなかった。

私とマリの「秘密の関係」が始まった頃、私はよく、こんな「小細工」をしていた。

「お疲れ様でした」

「ああ、お疲れ…」

銀行の勤務時間が終わった後、私とマリは、ごく普通に別れ、それぞれ違った帰り道を行く。

しかし、その実、私とマリは、一旦は別れたフリをして、別の場所で「待ち合わせ」をしていた。

流石に、職場が有る川崎近辺だと人目に付くので、私とマリは、横浜の方に別々に向かい、横浜の駅で落ち合ったりしていた。

その日の仕事が終わるタイミングによって、どちらが先に横浜に着くのかは、わからなかったが、相手が現れるまでの間、待っている方は、ドキドキしながら、相手が現れるのを待っていた。

 

 

私が先に横浜に着いて、マリを待っているまでの間は、本当に待ち遠しくて仕方が無かったが、やがて、マリが現れると、私の胸は高鳴った。

マリも、私を見付けると、パッと表情を輝かせ、私に駆け寄って来た。

「逢いたかったわ…」

マリは、大胆にも私に抱き着いて来たりしていたが、私も、

「ああ、俺もだよ…」

などと言って、マリを抱きしめた。

最初は、どちらかと言えばマリの方が積極的だったが、こうして二人で逢う回数を重ねる内に、私もすっかり、マリの虜になっていた。

「ミイラ取りがミイラになった」

とは、まさに、この時の私を表すのにピッタリの言葉であった…。

こうして落ち合った私とマリは、度々、夜の横浜の街に出掛け、

「秘密のデート」

をしていた。

 

<第5章・『二人の世界』>

 

 

私とマリは、お互いにしっかりと手を繋ぎ、夜の横浜の街を歩いていた。

私には妻子が居るので、こうしてマリと逢っていると、やはり「罪悪感」が有った。

しかし、その頃、私と妻の関係はあまり上手く行っていなかった…というより、すっかり冷え切っていたので、

今こうして、マリと逢い、「デート」をしている時の高揚感が、妻と子供への罪悪感を上回ってしまっていた…。

私とマリは、言わば「不倫」の関係なので、昼間、大っぴらに二人して逢ったりは出来ない。

なので、「デート」をするのは、専ら夜だったが、

「俺達は今、やってはいけない事をやってしまっている…」

という背徳感が、余計に二人の関係を固くしているように思われた。

 

 

「今日は、泊りがけで出張だから…」

その日、自宅を出る時、私は妻にそう告げていた。

「あ、そう…」

例によって、妻は私に、素っ気ない返事をしていた。

「パパ、行ってらっしゃい!!」

6歳の娘がニコニコして、私に手を振っていた。

そんな娘の顔を見ると、私の胸は痛んだ。

「俺は今、妻と娘を平気で裏切っている…」

そう、私は妻と娘に対し、最低の「裏切り行為」をしていた…。

だが、その時の私は、どうしてもマリと一緒に過ごしたいという気持ちの方が勝っていた。

その夜、私とマリは、いつものように、夜の横浜の街で逢った。

そして、その夜、私とマリは、

「マリーンルージュ」

という、横浜港を一周する遊覧船に乗った。

私達は、「マリーンルージュ」の船上のデッキで、ピッタリと寄り添い、横浜の夜景を眺めていた。

 

 

「あれが、レインボーブリッジだよ…」

私とマリを乗せた「マリーンルージュ」が、大黒埠頭に差し掛かった頃、海に架かる大きな橋が見えて来た。

その時、私はマリに対し、その橋の事を、

「レインボーブリッジ」

と言ってしまったが、実はそれは、

「ベイブリッジ」

の間違いだった。

しかし、そんな事はどうでも良かった。

私には、その橋が横浜港に架かる、

「虹の橋」

のように見えていたのだから…。

マリは私にピッタリと寄り添い、彼女の頭を私の肩に乗せていた。

私達は寄り添いながら、「虹の橋」を眺めていた…。

 

 

「マリーンルージュ」

で、心行くまで横浜港の夜景を堪能した私とマリは、

その後、山下公園の近くにある、

「シーガーディアン」

というバーに行った。

「シーガーディアン」

は、とてもお洒落で、大人な雰囲気の静かなバーだったが、

「人目を忍ぶ恋」

をしている、私とマリには、まさにピッタリのバーだと思った。

私とマリは、そのバーで一緒にカクテルを飲んだ。

マリの頬は、ほんのりと赤くなり、彼女の魅力は更に増していた。

「こんなに、私の事を酔わせて、どういうつもり…?」

マリは、いたずらっぽく笑っていたが、そんなマリを見ると、私はますます、彼女への愛おしさが増していた…。

そして、その夜、私とマリは横浜のホテルに泊まり、一夜を過ごした。

 

<第6章・『嵐を呼ぶ男』>

 

 

「また出張なの!?」

妻が、露骨に嫌な顔をしていた。

その日は日曜日だったが、私が、

「急な出張が入った」

と言うと、忽ち、妻の機嫌が悪くなった。

「仕方ないよ、仕事なんだから…」

私は、なるべく妻の顔を見ないようにして、自宅の玄関で靴を履き、そのまま出掛けようとしていた。

「だって、ついこの間、出張が有ったばかりじゃないの…」

妻は流石に不満そうな顔をしていた。

そんな私と妻の様子を、娘が心配そうな顔で見つめていた。

「本当にすまない…。今度、埋め合わせをするから…」

その日、妻は、本当は久しぶりに家族3人で出掛けたいと思っていたらしかった。

それが、またしても「出張」で、私が出掛けるというのだから、妻の機嫌が悪くなるのも当然と言えば当然だったが…。

「ごめんな。それじゃあ、行ってくるよ…」

私は、娘の頭を撫で、そそくさと家を出て行った。

ここ最近、私は帰りが遅く、そして、何かと言えば「出張」…。

しかも、それは本当は全て、私がマリと逢っていたためであり、「出張」云々は全て「嘘」だった。

「俺は、本当に最低だな…」

自宅を出た後、私は独り言を言っていた。

「たまには、昼間にデートしたいな…」

マリが、そんな事を言っていたので、この日、とうとう私とマリは、お互いの休日である日曜日の昼間から、逢う事にしていたのである。

しかも、私は「出張」という嘘をついて、家を出ていた…。

何処からどう見ても、私は「最低」である。

そして、流石に妻も不機嫌さを隠さなくなっていたが、今思えば、これは「嵐」の前兆だった。

 

 

「凄い!!またストライクよ!!」

横浜のボウリング場で、私が見事な「ストライク」を決めたのを見て、マリが大喜びしていた。

実を言うと、私は学生時代から、ボウリングが大の得意だった。

だから、この日はマリに、ちょっと良い所を見せようと、私は大いに張り切っていた。

そして、私は「ストライク」を連発し、カッコつけて「ガッツポーズ」をしたりしていた。

「君も、やってごらんよ…」

私はマリに対し、「ボウリング」のコーチなどをしていたが、私がわざと、マリの「ボウリング」の、下手っぴなフォームの真似をしたりすると、

「もう!!意地悪なんだから…」

などと言って、マリもとても楽しそうに笑っていた…。

ちなみに、私は妻には「出張」と嘘をついていたので、その日は日曜日ながら、スーツを着ていた。

今は、スーツを脱ぎ、ワイシャツの腕をまくって、こうやって「ボウリング」を楽しんでいたのだが…。

「ちょっと、お手洗いに行ってくるわ…」

マリがそう言って、席を外したので、私は椅子に腰掛け、ペットボトルの水を飲んでいた。

 

 

「あれ?どうしたんだ?こんな所で…」

いきなり、そう声を掛けられ、私はドキっとして、心臓が飛び出しそうになった。

その声の主は、私の職場の同僚の男だった。

「え!?いや、今日は久しぶりにボウリングを楽しもうと思って…」

私は、顔を引きつらせていたが、何とか平静さを保とうとしていた。

「何で、こいつが此処に居るんだ…」

私は内心、大いに焦っていた。

「お前こそ、何で此処に…?」

私がそう聞くと、彼は、

「俺は横浜に住んでるからな。此処にもよく来るんだよ…」

などと言っていた…。

「そ、そうか…」

私は、何とか答えたが、

「こいつに、俺とマリが一緒に居る所を見られたら不味い…」

と、咄嗟に思っていた。

「それじゃあ、ちょっとトイレに行って来るから…」

私は、そう言って、トイレに向かった。

そして、マリが出て来るのを待って、彼女を捕まえると、

「ここに居たら、不味い。先に出ててくれ…」

と言って、マリをボウリング場の外に出させようとした。

「うん…」

マリは面食らっていたが、遠くに、あの職場の同僚の男の姿を認め、ハッとしていた。

「さあ、早く…」

私は、マリを慌てて外に出させた。

「じゃあ、またな…」

私は、マリが席に置いていた、彼女のバッグを持ち、何食わぬ顔で、同僚の男に挨拶し、会計を済ませ、そそくさとその場を後にした…。

しかし、私はどっと冷や汗をかいていた。

 

<第7章・『夜霧のブルース』>

 

 

その夜の事…。

私とマリは、関内にある、

「ブルーライトバー」

で、二人して黙ってカクテルを飲んでいた。

しかし、私達には、いつものような高揚感は無く、マリはずっと俯いていた…。

「何か、すっごい惨めだった…」

マリが、ポツリと呟いた。

そう言うマリの頬には、涙が伝っていた。

「仕方の無い事だけど…。私達って、こうやってコソコソと逢うしか無いんだもんね…」

マリは、とても悲しそうな顔をしていたが、私には何とも言いようが無かった。

「マリ…」

私は、彼女を抱き寄せたが、マリはさっきから、ずっと泣いていた…。

「私達、これからどうなっちゃうの…?」

マリにそう聞かれたが、私は、何も答えられなかった。

本当は私も、マリと同じように泣きたいような心境だったのである。

「マリ、ゆっくり話し合おう…」

私はマリを促し、「ブルーライトバー」を後にした。

 

 

その夜、実は私は、みなとみらいの夜景が見える、

「ハーバービュー」

の部屋を取ってあった。

そして、私はマリを、その部屋に連れて行った。

部屋の窓から見える横浜の夜景は、とても綺麗だったが、私とマリの心は沈んでいた。

私とマリは、そこで固く抱き合い、そして口づけを交わした…。

「私、貴方と離れたくない!!」

「ああ、俺もだよ…」

私とマリは、そんな事を言ってしまっていた。

そう、もはや私とマリは、理性でお互いの気持ちを抑えられるような段階は、とっくの昔に過ぎ去っていた。

もはや、私とマリは、後戻りが出来ない関係になっていた…。

そして、この夜も、私達は朝まで一緒に過ごしてしまった。

 

<終章・『錆びたナイフ』>

 

 

こうして私は、またしても「朝帰り」をしてしまった。

「ただいま…」

自宅に戻って見ると、そこには誰も居なかった。

私と妻は「共働き」だったし、もう月曜日の朝だったので、妻は仕事に向かったのだろうし、娘も保育園に行っているのだろう…と、私は思った。

しかし、何処かいつもと家の雰囲気が違っているのに、私は気付いていた。

何と言うか、本当に「空っぽ」のような雰囲気に思われたのだが…。

ふと、ダイニングのテーブルの上を見ると、そこには「置手紙」が有った。

私は、ハッとして、その「置手紙」を見た。

そこには、たった一言、妻の字で、こう書いてあった。

「実家に帰ります」

と…。

私は、呆然として、その「置手紙」を見ていた。

その時、私は全てを悟った。

妻には、私の「不倫」が、全てバレていたのだと…。

その「置手紙」は、まるで「錆びたナイフ」のように、私の心を抉っていた…。

 

(つづく)

 

 

『LOVE AFFAIR ~秘密のデート~』

作詞・作曲:桑田佳祐

唄:サザンオールスターズ

 

夜明けの街で すれ違うのは

月の残骸(かけら)と 昨日の僕さ

二度と戻れない 境界(さかい)を越えた後で

嗚呼 この胸は疼いてる

 

振り向くたびに せつないけれど

君の視線を 背中で受けた

連れて帰れない 黄昏に染まる家路

嗚呼 涙隠して 憂う Sunday

 

君無しでは 夜毎眠らずに

闇を見つめていたい

 

マリン ルージュで愛されて

大黒埠頭で虹を見て

シーガーディアンで酔わされて

まだ離れたくない

早く去(い)かなくちゃ 夜明けと共に

この首筋に夢の跡

 

愛の雫が 果てた後でも

何故にこれほど 優しくなれる

二度と戻れない ドラマの中の二人

嗚呼 お互いに気づいてる

 

棄ても失くしも 僕は出来ない

ただそれだけは 臆病なのさ

連れて歩けない 役柄はいつも他人

嗚呼 君の仕草を真似る Sunday

 

好き合うほど 何も構えずに

普通(ただ)の男でいたい

 

ボウリング場でカッコつけて

ブルーライトバーで泣き濡れて

ハーバービューの部屋で抱きしめ

また口づけた

逢いに行かなくちゃ

儚い夢と 愛の谷間で溺れたい

 

マリン ルージュで愛されて

大黒埠頭で虹を見て

シーガーディアンで酔わされて

まだ離れたくない

早く去(い)かなくちゃ 夜明けと共に

この首筋に夢の跡

だから愛の谷間で溺れたい

私が大好きなサザンオールスターズ桑田佳祐の楽曲を題材にして、

「原案:桑田佳祐」

として、私が勝手に「短編小説」を書くという、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズは、現在、「24本」を書いて来ている。

そして、今回はその「新作」を書かせて頂く。

 

 

その「新作」の前に、まずは、私がこれまで書いて来た、

「サザンの楽曲・勝手に小説化」

シリーズの「24本」のタイトルを、下記に示しておく。

 

①『死体置場でロマンスを』(1985)

②『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)

③『マチルダBABY』(1983)

④『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』(1982)

⑤『私はピアノ』(1980)

⑥『夢に消えたジュリア』(2004)

⑦『栞(しおり)のテーマ』(1981)

⑧『そんなヒロシに騙されて』(1983)

⑨『真夜中のダンディー』(1993)

⑩『彩 ~Aja~』(2004)

⑪『PLASTIC SUPER STAR』(1982)

⑫『流れる雲を追いかけて』(1982)(※【4部作ー①】)

⑬『かしの樹の下で』(1983)(※【4部作ー②】)

⑭『孤独の太陽』(1994)(※【4部作ー③】)

⑮『JOURNEY』(1994)(※【4部作ー④】)

⑯『通りゃんせ』(2000)(※【3部作ー①】)

⑰『愛の言霊 ~Spiritual Message』(1996)(※【3部作ー②】)

⑱『鎌倉物語』(1985)(※【3部作ー③】)

⑲『夕陽に別れを告げて』(1985)

⑳『OH!!SUMMER QUEEN ~夏の女王様~』(2008)

㉑『お願いD.J.』(1979)

㉒『恋するレスポール』(2005)

㉓『悲しい気持ち(Just a man in love)』(1987)

㉔『Moon Light Lover』(1996)

 

 

…という事で、今回、私が「新作」として書かせて頂くのは、

2007(平成19)年にリリースされた桑田佳祐のシングル、

『風の歌を聴かせて』

のカップリング曲だった、

『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

という曲である。

この曲は、桑田佳祐自身が出演した、

缶コーヒーの「WONDA」のCMソングとして作られた曲であり、歌詞の中にも、

「WONDA」

のフレーズが沢山出て来る。

私もこのCMをキッカケに、

「WONDA」

をよく飲むようになったが、とても美味しい缶コーヒーである。

 

 

 

 

そして、桑田佳祐が歌う、

『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

という曲は、本当にカッコイイ曲であり、カッコ良さという点では、桑田佳祐の全ての楽曲の中でも3本の指に入るぐらいの曲であると私は思っているが、

「WONDA」

のCMの演出もとても面白く、桑田が「WONDA」の缶コーヒーを飲むと、BGMとしてこの曲が流れ、

2007(平成19)年当時、既に亡くなっていた黒澤明・植木等・ジャイアント馬場…といった、桑田の憧れの有名人達と桑田が「夢の共演」をするというという、実に面白い内容だった。

 

 

また、「WONDA」のCMでは、桑田佳祐が、若い頃の桑田自身と「共演」するという、面白いバージョンも有ったが、いずれも、とてもインパクトの有るCMだった。

そして、今回、この私も、この曲とこのCMをヒントに(?)、ちょっと「ぶっ飛んだ」(?)小説を書いてみる事としたい。

ちなみに、一応、これから始まる「4部作」の「その1」の予定である。

それでは、前置きはそれぐらいにして、

「サザンの楽曲・勝手に小説化シリーズ」の「第25弾」、

『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

を、ご覧頂こう。

 

<第1章・『結婚協奏曲』>

 

 

「それじゃあ、行って来るわね…」

「ああ、行っておいで…」

或る夏の日の事。

私と妻は、そんな会話を交わしていた。

此処は私の自宅である。

私の妻は旅支度を整え、自宅を出ようとしていた。

「貴方、戸締りには気を付けてね」

妻にそう言われ、私は、

「ああ、わかってるよ」

と、ややぶっきら棒に答えてしまった。

「それから、火の始末もね」

妻は、なおも念を押すが、私は、

「ああ、わかってるって」

と、少しイラっとしながら答えた。

「いちいち、細かいんだよ…」

私は、心の中で呟いていたが、それを口には出さなかった。

私と妻は、結婚して7年目を迎えていたが、最近はこんな風に、何か会話をするだけで、ちょっと刺々しい空気が流れるようになっていた。

「パパ、行って来ます!!」

妻と同じく、「お出かけ用」の服を着ていた、私達の娘が、はしゃいだ様子で、私に抱き着いて来た。

「うん、気を付けて行っといで」

娘の元気な顔を見ると、私もとても元気付けられる。

私も思わず相好を崩した。

私達の夫婦には、ひとり娘が居るが、娘は今は6歳である。

娘も来年は小学校に入るが、ついこの間、生まれたと思ったら、もうそんな歳になるのか…と、私はちょっとした感慨に耽っていた。

「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんによろしくな」

私は、娘にそう言った。

「うん!!」

娘は満面の笑顔だった。

 

 

「それじゃあ、行って来ます…」

片手にキャリーバッグを持った妻が、娘の手を引き、玄関から出て行った。

ドアが閉まる間際、娘が私に手を振ってくれたので、私も思わず笑顔になって、手を振り返した。

「やれやれ…」

妻と娘が家を出ると、私は思わず溜息をつき、ソファに座り込んだ。

私と妻は、普段は「共働き」で、娘は保育園に預けていたが、

今は、妻が私よりもひと足早く「夏休み」を取り、妻は娘を連れて、妻の実家に「帰省」しようとしていた。

つまり、暫くの間、私は「独り身」に戻るというわけである。

さっきも書いた通り、最近は私と妻は、あまり上手く行っていない。

しかし、可愛い娘のお陰で、何とか別れずに済んでいるようなものだった。

正直言って、妻が娘を連れて「帰省」してくれるのは、私としては有り難かった。

「昔は、こんなんじゃなかったんだけどな…」

私は、思わず独り言を言ってしまった。

こう見えても、かつて、私と妻は「大恋愛」の末に結婚したのだが…。

「何で、こうなっちゃったのかなあ…」

私は、またしても深い溜息をついた。

 

<第2章・『アスファルト・ジャングル』>

 

 

私は、ある銀行に勤めており、その銀行の渉外担当として、「外回り」をする事も多かった。

妻が娘を連れて「帰省」した後も、毎朝、私は銀行に出勤し、その後、「外回り」に行ったりしていたが、

何しろ、今は真夏の真っ盛りである。

「暑い、暑すぎる…」

外を歩いていても、とにかく汗が噴き出して来てしまうぐらいだったが、

真夏のギラギラした太陽が、都会のアスファルトで照り返し、暑さは増すばかりだった。

「日本の夏は、何でこんなに暑いんだ…」

私は思わず、ぼやいていた。

夏は暑い季節というのは、わかってはいるが、それにしても最近の夏は暑すぎる…。

私は、あまりの暑さに耐え兼ねて、公園の木陰で休む事にした。

 

 

私は、公園の木陰のベンチに座り、ひと休みする事にした。

まだ次のアポイントまでには、少し時間が有った。

私は手帳を見て、次の予定を確認していた。

「少し時間が有るから、それまで喫茶店にでも行こうかな?」

私はそう思い、ベンチから立ち上がった。

そして、ふと気が付くと、その公園で、一人の女性が道行く人に何かを配っているのが見えた。

「何だろう…?」

その女性を見てみると、彼女は派手なミニスカート姿で、手には籠を持ち、その籠には、いくつかの「缶コーヒー」が入っていた。

そして、彼女は私に気が付くと、私に対し、ニッコリと笑いかけ、

「キャンペーンですので、良かったら、どうぞ」

と言って、私にその「缶コーヒー」を渡してくれた。

 

 

「これは…?」

私は、普段はあまり「缶コーヒー」は飲まないが、

その「缶コーヒー」は、真っ赤な色合いの「缶コーヒー」であり、缶のデザインからして、とても美味しそうだった。

「これは、『WONDA』という缶コーヒーです。とても美味しいですよ…」

私に、「WONDA」という「缶コーヒー」を渡してくれた女性は、ニコニコして、私にそれを勧めて来た。

「この子、何処かで見た事あるな…」

私は一瞬、そう思ったが、そんな事よりも、その時の私はちょうど喉が渇いていた事もあって、

「これは、有り難い」

と思い、その「缶コーヒー」…「WONDA」の蓋を開け、一気に飲み干した。

すると…。

「あれ?どうなってるんだ…」

私は何故か、強烈な「眠気」に襲われてしまった。

「何で、コーヒーを飲んでるのに、眠くなるんだ…」

そう思ったのを最後に、私は眠りに落ちたが、眠る寸前、私に「WONDA」を渡した女が、不思議な笑みを浮かべているのが見えた…。

 

<第3章・『七年目の浮気』>

 

 

私が目を覚ますと、そこは、先程まで私が居た筈の公園ではなく、

何処かの「別世界」になっていた。

「ここは…?」

私は、まだ暫く頭がボーッとしていたが、そこは何処までも青い空と青い海が広がる、南の島だった。

その光景には見覚えがあり、私は思わずハッとした。

「ここは、バリ島じゃないか…」

そう、ここは私と妻が、かつて「新婚旅行」で来た事が有った、「バリ島」だった。

「何で、俺がバリ島に居るんだ…」

私は、わけがわからなかった。

何故か「バリ島」の砂浜で座り込んでいた私は、まだ少しボンヤリとした頭を働かせ、私は少しずつ状況を思い出していた。

 

 

「あ、気が付いたのね…」

ふと見ると、私の傍らには、さっきの女…そう、私に変な「缶コーヒー」を飲ませた、あの女が居て、私の顔を覗き込んでいた。

私は、ギョッとして、思わず飛び上がりそうになってしまった。

「君は、さっきの…」

私は、改めて、まじまじとその女の顔を見た。

「そうよ。どう?『WONDA』は美味しかったでしょう?」

その女は、全く悪びれた様子も無く、相変わらずニコニコとしていた。

「君は、何であんな物を俺に飲ませたんだ!?」

私は思わず詰め寄ったが、彼女は全く意に介さず、

「何故って…。キャンペーンだからって言ったでしょう?」

と、答えになっているのかなっていないのか、よくわからない事を言った。

「何なんだよ、キャンペーンって…」

私はブツブツと呟いた。

私は相変わらず、よく事情が呑み込めていなかったが、その女は、

「貴方、運が良いわよ。このキャンペーンに当たる人なんて、滅多に居ないんだから…」

などと言っていた。

その女は、私も、

「何処かで見た事がある…」

と、公園で見た時から思っていたが、ある人が思い当たった。

「そうか、この子はマリリン・モンローに似てるんだな…」

私は密かにそう思っていた。

 

 

「さあ、行きましょう…」

その女…マリリン・モンローによく似た女の名前はわからなかったが、以後、仮に「マリリン」として話を進める事とする。

そのマリリンが、砂浜に座っていた私の手を取り、私を立ち上がらせると、そのまま私と腕を組み、歩き始めた。

「行くって、何処に…?」

私がそう聞くと、マリリンは、

「とても楽しい所よ…」

と、一言だけ答えた。

どうやら、逆らっても無駄なようなので、私はそのままマリリンに従って、付いて行く事にした。

考えてみれば、7年前に妻と結婚して以来、こんな風に他の女性と腕を組んで歩くのは初めてである。

「これは、多分、夢なんだろうな…」

私はそう思って、自分の頬をつねってみたが、普通に、とても痛かった…。

「痛っ!!」

私がそう言うと、マリリンは、

「貴方、何やってるの?」

と、おかしそうに笑っていた。

「いや、別に…」

私は適当に答えておいた。

 

<第4章・『紳士は金髪がお好き』>

 

 

私とマリリンは腕を組み、「バリ島」の砂浜を歩いていた。

「一つ、聞いて良いか?」

私はマリリンに問いかけた。

「なあに?」

マリリンは小首を傾げ、私の方を見た。

「キャンペーンって言ってたけど、それって何の事?」

私がそう聞くと、マリリンは、

「そうね、『人生の夏休み』キャンペーンって所かしらね…」

と、答えた。

「それが何か、よくわからないから聞いてるんだけどな…」

私はそう呟いたが、マリリンは後は何も答えなかった。

 

 

公園で初めて逢った時から、マリリンは派手なミニスカート姿で、人目を引いていたが、

今、目の前に居るマリリンは、公園で見かけた時よりも、更に見た目が変わっていた。

気が付くと、マリリンは「金髪」になっており、ますます、外見がマリリン・モンローに似ていた。

一体、何の目的が有って、マリリンがこうして現れたのかは、よくわからないが、一つ確かなのは、彼女がとても美人だという事だった。

「ここには、前に来た事が有るよ。俺の妻と新婚旅行で…」

私がそう言うと、マリリンは、

「そう…」

と一言、答えた。

マリリンは、何を考えているのかわからないというか、何処か掴みどころの無い女だが、笑顔の合間に、少し憂いを帯びているようにも見えた。

私は、どうやらこのマリリンに、少しずつ惹かれている…そう認めざるを得なかった。

 

 

気が付くと、バリ島の日は傾き、夕陽が海の向こうに沈もうとしていた。

私は思わず、その美しさに見惚れていた。

「綺麗…」

マリリンも、バリ島の夕陽の美しさに、心を奪われているようだった。

私は、夕陽に照らされた、マリリンの横顔を見たが、夕陽に照らされたマリリンの顔も、とても美しかった。

 

<第5章・『ショウほど素敵な商売はない』>

 

 

「さあ、着いたわ…」

マリリンが私を連れ、やって来たのは、バリ島の海岸に有る、素敵な雰囲気のカフェバーだった。

そのバーのオープンテラスでは、若いカップルや家族連れなどが、思い思いに、楽しいひと時を過ごしているようだった。

「ここで、また何か変な物を飲ませるつもりじゃないだろうな…」

私はまた不安になったが、マリリンは、そんな私の雰囲気を察したのか、

「心配しなくても大丈夫よ」

と言って、笑っていた。

どうやら、マリリンには私の心の動きを見透かされているようだった。

私は思わず、苦笑いしてしまった。

とりあえず、私とマリリンはカクテルを注文し、乾杯をした。

「『WONDA』も良いけど、このカクテルも美味しいわね…」

マリリンは冗談っぽく言って、笑っていた。

マリリンは、笑うと子供っぽい表情になるが、そんなマリリンの笑顔を見て、思わず私も笑顔になった。

「そう言えば、妻と、こんな風に笑い合った事って、最近は無かったな…」

私は、心の中で、そんな事を思っていた。

 

 

私達が居たカフェバーでは、ちょっと変わった「出し物」が有った。

夜も更けて来ると、そのカフェバーに面した中庭のような所で、

「炎の踊り」

と称される、迫力有るショーが始まるのである。

カフェバーに居た客達は、そのショーに見入ってしまった。

「凄い迫力だな…」

「そうね…」

私とマリリンも、そんな会話を交わした。

「そう言えば、妻とバリ島に来た時も、こういうのを見たっけな…」

私は、またしてもそんな事を思った。

ここ最近、妻とは、あまり関係が上手く行っていなかったというのに、何故か妻の事ばかりが私の脳裏に浮かんでいた。

「ねえ…」

マリリンに話しかけられ、私は、我に返った。

「今、奥さんの事を考えていたんでしょう?」

マリリンにズバリと聞かれ、私は思わずハッとした。

「君、何で…」

私がそう言いかけると、マリリンは、

「私には、何でもお見通しなのよ…」

と言った。

マリリンは、何とも言えない表情で、私の方をじっと見つめていた。

私は、思わず、たじろいでしまった。

 

<第6章・『お熱いのがお好き』>

 

 

「今は、奥さんの事なんか考えないで…。私の事だけを考えてちょうだい…」

私の隣に座っていたマリリンは、そんな事を言うと、私にもたれかかって来た。

私はドキっとしたが、マリリンは目を閉じ、私に身を預けていた。

相変わらず、「炎の踊り」のショーは続いていたが、私はもはや、それどころではなかった。

どれぐらい時間が経った頃か…マリリンは、どんどん大胆になって来て、公衆の面前で、私にキスをして来た。

「ちょっと…」

私はそう言いかけたが、マリリンは、

「大丈夫。誰も私達の事なんか、気にしちゃいないわ…」

などと言っていた。

確かに、他の席のカップルを見ても、皆、公然といちゃついており(?)、私達の事を気にしている者など、誰も居なかった。

どうやら、「炎の踊り」が、カップル達の情熱に火を付けてしまったのか…。

それは、私とマリリンとて同じ事であった。

「このまま行くと、本当に後戻り出来なくなるぞ…」

私の中で、辛うじて残っていた(?)理性が働き、私にしきりに「警告」していた。

だが、マリリンの魔性の魅力には、私はとても抗えそうも無かった…。

 

 

「ねえ、部屋を取ってあるから。行きましょう…」

私はもはや、マリリンの言う事には逆らえず、二人して、マリリンが取ってあるというコテージの部屋に行ってしまった。

その部屋で有った出来事について…ここで書いてしまうと差し障りが有るので、全て「割愛」するが、簡単に言うと、結局、私とマリリンは、そこで関係を持ってしまったという事である。

「結局、こんな事になってしまった…」

と、私は思ったが、私が女性とこんなに熱い夜を過ごしたのも、随分と久し振りだったような気がする。

このまま、私はマリリンという女に、ズルズルと引っ張り込まれてしまうのか…。

「もう、どうなっても良いから、このまま此処で、マリリンと過ごして行きたい…」

遂には、私はそんな事さえ思っていた。

 

<第7章・『帰らざる河』>

 

 

私とマリリンが、一夜を過ごした後、

私達は、コテージのテーブルで、朝食を食べていた。

それは、マリリンが作ってくれた、簡単な朝食だったが、とても美味しかった。

「君、料理も上手いんだね…」

私がそう言うと、マリリンは嬉しそうに、

「有り難う…」

と言った。

「俺、このまま帰らなくても良いかも…」

私は、すんでの所で、そう言ってしまうところだった。

その時、私は、昨日から着ていたスーツのポケットに、何かが入っているのに、ふと気が付いた。

「ん…?」

そのポケットに手を入れると、そこに有ったのは…。

「これは…!?」

私は、思わず、ハッとした。

それは、私の娘が、妻と一緒に家を出る直前、私に抱き着いて来た時に、入れていた物らしかった。

それを見てみると、私と妻と娘と…3人の家族が描かれていた絵、娘が描いてくれた絵だった。

そして、その絵には、

「パパ、いつもありがとう」

という、娘が書いた字も有った。

「これを描いてくれてたのか…」

私の目に涙が滲んでいた…。

「どうしたの?」

そんな様子を見て、マリリンが、私の顔を覗き込んでいた。

私はマリリンに対し、

「もう帰らないと…」

と言っていた。

 

 

出し抜けに、私にそんな事を言われ、マリリンは黙り込んだ。

そして、私の顔をじっと見つめていたマリリンは、溜息をつき、

「そう…」

と言うと、テーブルの上に、2つの飲み物を置いた。

1つは、私とマリリンが、昨夜(ゆうべ)飲んだのと同じようなカクテルで、

もう1つは…ブラックの色合いのデザインの「缶コーヒー」の「WONDA」だった。

「このカクテルを飲むと、貴方は元の世界には戻らず、ここで私と一緒に過ごして行く事になるわ。でも、このブラックの『WONDA』を飲むと、貴方は元の世界に戻れる…。貴方が決めてちょうだい」

マリリンは、私にそう言った。

私は、ゴクリと唾を飲みこんだ。

今まさに、私は「決断」を迫られていた。

マリリンの顔を見ると、泣きそうな顔をして、じっと私の事を見ていた。

その顔を見ると、私は本当に、このまま全てを投げ出して、マリリンと過ごして行きたい…という気持ちを抑えられそうもなかった。

だから、私はマリリンから目を逸らした。

「俺は、元の世界に帰るよ…」

私はそう言うと、ブラックの「WONDA」を手に取った。

そして、私はマリリンと過ごした、楽しかった一日を脳裏から振り払うように、ブラックの「WONDA」の蓋を開け、一気に飲み干した。

すると、私の視界が歪み、意識が遠のいて行った。

そんな私の事を、マリリンが寂しげな顔で見守っていた…。

 

<終章・『バス停留所』>

 

 

気が付くと、私は元居た場所…あの公園の木陰に佇んでいた。

「元の世界に…戻ったのか…」

私はまた、独り言を言った。

「あれは、やっぱり夢だったのか…」

私はそう思ったが、私の右手には、あのブラックの「WONDA」が、しっかりと握られていた。

それを見て、私はハッとした。

とても不思議な事だが、私がマリリンと過ごしたのは、どうやら「夢」ではなかったらしい…。

「そうだ、早く行かないと!!」

私は腕時計を見ると、次のアポイントの時間が迫っていた。

次の約束の場所に行くには、近くの停留所からバスに乗るのが近そうだった。

私は、バス停留所へと急いだ。

そして、私がバスに乗り込もうとすると、そのバス停留所には、スーツケースを持ち、帽子を被った一人の女が立っており、私はその女にぶつかりそうになってしまった。

「失礼しました…」

私はその女に謝ったが、女は、

「いえ…」

と、答えた。

私は、そのままバスに乗り込んだが、その女は、どうやら行先が違うのか、そのバスには乗り込んで来なかった。

「あの女、何処かで見たような…」

私はそう思ったが、私は次の約束の事に気を取られ、すぐに仕事の事に思考を切り替えた。

そして、その時の私は、その女が、私が乗ったバスをじっと見つめている事にも気が付いていなかった…。

 

(つづく)

 

 

 

『NUMBER WONDA GIRL ~恋するワンダ~』

作詞・作曲:桑田佳祐

唄:桑田佳祐

 

妖艶な Rock'n Roll

骨の髄まで…Maniac

愛撫から Lose Control

宇宙(そら)が燃えている…Zodiac

 

あれは真夏の夢なのか?

ため息の One Night Stand

欲望に赤く染められた

あなたの胸に抱かれて

 

優雅な La Vi En Rose(ラ・ヴィ・アン・ローズ)

花弁(はな)の香り…Erotic

艶女(アダージョ)の Body & Soul

その蜜の味わいよ…Exotic

 

鼓動を重ねた悦びは

地の果ての Wonderland

来た道さえも振り向かず

あなたの接吻(キッス)で死にたい

 

魔性の Power 女 Magic

- Number Wonda Girl

哀愁の Summer 恋の Music

- Never Gonna Stop

太陽の Rommance 女 Panic

- Number Wonda Girl

情熱の Vacances 終わりゃ Tragic

- Whole Lotta Love

 

Enjoy Loving!!

男(オス)達を天国に誘(いざな)え!!

 

静かな Rock'n Roll

爪の先まで…Satisfied?

物憂気な Rhythm & Blues

夢の中へ…Lullaby

 

あれは真夏の幻影(まぼろし)か?

痴情溢る One Night Stand

欲望に赤く染められた

花唇(はなびら)に口づけたい

 

魔性の Power 女 Magic

- Number Wonda Girl

哀愁の Summer 恋の Music

- Never Gonna Stop

太陽の Rommance 女 Panic

- Number Wonda Girl

情熱の Vacances 終わりゃ Tragic

- Whole Lotta Love

 

Enjoy Cumming!!

女(メス)達は満月に濡れ

 

魔性の Power 女 Magic

- Number Wonda Girl

哀愁の Summer 恋の Music

- Never Gonna Stop

太陽の Rommance 女 Panic

- Number Wonda Girl

情熱の Vacances 終わりゃ Tragic

- Whole Lotta Love

 

Enjoy Loving!!

精子(むし)達よ粘膜に飛べ!!

 

Number Wonda Girl

Never Gonna Stop

Number Wonda Girl

このブログで、再三、書いて来ている通り、

私は、今年(2024年)のNHK大河ドラマ『光る君へ』に、「どハマリ」している。

現在、『光る君へ』は、第17話まで放送終了しているが、主人公のまひろ(吉高由里子)藤原道長(柄本佑)との関係性を軸として、その周囲の人々や、この時代(平安時代中期)の出来事が劇的に描かれており、大変面白く、毎回、目が離せない。

 

 

『光る君へ』

とは、まひろ(吉高由里子)という女性が、やがて「物書き」として目覚め、

『源氏物語』

という壮大な物語を書く、紫式部という「作家」になって行く過程を描いているのだが、

「まひろが、如何にして紫式部になって行ったのか?」

という事が、丁寧に描写されている。

そして、『光る君へ』を見ていると、

「人は何故、何かを『書く』のか?」

という事が、大きなテーマとして描かれているような気がする。

『光る君へ』

の脚本を書いている、大石静が一番描きたいのは、実はその事なのではないだろうか。

そこで、今回は『光る君へ』を通して、

「人が、何かを『書く』ということの意味」

について、掘り下げてみる事としたい。

それでは、ご覧頂こう。

 

<幼少期の「まひろ」と「三郎」の出逢い>

 

 

『光る君へ』

の主人公、まひろという少女は、漢学者として著名だった、藤原為時(岸谷五朗)の娘として生まれた。

まひろには、太郎という弟が居たが、為時は息子・太郎のために、一生懸命に学問を授けよいとしているものの、

どうやら、太郎はあまり学問が好きではないらしく、一向に勉強に身が入らなかった。

そんな中、まひろは、父親から学問を習ったわけでもないのに、側で聞いているだけで、父・為時が弟・太郎のために教えている漢文を覚えてしまい、スラスラと諳んじてしまうほど、幼い頃から、大変に頭が良く、聡明な子だった。

 

 

 

藤原為時(岸谷五朗)は、やがて、娘・まひろが大変聡明な子である事に気が付き、まひろに漢文を教えたりしていたが、

「お前が、男であったらなあ…」

と、為時は溜息をついていた。

当時は平安時代中期で、まだまだ女性の社会的身分は低く、よほど高貴な家の生まれでもない限り、女性が出世する可能性は殆んど無かった。

そして、為時の妻・ちやは(国仲涼子)は、大変優しく、気立ての良い女性であり、まひろは、この心優しい母親が大好きであった。

 

 

そんなある日の事。

まひろが可愛がっていた小鳥が、籠から逃げて行ってしまった。

「あっ!?小鳥が…」

まひろは、慌てて小鳥を追いかけて行ったが、小鳥は飛び去ってしまった。

そして、小鳥はまひろの手の届かない所へ行ってしまった…。

 

 

大切に飼っていた小鳥が逃げて行ってしまい、泣いていたまひろだが、

そんなまひろの前に、三郎という少年が姿を現した。

「どうした?」

三郎に聞かれ、まひろは、

「私の小鳥が逃げて行ってしまったの…」

と、泣きじゃくっていた。

「そうか、お前も気の毒にな…」

三郎は、まひろに同情していた。

 

 

「ところで、お前は何処の誰なんだ?」

三郎という少年に聞かれた、まひろは、

「貴方、私の事を『お前』とか、気安く呼ばないで。私の名前は、まひろ。私は帝(みかど)の落とし胤なんだから…」

と言った。

勿論、そんな事は口から出まかせの嘘だったが、会ったばかりの三郎なる少年に、

「お前」

などと、気安く呼んで欲しくないと思い、まひろは、咄嗟にそんな嘘をついたのかもしれない。

 

 

しかし、三郎は、そんなまひろの咄嗟の嘘に乗っかってあげたのか、

「左様でございましたか。ご無礼をお許し下さい、まひろ姫…」

と言って、跪き、まひろを「姫」と呼んだ。

実は、この三郎という少年は、時の右大臣・藤原兼家(段田安則)の三男で、大貴族の「お坊ちゃん」であり、まひろよりも身分は高かったのだが、三郎はそんな事は明かさず、まひろを「姫」として遇した。

こうして、心優しき少年・三郎と、「作り話」が上手い少女・まひろは初めて出逢ったが、

この三郎こそ、後の藤原道長であり、まひろこそ、後の紫式部である。

なお、

「女の子が、逃げてしまった小鳥を追いかけて行く内に、貴公子と出逢う」

というエピソードは、後に、

『源氏物語』

で、光源氏紫の上が初めて出逢った場面でも出て来るが、

「そうか、まひろは後に、このエピソードを『源氏物語』に書いたのだな…」

という事が、さりげなく示されており、『源氏物語』の愛好者をニヤリとさせている。

『光る君へ』

には、そういう細かい「仕掛け」が散りばめられており、そこも見所の一つである。

 

 

こうして、まひろと三郎は出逢ったが、初対面かた意気投合した、まひろと三郎は、

「また逢おう」

という約束をした。

三郎は、まひろよりも少し年上だったが、まひろは三郎という少年に、淡い恋心を抱いていた。

そして、三郎も、まひろという、ちょっと変わった女の子に、心惹かれていた。

だが、このまひろと三郎という2人の出逢いが、思わぬ「悲劇」を引き起こす事となってしまう。

 

<「まひろ」の目の前で衝撃的な出来事が…>

 

 

まひろの父・藤原為時(岸谷五朗)は、優秀な漢学者だったが、

「世渡り下手」だった為時は、なかなか官職が得られずにいた。

だが、ある時、為時は久しぶりに官職を得る事が出来た。

そこで、為時の妻・ちやは(国仲涼子)は、その御礼のために、娘・まひろを連れて、神社に御礼参りに行った。

その日は、実はまひろと三郎が、再び逢う約束をしていた日だったので、御礼参りに行った帰り道、まひろは三郎に逢いたい一心で、駆けだしていた。

「まひろ、待ちなさい…」

母は、まひろを追いかけたが、その時、まひろは駆けて来る馬に、直前まで気付かなかった。

その馬には、ある貴族が乗っていた。

それは、藤原兼家(段田安則)の次男で、実は三郎の兄・藤原道兼(玉置玲央)であった。

道兼は、大変な「荒くれ者」で、家族の「鼻つまみ者」だったが、この直前にも家族と諍いが有り、気が立っていた。

そこで、まひろと危うくぶつかりそうになり、道兼は馬から落ちてしまった。

激怒した道兼は、まひろを斬り殺そうとしたが、母・ちやは(国仲涼子)が、

「おやめ下さい。まだ子供ではありませぬか…」

と言って、必死に娘を庇った。

こうして、一旦は道兼もこの母娘を許したが、道兼の従者が、

「あの女、道兼様をやりこめるとは、大したものですな…」

などと言ったものだから、道兼は再び激怒し、何と、まひろの目の前で、母親を殺害してしまった…。

あまりにも衝撃的な光景に、まひろは呆然としていた。

 

 

突然、愛する母親を目の前で殺されてしまい、まひろは打ちひしがれていた。

しかし、妻の亡骸を前にして、為時は信じられない事を言った。

「妻は、突然の病で亡くなった…という事にする…」

まひろは、そんな父親に対し、

「父上、何で!?母上は、道兼に殺されたのよ!?それなのに、何で!?」

まひろは、泣きじゃくっていた。

何故、為時がそんな事を言ったのかといえば、実は為時を官職に就かせてくれた、雇い主というのが、藤原兼家(段田安則)だった…そう、道兼の父親だったのである。

立場の弱い為時は、だからこそ、道兼を殺人犯として突き出す事が出来なかったのである。

こうして、あまりにも理不尽だが、「身分」の違いによって、為時は「泣き寝入り」せざるを得なくなってしまった…。

この出来事は、まひろの心に大きな傷を残した。

 

<やがて「再会」した、まひろと三郎(藤原道長)だが…?>

 

 

それから、数年後…。

年頃の娘となっていた、まひろ(吉高由里子)は、相変わらず貧乏貴族だった、父・藤原為時(岸谷五朗)の家計の足しになればと、ちょっと変わった「アルバイト」をしていた。

まひろ(吉高由里子)は、絵師に弟子入りして、文字が書けない庶民のために、

「代筆」

の仕事を請け負っていたのである。

まひろは、絵師の元にやって来る、様々な階層の人達の話を聞き、その人達のために、

「和歌」

を代筆していた。

「その人達の気持ちになりきって、その人達の立場として、和歌を詠む」

…これは、後に「作家」となる、紫式部の「原点」ともなっていた。

「色々な人の立場に立って、何かを『書く』って、楽しいな…」

と、この時、まひろは思っていたかもしれない。

 

 

そんな、ある日の事。

まひろ(吉高由里子)は、数年振りに、三郎(柄本佑)と「再会」を果たした。

この時、まひろと三郎は、まだお互いの「正体」を明かしてはいない。

だが、まひろは三郎に対し、

「私は、代筆の仕事をやっているの。良かったら、貴方の和歌も代筆してあげるわよ?」

と、言っていた。

「俺は、名前さえ書ければ良いから、代筆など必要無い」

三郎は、そう言って笑った。

「まあ、三郎は名前しか書けないんだから、偉くなんかなれないか!!」

そう言って、まひろはアハハと笑っていたが、

「お前、男みたいに笑うんだな…」

と、やはり、ちょっと変わった女性であるまひろに、三郎…実は藤原道長は、ますます惹かれて行った。

 

<左大臣・源雅信の娘・倫子の「学びの会」に出入りするようになった、まひろ~そして、遂に三郎の「正体」を知った、まひろだが…?>

 

 

さて、まひろの父・藤原為時(岸谷五朗)の「雇い主」である藤原兼家(段田安則)「右大臣」だったが、兼家の「ライバル」だったのが、「左大臣」源雅信(益岡徹)だった。

まひろ(吉高由里子)は、父・為時のために、何か有った時のために、

「左大臣家」

とのパイプも繋いでおいた方が良いであろうと判断し、その役目を自ら買って出た。

そして、まひろは、源雅信の愛娘・源倫子(黒木華)と、その「お友達」の貴族の娘達による、

「学びの会」

に顔を出すようになった。

 

 

当初、まひろは全く空気を読めず、お姫様達の会にも関わらず、

まひろの知識の深さや頭の良さが、却って「仇(あだ)」になってしまい、まひろは、かなり浮いていたが、

倫子(黒木華)は、何故か、そんなまひろの事を気に入っていた。

「この子、変わってて、面白いわね…」

倫子は、まひろの事を、そんな風に思っていたのかもしれない。

「これからも、遊びに来てちょうだいね…」

倫子とまひろは、身分の差を超えて、不思議な「友情」で結ばれるようになった。

 

 

そうこうしている内に、あるキッカケにより、まひろは、「想い人」である三郎の正体が、

実は、藤原兼家の三男・藤原道長である事を知った。

そして、それは、三郎が、母親を殺した、憎き藤原道兼の弟である事を意味していた。

或る夜、三郎とまひろは、「六条」という場所で密会をする。

「三郎じゃなかったのね…」

まひろの前に、三郎が藤原道長として姿を現した時、まず、まひろは三郎…実は道長に対し、そう言った。

「三郎とは、俺の幼い頃の呼び名だ。だから、お前と初めて逢った時は、本当に三郎であった。俺は、お前を騙そうと思った事は、一度も無い…」

道長は、そう言った。

だが、そんな事より、この夜、まひろはどうしても道長に伝えなければならない事が有った。

 

 

「私の母上は、貴方の兄の道兼に殺されたの…」

まひろは、あまりにも衝撃的な事を言った。

そして、まひろはあの日の出来事を、全て道長に打ち明けた。

「あの日、私が三郎に逢いたいと思わなければ…。私が走り出したりしなければ…。道兼が馬から落ちなければ…。母上は殺されなかったの…。母上が死んでしまったのは、私のせいなの…」

まひろは、号泣し、今まで心の奥に仕舞い込んでいた思いを、全て道長にぶつけた。

まひろは、母親を殺した道兼を、ずっと憎んで来たが、それと同じぐらい、自分の事を許す事が出来ずにいたのであった。

道長も、兄のしでかした事に、大きなショックを受けたが、まひろの想いを全て受け止めていた。

なお、これは『光る君へ』の第5話だったが、涙なしには見られない回であった。

 

<若き日の、まひろ(紫式部)と、ききょう(清少納言)の出逢い>

 

 

さて、それから暫く経った頃、道長の兄・藤原道隆(井浦新)が、若手の貴族達を集め、

「漢詩の会」

を開く事となった。

そして、「漢詩の会」のお目付け役として、著名な漢学者・藤原為時と、有名な歌人・清原元輔が呼ばれた。

その藤原為時の娘こそ、まひろ(吉高由里子)であり、清原元輔の娘こそ、ききょう(ファーストサマーウイカ)だった。

まひろは後に「紫式部」、ききょうは後に「清少納言」となる人であるが、

「2人の才女」

は、この時、初めて出逢い、2人の間にも「友情」のような物が生まれていた。

「紫式部と、清少納言が会ってる!?」

と、私はこの場面を見て喜んでしまったが、紫式部と清少納言は「宮仕え」の時期がずれていたので、実際に、この2人が出逢っていたかどうかは、わからない。

しかし、紫式部・清少納言という、日本文学史上に残る2大スターが、こうして出逢っていた…という風に描かれる方が、見ている方としては、何とも楽しいものである。

 

<お互いを想い合っていながらも結ばれない、まひろと道長…>

 

 

さて、これまで述べて来た通り、

『光る君へ』

における、まひろ(吉高由里子)藤原道長(柄本佑)には、幼い頃からの特別な「絆」が有った。

しかし、道長の兄・道兼の「殺人」の事や、2人の身分差の事もあって、2人はなかなか結ばれる事は無かった。

そんな、ある時の事。

まひろと道長の共通の知り合いで、2人とも親しかった、直秀(毎熊克哉)という謎の男(※実は盗賊)が捕らえられ、直秀は仲間達と共に「処刑」されてしまった。

直秀を救う事が出来なかった道長は泣き崩れた。

まひろと道長は、直秀達を「埋葬」したが、

「俺のせいで、直秀を死なせてしまった…」

と、道長はまひろの胸に抱かれ、泣きじゃくっていた。

こうして、「秘密」を共有した、まひろと道長の絆は、ますます深まって行った。

 

 

まひろ道長は、お互いを想い合う、「両想い」だった。

特に、道長はまひろに対する想いを抑え切れず、道長はまひろに対し、熱烈な「恋文」を何通も送った。

それに対し、まひろは努めて冷静な筆致で、「漢文(漢詩)」で返事を寄越した。

その後、道長とまひろは、度々「密会」していた、「六条」で逢い、道長はまひろに対し、

「俺は、藤原を捨てる。このまま、俺と一緒に海が見える国に行こう。俺達が、寄り添って生きて行くには、それしか無い…」

と言って、まひろに対し、「駆け落ち」するよう、口説いた。

だが、まひろはそんな道長に対し、

「道長様のお気持ちは、とても嬉しい…。でも、私達はそれで幸せかもしれないけど、貴方はもっと偉くなって、この世の中をもっと良い世の中を良くするという、役目が有るのよ…。貴方は、その為に高貴な家に生まれて来たと思うの…」

と言って、道長を諭した。

 

 

この夜、遂にまひろと道長は結ばれた。

しかし、まひろは涙を流していた。

「俺を振ったのは、お前だぞ…」

道長はそう言った。

その道長に対し、まひろは、

「女は、嬉しくても悲しくても泣くのよ…」

と、答えた。

何とも切ない場面だが、まひろと道長は、お互いを想い合っていながら、どうしても一緒にはなれない運命のようであった。

 

<道長からの「妾(しょう)」になって欲しいという申し出を断った、まひろ。そして、道長は…?>

 

 

しかし、道長はどうしても、まひろの事を諦める事が出来なかった。

考えに考えた末、道長はまひろに対し、

「やっぱり、俺の妻になって欲しい」

と、告げた。

まひろは、

「貴方の、北の方(※正室)にしてくれるの?」

と聞いたが、道長は、

「北の方は、無理だ。俺の妾(しょう)になってくれ。だが、俺の心の中では、お前が一番だ」

と、言った。

当時、貴族には何人も妻が居るのが当たり前だったが、まひろは、

「そんなの嫌!!そんなのは耐えられない…」

と言って、道長からの申し出を拒絶してしまった。

まひろは、一番好きな人に、正室が別に居ながら、自分が妾(しょう)になるという事は、どうしても耐えられないと思っていた。

 

 

その後、まひろも、やはり道長への想いは抑え難く、

「妾(しょう)でも構わないから、やっぱり、貴方の妻にして欲しい…」

と言おうと、考えを改めた。

だが、その頃には、既に道長の「婿入り」が決まってしまっていた。

そして、その相手というのが、よりによって、まひろが親しくしていた、あの源倫子(黒木華)であった…。

「倫子さまは、とても素敵な方です…。どうぞ、お幸せに…」

まひろは、涙ながらに、心とは裏腹な事を言ってしまった。

こうして、まひろと道長は、「すれ違い」の末に別れてしまい、道長は「出世」のために、大貴族・源雅信の娘・倫子の元へと婿入りをした。

 

<まひろ、「物書き」への目覚め①~ききょう(清少納言)に触発される>

 

 

さて、こんな風に、まひろ(吉高由里子)には辛い出来事ばかりが起こっているのだが、

そんなまひろを触発するような、ある出来事が有った。

あの「漢詩の会」での出逢い以来、不思議な友情で結ばれていた、ききょう(ファーストサマーウイカ)が、まひろの元を訪ね、こんな事を言った。

「私は、自らの才を活かして、宮仕えをしたいのです…」

ききょうは、大変な才女だったが、そんな自分の事を家に閉じ込めておこうとする夫が嫌でたまらなかった。

当時、ききょうには夫も子供も居たのだが、

「だから、私は息子を夫に押っ付けてやるつもりです」

と言い放つ、ききょうに対し、まひろは目を丸くして驚いていた。

 

 

 

その後、ききょうは、道長の長兄・藤原道隆の娘で、

当時、一条天皇に入内していた、中宮定子(高畑充希)に仕える事となった。

ききょうは、定子に初めて逢った時、

「何て、綺麗な方なの…」

と、忽ち、定子に魅了され、一目惚れをしてしまう。

そして、ききょうは定子から、

「清少納言」

と命名され、以後、ききょうは「清少納言」として大活躍する事となる。

その姿に、まひろも触発され、

「自分の才を活かして、女性でも活躍できる道が有るのね…」

という事を思ったかもしれない。

 

<まひろ、「物書き」への目覚め②~『蜻蛉日記』を書いた、憧れの人・藤原道綱母との出逢い>

 

 

さて、まひろ(吉高由里子)には、ひょんな事から、「友達」が出来た。

それが、父・藤原為時の愛人の娘・さわ(野村麻純)だった。

まひろさわは意気投合し、ある時、まひろとさわは、当時、京の都の貴族の間で流行っていた、

「石山詣で」

に出掛ける事となった。

その道中で、さわはまひろに対し、

「まひろ様。もし、この先、私達が誰にも嫁入りしなかったら…。私達、この先もずっと一緒に助け合って暮らして行きません?」

と言った。

まひろは、ちょっとビックリした顔をしていたが、

「それも、良いかもしれませんね」

と、笑顔で答えた。

当時、2人はそれぐらい親しい間柄だった。

 

 

こうして、まひろさわは石山寺へと赴いたが、

その石山寺で、まひろとさわは、思わぬ人と出逢った。

それは、かつて藤原兼家(段田安則)の「妾(しょう)」で、

『蜻蛉日記』

を書いた、藤原道綱母(財前直見)だった。

まひろ(吉高由里子)は、

『蜻蛉日記』

の愛読者であり、幼い頃から何度も何度も読み返して居たが、その憧れの『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母に逢えたまひろは、天にも上る気持ちだった。

そんなまひろに対し、藤原道綱母は、こんな事を言った。

「やはり、妾(しょう)というのは、とても辛くて寂しい立場でした…。でも、『蜻蛉日記』で、その辛い気持ち、寂しい気持ちを書く事によって、私は自らの悲しみを救ったのです…」

その言葉を聞き、まひろはハッとした。

「そうか、書く事によって、自らの悲しい気持ちを救う事が出来るのね…」

まひろにとって、「書く」という事に対する思いが強まった瞬間だった。

なお、この場に、藤原道綱母の息子・藤原道綱(上地雄輔)も現れたが、そんな彼が思わぬ騒動を引き起こしてしまった…。

 

<まひろ、「物書き」への目覚め③~まひろの「手紙」が、仲違いしていた、友人・さわの心を動かす>

 

 

実は、この時の「石山詣で」で、まひろの友人・さわ(野村麻純)にとって、辛い出来事が有った。

あの藤原道綱(上地雄輔)が、さわの元に「夜這い」に来たが、何と、それは「人違い」で、実は道綱は、まひろを求めていたという…。

さわは、酷い屈辱を受けた。

そして、「石山詣で」の帰り道、さわはまひろに対し、

「私、まひろ様の事を信じていたのに…。『蜻蛉日記』の話の時は、私を除け者にして…。それに、道綱様も相手にされず…。私は、殿御を惹き付ける魅力も無いし、まひろ様みたいな才能も無いし、私なんて生きてる甲斐は無い!!」

と、八つ当たり気味の気持ちをぶつけてしまった。

「これ以上、私を惨めな気持ちにさせないで!!」

そう言って、さわはまひろの元から走り去ってしまった。

まひろは、せっかく出来た、さわという友達を失ってしまい、ショックを受けた。

 

 

その後、まひろさわに対して、思いの丈を綴った手紙を何通も送ったが、

その手紙は、全て、そのまま、まひろに対して送り返されていた。

「やっぱり、さわさんと仲直りするには、無理なのかしら…」

そう思っていた、まひろの元に、さわが現れた。

そして、さわはまひろに対し、

「今までのご無礼をお許し下さい…」

と、頭を下げると、意外な事を言った。

「私、まひろ様から頂いたお手紙は、全て書き写していたのです…」

そう言って、さわは、自ら書き写した、まひろの手紙の「写し」を、まひろに見せた。

「ええっ!?」

まひろは驚いたが、確かに、それは彼女が書いた手紙の写しであった。

「私、まひろ様に少しでも追い付きたくて…。こんな事を言って、勝手かもしれませんが、また私と仲良くして下さいませんか?」

さわに言われ、まひろもそれを受け入れた。

こうして、まひろとさわは無事に仲直りした。

 

 

「私の書いた手紙が、さわさんの気持ちを動かした…」

まひろは、改めて、その事に思いを馳せていた。

「何かを書く事によって、人の気持ちを動かせる事も有る…。書く事って、凄い事なのかも…」

まひろの中で、「何か」が芽生えていた。

「何かを書いてみたい。それが、何なのかは、わからないけど…」

まひろの中で、

「物を書く」

という事の衝動が、確かに生まれていた。

それは、まひろという女性が、

「作家・紫式部」

へと大きく近付いた瞬間でもあった…。

 

<人にとって、「物を書く」という事の意味とは…?>

 

 

…という事で、

『光る君へ』

を題材にして、

「物を書く」

とは何か…という事について、考えてみたが、これまで述べて来た通り、

「人が、物を書く」

という事は、

 

・何かを書く事によって、自分の気持ちと向き合い、自分の気持ちを整理する。

・何かを書く事によって、喜びや悲しみといった気持ちを表現する。

・何かを書き、誰かとその気持ちを共有する。

 

…といった意味合いが有るのではないかと、私は思っている。

私も、「何かを書く」という事は、昔から凄く好きだが、

「ブログ」

という物をやる事によって、更にその気持ちが強まった。

また、昨今は、それこそYouTubeだのInstagramだのと、SNSでも、動画のアップを主目的とする、様々な媒体が有る中で、

わざわざ「ブログ」という媒体を選び、何かを書いている人というのは、基本的には、

「何かを書く」

という事が好きな人である…と私は思う。

そして、「何か」を書き、「ブログ」という媒体で発表するという事は、

「誰かと、その気持ちを共有したい」

という思いの表れなのではないだろうか。

だからこそ、人は何かを書き、その文章を発表したがるのであろう。

私も、「ブログ」で自分の文章を書いたり、他の人が書いた「ブログ」を読んだりするのも大変好きだが、文章を通して、

「この人は、今、こういう気持ちなのかな…」

という事に思いを馳せたりする。

だからこそ、「何かを書く」という事は「人生」そのものである、という言い方も出来よう。

『光る君へ』

の作者・大石静は、きっと、

「物を書くという事は、素晴らしい事なのですよ…」

という事を、視聴者に伝えたいに違いない。

私は、そんな事を思いながら、『光る君へ』を毎回、夢中になって見ている。

というわけで、「物を書く」という事が好きな方は、是非とも『光る君へ』を見て、何かを感じ取って欲しい…と、私は思っている次第である。

個人的な話で恐縮だが、本日(4/27)私の誕生日である。

毎年、この日(4/27)になると、「4月27日」に因んだ雑多な話などを書いたりしているが、

今年(2024年)も、「誕生日」に際して思う事などを、「徒然なるままに」(?)書いてみる事としたい。

という事で、今回は私の「雑談」に、しばしお付き合い頂ければ幸いである。

 

 

<映画評論家・淀川長治が語っていた、「誕生日」の意味とは…?>

 

 

かつて、テレビ朝日の「日曜洋画劇場」で、長い間、映画解説を行なっていた、

映画評論家・淀川長治は、「誕生日」について、黒柳徹子に、こんな事を言っていたそうである。

「誕生日というのは、自分を生んでくれて有り難う…って、お母さんに感謝する日なんだよ…」

淀川長治の、その言葉を聞いて、黒柳徹子はハッとしたそうだが、私としても、

「なるほど、『誕生日』とは、そういう意味合いが有るのか…」

と、目から鱗が落ちる思いがした。

私は、3年前に父親は亡くなってしまったが、お陰様でというか、母親はまだまだ元気である。

という事で、まずはこの場を借りて、私の母に、

「生んでくれて、有り難う」

という事を伝えたい。

なお、これは「余談」だが、私はかなりの「早産」で、本来の予定日よりも1ヶ月ぐらい早く生まれてしまったそうである。

「あんたは、生まれた時から『せっかち』だった」

と、以前、よく母に言われていた。

というわけで、本来の私の誕生日は、1ヶ月ぐらい遅かったかもしれないが、どうやら「せっかち」だった私(?)は、この日(4/27)に生まれた。

それにしても、そんな「早産」だったのに、母はよく私を無事に生んでくれたものである。

 

<「誕生日パーティー」について…>

 

 

子供の頃、小学生の頃は、私が住んでいた地域では、近所の友達同士で、

「誕生日パーティー」

を、よく開いては、お互いに、その子の家に遊びに行ったりしていた。

私も、毎年、この日(4/27)になると、我が家で「誕生日パーティー」を開き、そんなに広くもない我が家に、お陰様でというか、友達が沢山来てくれたものである。

今にして思えば、大変有り難いが、何しろ子供なので、「誕生日パーティー」で、ケーキを食べたりすると、後はみんなで外に遊びに行ったりしてしまっていたが、私のために「誕生日パーティー」を開いてくれていた、私の母親や、私のために集まってくれていた友達にも、今更ながら、感謝申し上げる次第である。

ところで、大人になって、年齢を重ねてしまうと、

「今更、誕生日っていっても…。また一つ、歳を取るだけだから」

と、言っているような人も居るが(※私の職場でも、そういう人は居る)、

先程、申し上げた通り、年齢を重ねるという事よりも、まずは無事に生んでくれた母親に感謝した方が良いのではないだろうか…。

 

<「野球」について…>

 

 

最近でこそ、このブログは、結構ありとあらゆるテーマで書いてしまっているが、

一応、このブログは、

「野球ブログ」

である。

私が、子供の頃から今に至るまで、結局のところ、人生で一番長く続いている「趣味」は、

「野球観戦」

という事になる。

私の家系は、「野球好き」が多く、九州・長崎県在住の私の母方の祖父は、筋金入りの西鉄ライオンズ(※現・埼玉西武ライオンズファンだったし、私の父も、毎晩、テレビで野球中継を見ているような人だった。

ちなみに、当時のテレビは、毎日、「巨人戦」ばかり放送していたが、父は毎晩、「巨人戦」を見ているにも関わらず、

「アンチ巨人」

であった。

「そんなに巨人が嫌いなのに、何で、毎晩、巨人戦をテレビで見ているのか」

と、私は父に聞いた事が有ったが、

「俺は、巨人が負ける所が見たいんだ」

と、父は答えていた。

まあ、当時は、そもそもテレビの野球中継といえば、ほぼ「巨人戦」しか放送していなかったし、他に選択肢も無かったのかもしれないが、それにしても、私の父親と来たら、巨人が負けそうな展開になると、嬉々として「巨人戦」を見ていたし、巨人が逆転したり、リードしたりすると、つまらなそうに、チャンネルを消したり、テレビを消したりしていた。

「親父は、そんなに巨人が負ける所が見たいのか…」

と、私は呆れてしまった(?)が、それはそれとして、父はテレビの「野球観戦」を、何だかんだ言って楽しんでいたようである。

という事で、父が応援していたのは、必ず、

「巨人の対戦相手」

だった。

だが、当時は巨人ファンも勿論、沢山居たが、もしかしたら、そんな風に、

「巨人が負ける事をひたすら願う、アンチ巨人」

も、沢山居たと思われる。

 

<「巨人ファン」から「大洋ファン」への「転向」について…>

 

 

という事で、私も父親と一緒に、よくテレビで「野球中継」を見ていた影響で、

小学生の頃から、気が付けば「野球好き」になっていたが、

「アンチ巨人」

だった、父親の願いも空しく(?)、私は、

「巨人ファン」

になってしまった。

先程も述べたが、当時はテレビで「巨人戦」しかやっていなかったのだから、特に子供はテレビに「洗脳」され、

「巨人ファン」

に、ならざるを得なかったのである。

それはともかく、私もご多分に漏れず、テレビに「洗脳」され(?)、「巨人ファン」になってしまったが、

当時の「巨人戦」は大人気であり、東京ドームの「巨人戦」のチケットはなかなか取れなかったので、私は巨人のファンクラブにも入ってしまった。

 

 

 

そして、私の両親と私と弟という4人家族で、東京ドームの巨人戦には、何度か行ったものである。

「野球を見に連れて行って欲しい」

と、散々、私が親にせがんでいたから、仕方なく(?)連れて行ってくれていたのだと思われるが、やはり、テレビで見るよりも、本物の野球場で見るプロ野球は、本当に迫力が凄かった。

そして、原辰徳中畑清といった、巨人のスター選手達の活躍に胸を躍らせていたものである。

 

 

 

だが、そんな私が、1990(平成2)年、

当時の横浜大洋ホエールズ(※現・横浜DeNAベイスターズ)が快進撃を見せたのをキッカケに、

「大洋って、何か魅力的なチームだな」

と思ってしまい、私は気が付けば大洋に魅了され、

「大洋ファン」

に転向してしまった。

その辺の経緯は、今までこのブログでも何度も書いて来たので、今更くどくどとは繰り返さないが、

それ以来、30数年、私は、

「大洋ファン⇒横浜ファン」

である。

なお、「巨人ファン」から「大洋ファン」「転向」した頃、私の父からは、

「何で、大洋みたいな弱いチームなんか応援するんだ?」

と言われたが、

「巨人なんて、僕が応援しなくても勝てるけど、大洋は僕が応援してやらないと、勝てないから」

と、わかったようなわからないような答え(?)をしていたものである。

当時の私には、そんな謎の「使命感」が有ったのかもしれない。

 

<「サザンオールスターズ」について…>

 

 

さて、私がこのブログで好んで取り上げ、今や、ほぼ当ブログの「メインテーマ」になってしまっている、

「サザンオールスターズ」

についてであるが、これまた、私がこのブログで沢山書いて来た事だが、

私がサザンファンになったのは、1992(平成4)年、当時、中学生だった頃である。

この年(1992年)サザンオールスターズは、

『涙のキッス』

という曲を大ヒットさせていた、

私は、『涙のキッス』という曲が大変気に入ってしまい、この曲をキッカケに、サザンにハマった。

以来、これまた私は30年来のサザンファンであるが、当時、それまでにサザンがリリースして来た、過去の曲も全て聴きまくり、私は物凄い勢いでサザンに傾倒して行った。

一時は、私は本当に、

「寝ても覚めてもサザン」

という状態だったが、そんな私を見て、当時、私の母親は、

「大洋といい、サザンといい、あんたは本当に『凝り性』なんだから…」

と、呆れ気味に(?)言っていたものである。

まあ、それは否定出来ないところではある。

そして、まさか後年、私がこんなブログを書いて、サザンについて、あれこれ書くようになってしまうとは、当時は夢にも思わなかった。

本当に、人生とは何が起こるかわからないものである。

 

<「横浜」「鎌倉」「江ノ島」「茅ヶ崎」~憧れの(?)「神奈川県」について…>

 

 

さて、横浜大洋ホエールズ(※横浜ベイスターズ)サザンオールスターズ「共通点」は何かと言えば、それは勿論、

「横浜」

という場所に縁が深いという事である。

私は、大洋ファンになった後、今度は、これまた家族4人で、大洋の本拠地・横浜スタジアムに行っていたものだが、

その内、横浜スタジアムの周りの、

「横浜」

という場所にも魅了されて行った。

とにかく、「横浜」は見所が多すぎて、何度行っても飽きない。

「横浜」は、「東京」とは違う、独特の風情や趣が有り、そこが「横浜」の魅力であると私は思う。

 

 

 

そして、サザンファンの聖地とも言うべき、

「鎌倉」「江ノ島」「茅ヶ崎」

にも、当然のようにというか、私は魅了され、私は、

「サザンゆかりの聖地巡り」

のように、それらの場所に沢山行って来たが、それこそ、何度行ったかわからないぐらいである。

もしもサザンファンになっていなければ、

「鎌倉」「江ノ島」「茅ヶ崎」

の素晴らしさにも気付けなかったかもしれないが、そういう意味でもサザンには感謝である。

なお、私は今まで一度も、神奈川県には住んだ事はなく、上記の場所には、

「お客さん」(?)

のように、訪れる立場なのだが、却って、それだからこそ、いつ行っても新鮮な感動が有るのかもしれない。

また、これは「余談」だが、

「サザンの聖地巡り」

が、このブログで書いている、

「サザン小説」

にも、かなり反映されているが、無論、私はそんな事になるとは、全く思っていなかった。

人生、何が起こるか…(以下、省略)。

 

<「読書」と「書店」について…>

 

 

先程、私は、

「『野球』が、私の人生で、一番長く続いている趣味である」

という趣旨の事を書いたが、私は子供の頃から、

「読書」

が大好きである。

今でも、それこそ暇さえ有れば本を読んでしまっているが、

これはもう「習慣」のようになってしまっているので、恐らく、これは生涯、変わらないのではないだろうか。

なお、私は主に「歴史」に関する本が好きだが、それ以外の本も色々と読む。

私は、「読書」に関して言えば、

「雑食」

である。

そして、私が何故こんなに本が好きになったのかといえば、

「小さい頃、母親が、毎晩、私に絵本を読み聞かせてくれていた」

という事が有り、それが「原点」だった…という事は、このブログでも何度も書いている。

 

 

そして、私が最も好きな場所は、

「書店(本屋)」

である。

今でも、時間さえ有れば、必ず「書店(本屋)」には立ち寄るようにしているが、

これも、このブログではよく書いている事ではあるが、私の母親は、私が小さい頃から、私をよく「書店(本屋)」に連れて行ってくれていた。

「本屋さんに連れて行けば、大人しくなるから」

というのが、その理由(?)だったらしいが、とにかく、私は沢山の本が並んでいるのを見るだけで、嬉しくなってしまう。

昨今は、「ネット書店」が全盛で、「リアル書店」が続々と潰れてしまっているようだが、それは大変嘆かわしい。

「本なんて、買いたかったらネットですぐに買えるじゃないか」

という方も多いだろうが(※私も、便利なのでネットで本を買ったりしているが)、

「ネット書店」でばかり本を買ってしまうと、どうしても、自分が興味の有る分野にばかり偏ってしまいがちである。

だが、「書店(本屋)」に行って、売場をぐるりと周るだけで、今まで自分が全く興味が無かった分野の本が目に留まったりして、

「へー、何か面白そうだな…」

と、思わぬ発見が有ったりする。

そういう思わぬ「出逢い」は、「ネット書店」では、まず無い。

今まで、自分が全く興味が無かった分野の本と出逢い、自分の興味の幅が広がったりする事も有るし、そういう所が、「リアル書店」の醍醐味であると、私は声を大にして言いたい。

 

<「歴史」について…>

 

 

 

私が大好きな事といえば、普段からこのブログをお読み頂いている方なら、よくご存知(?)の通り、

「歴史」

である。

私は、「歴史」ほど面白い物は無いのではないか…と、本気で思っているが、

このブログでも、私は手を替え品を替え、

「〇〇の歴史」

といったテーマで、記事を書いている。

しかし、残念ながら、世の中には「歴史」が苦手というか、「歴史」に興味が無い、或いは「歴史」嫌いの人も多い。

「歴史とか、昔の出来事を知って、何が面白いの?」

「歴史なんて、全然面白くない」

という人が、私の職場にも居たりするが、そういう人の言葉を聞くと、

「こんなに面白いのに…。何とも勿体ないなあ…」

と、私は思ってしまう。

恐らく、「歴史」が嫌いという人は、よほど学校の「歴史」の授業が退屈でつまらなかったのであろう。

後は、意味もなく年号を暗記させられたりとか、そういう「負」のイメージが強すぎるのではないだろうか。

だが、これまた、私がこのブログで沢山書いて来た事だが、

「歴史とは、壮大な人間ドラマの積み重ねである」

「歴史は、大きなストーリーで捉えると、凄く面白い」

という事が、「歴史」の最大の魅力である。

まあ、そんな大袈裟な話ではないとしても、人間は誰しも、自分の人生という「歴史」を生きて来ているわけだし、皆それぞれに「歴史」を持っている。

それに、友人や恋人や家族など、自分が親しい人達との間で積み重ねて来た出来事も、その当人達が共有して来た、大切な「歴史」であろう。

そういう視点を持てば、「歴史」は一気に面白くなると、私は言っておく。

なお、「余談」だが、

「歴史なんて、面白くない」

と、私に言い放っていた、職場の同僚も、残念ながら私とあまり折り合いが良くない(?)、他の同僚との事について、

「貴方と、あの人には、色々と『歴史』が有ったからね…」

と、言っていた。

どうやら、端で見ていて、そういう事を思ったらしい。

「何だ、『歴史』の本質について、わかってるじゃん」

と、私は思ったものである…。

 

<「法政大学」について…>

 

 

そして、我が母校・法政大学について、言及しておく。

これまた、以前このブログで書いた事が有ったが、高校生の頃、私は、

「どうしても、東京六大学に行きたい」

と、思っていた。

それは何故かと言えば、当時、私は、高校生ながら、

「東京六大学野球」

に、大変関心が有った。

だから、当時の私は、

「東京六大学に入って、学生として六大学野球を体験してみたい」

と、思っていた。

勿論、それだけが志望動機でもないが、当時の私にとって、それが受験の大きなモチベーションになっていたのは確かである。

サザンを輩出した青山学院大学にも行きたいとは思っていたが、当時の私は、

「青学よりも、とにかく東京六大学に行きたい」

という気持ちの方が強かった。

 

 

なお、当時の私の第一志望は、早稲田大学だったが、

高校3年生の頃、夏休みを利用して、私は東京六大学の全てに出掛け、

「東京六大学の学校ツアー」

を行なった。

その時、初めて法政大学を訪れた私は、法政の市ヶ谷キャンパスを見た瞬間に、

「あ…。何か、この大学に入るかも…」

という、不思議な予感めいたものが有った。

そして、大学受験の結果、私は早稲田には不合格だったが、法政には拾ってもらった。

こうして、私は法政大学に入る事となり、あの「予感」は現実の物となった。

ちなみに、他の五大学については、そんな「予感」は全く無かったので、

「これも、縁というやつか…」

と、私は思ったものである。

 

 

そして、このブログのタイトルが、

「頑張れ!法政野球部」

という物になった由来であるが、これも、前々から言っている通り、

2013(平成25)年春の東京六大学野球で、法政大学明治大学が、それぞれ4カード連続で「勝ち点」を取り、

「最終カードの『法政VS明治』の直接対決で、勝ち点を取った方が優勝」

という、

「勝ち点4同士の法明V決戦」

が実現した時、私は、

「法政野球部を応援するため」

という目的で、このブログを始めてしまった。

つまり、それこそが、このブログの「誕生」のキッカケだったのである。

だから、このブログのタイトルの由来は、そのまんまというか、

「法政が明治に勝って、優勝してくれますように…」

という願いを込めて、付けたのである。

そして、当然、当時の私は、

「最後は法政が明治に勝って優勝してくれるに違いない」

という事を、信じて疑わなかった。

なお、何故「アメブロ」でブログを始めたのかといえば、

「何か、簡単に始められそうだから」

と思ったからであり、他に大した理由は無い。

 

 

だが、その結果といえば、激闘の末に残念ながら法政明治に1勝2敗1分で敗れ、優勝を逃してしまった。

当時、私は心底ガックリ来てしまったが、

「あーあ、せっかく、こんなブログまで作ったのに…」

と、私は思ったものである。

そして、それから11年が経ったが、何と、この11年間、法政は、たった2度(※2018年秋、2020年春)しか優勝していない。

つまり、このブログを始めてから、法政はすっかり弱くなってしまった…。

なので、私も法政の事を書きたくても書けないので、半ば仕方なく(?)、色々な事を書くようになったが、当初は本当に、法政野球部の事だけを書くつもりで、このブログを始めた。

そういう意味では、ある意味、法政が弱くなったから、現在のようなブログになった…という言い方も出来るかもしれない。

 

<2018(平成30)年秋…「頑張れ!法政野球部」の2度目の「誕生」?>

 

 

 

 

という事で、2013(平成25)年春に、法政は惜しくも優勝を逃してしまい、

その後、すっかり法政は弱くなり、優勝からも見放されてしまった。

私も、このブログを書くモチベーションが「ダダ下がり」してしまい、結構、長い間、このブログを「放置」していた。

しかし、2018(平成30)年秋、このブログにとって、大きな「転機」が有った。

 

・法政が6年振りに東京六大学野球で優勝

・映画『ボヘミアン・ラプソディー』が大ヒット

・サザンオールスターズがデビュー40周年⇒サザンとユーミンが「紅白」で夢の共演

 

…そう、これらの出来事が立て続けに起こり、

再び「燃料」が投下されたような形となり、私がこのブログを「再開」する気持ちが高まった。

こうして、私は念願だった法政野球部の優勝記事を書いたり、

法政野球部と、QUEEN(クイーン)の歴史を「合体」させて、

「『ボヘミアン・ラプソディ』と法政黄金時代」

なるシリーズ記事を書いたりした。

以後、このブログの「得意技」(?)となった、

「野球記事と芸能記事の合わせ技」

という手法(?)も、この時に編み出した。

そして、サザンオールスターズ「歴史」として、

「サザンオールスターズと野球界の40年」

という「大長編」のシリーズ記事を書き始め、以後、数年かけて「完結」させている。

…というわけで、2018(平成30)年秋は、このブログの、

「2度目の誕生」

だった…と言って良い。

「あの時(※2018年秋)、もしも法政が優勝してなかったら、まだまだブログも放置していたかもしれないなあ…」

と、私も思うが、

「歴史に『if』は無い」

とも言うし、それはわからない。

…という事で、取り留めの無い「雑談」にお付き合い頂いたが、

「皆様、今後とも宜しくお願い致します!!」

という事をお伝えし、今回の記事の締めくくりとさせて頂きたい。

1992(平成4)~1996(平成8)年、私が10代の中高生だった頃、

サザンオールスターズ松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとのタイアップで大ヒット曲を連発し、1990年代における、サザンとユーミン(松任谷由実)の黄金時代を築いた。

そして、このブログでは、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

と題して、その頃のサザンとユーミン(松任谷由実)の活躍を描いている。

 

 

という事で、私がこれまで書いて来た、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズは、下記の通りである。

 

①1992年『涙のキッス』と『ずっとあなたが好きだった』

②1993年『真夏の夜の夢』と『誰にも言えない』

③1993年『エロティカ・セブン』と『悪魔のKISS』

④1994年『Hello, my friend』と『君といた夏』

⑤1994~1995年『祭りのあと』と『静かなるドン』

⑥1994~1995年『春よ、来い』

⑦1994年『砂の惑星』と『私の運命』(第1部)

⑧1995年『命の花』と『私の運命』(第2部)

⑨1995年『あなただけを ~Summer Heart break~』と『いつかまた逢える』

⑩1995年『輪舞曲(ロンド)』と『たたかうお嫁さま』

⑪1996年『まちぶせ』(前編)

⑫1996年『まちぶせ』(中編)

 

…前回の記事では、かつてユーミン(荒井由実)が、1976(昭和51)年に三木聖子のために作った曲、

『まちぶせ』

が、その5年後の1981(昭和56)年、石川ひとみによって再リリースされ、石川ひとみが歌った『まちぶせ』が大ヒットした…という経緯を描いた。

というわけで、今回はその「続編」を書くが、今回の記事は、ユーミン(松任谷由実)中島みゆき、そして桑田佳祐などが、「アイドル歌謡」に対し、次々に楽曲提供した時代、

「楽曲提供で綴る、1980年代のアイドル歌謡史」

を書く。

という事で、

「1992~1996年のサザンとユーミン」の「第13回」、「1996年『まちぶせ』(後編)」を、ご覧頂こう。

 

<1981(昭和56)年7月21日…石川ひとみ、通算5枚目のオリジナル・アルバム『まちぶせ』リリース>

 

 

1981(昭和56)年、石川ひとみは、ユーミン(松任谷由実)によって楽曲提供された、

『まちぶせ』

をリリースし、この『まちぶせ』が大ヒットした事により、石川ひとみは遂に人気歌手の仲間入りを果たした。

そして、1981(昭和56)年7月21日、石川ひとみは、通算5枚目のオリジナル・アルバム、

『まちぶせ』

をリリースし、これまた大ヒットさせている。

NHKテレビ人形劇の、

『プリンプリン物語』

のヒロインを演じていた石川ひとみは、ようやく歌手としてもブレイクを果たし、充実の時を迎えていた。

ユーミン(松任谷由実)としても、責任を果たし、ホッとした心境だったと思われる。

 

<NHKで放送されていたアイドル歌謡番組「レッツゴーヤング」~1974(昭和49)年に放送開始され、キャンディーズ、ピンク・レディーなども司会を務める~デビュー当時のサザンオールスターズも出演>

 

 

 

 

さて、1970~1980年代にかけて、NHKで放送されていたアイドル歌謡番組、

「レッツゴーヤング」

を、覚えていらっしゃる事も多いと思われるが、この番組は、毎週、NHKホールで収録され、日曜日の夕方に放送されていた。

「レッツゴーヤング」

は、時のアイドルが司会を務め、毎回、人気アイドルがゲスト出演し、歌やトークや、時にはコント(?)なども披露されていた。

初期の頃は、フォーリーブス、ずうとるびなどが司会を務めていたが、1976(昭和51)年度~1977(昭和52)年前半はキャンディーズ、1978(昭和53)年度はピンク・レディーという、当時の超人気のトップアイドルも司会を務めていた。

 

 

 

そして、1978(昭和53)~1979(昭和54)年頃、デビュー当時のサザンオールスターズも、

「レッツゴーヤング」

には度々出演し、当時の人気アイドル歌手達と「共演」していた。

そう、デビュー当時のサザンは「アイドル」扱いだったのである。

この番組の映像を、今、見ていると、とにかく会場に詰め掛けた若い観客からの黄色い声援が物凄い事になっているが、

1981(昭和56)年度、「レッツゴーヤング」史上、最も大人気だった司会者コンビが誕生する。

それが、田原俊彦松田聖子である。

 

<1981(昭和56)年…田原俊彦、松田聖子、太川陽介が「レッツゴーヤング」の司会を務め、「レッツゴーヤング」は全盛期を迎える>

 

 

 

1981(昭和56)年度、

田原俊彦・松田聖子・太川陽介…という3人が、

「レッツゴーヤング」

の司会を務めたが、田原俊彦松田聖子という、当時の男女のスーパーアイドルが毎週、司会を務めるという事で、

「レッツゴーヤング」

の収録が行われる時は、NHKホールは毎回、凄まじい絶叫の嵐であった。

当時、田原俊彦松田聖子は、「グリコ アーモンドチョコレート」のCMでも共演するなど、なかなか良い感じの雰囲気(?)と思われたが、

それだけに、田原俊彦ファンの女性ファンからの松田聖子に対する「嫉妬」も物凄かったようである。

「トシちゃんに、くっつかないでよ!!」

と、松田聖子に対する「やっかみ」の声も大きかったようだが、当の聖子は、(少なくとも表面上は)常に平然としており、いつもニコニコしていた。

やはり、松田聖子は流石はスーパーアイドルといったところだが、スーパーアイドルになる人は、度胸が有るというか、肝が据わっている。

 

<1980(昭和55)~1981(昭和56)年の松田聖子の楽曲>

 

 

 

 

 

 

さて、1980(昭和55)~1981(昭和56)年にかけて、松田聖子がリリースした、デビュー曲『裸足の季節』から、5枚目のシングル『夏の扉』までの、5枚のシングルについて、作詞・作曲した人は誰なのかを、以下、列挙しておく事とする。

 

【1980(昭和55)~1981(昭和56)年の松田聖子の楽曲】

①『裸足の季節』(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎)

②『青い珊瑚礁』(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎)

③『風は秋色』(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎)

④『チェリーブラッサム』(作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫)

⑤『夏の扉』(作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫)

 

…という事であるが、上記5枚のシングルの全ての作詞を、三浦徳子が担当し、

『裸足の季節』『青い珊瑚礁』『風は秋色』の作曲は小田裕一郎が、

『チェリーブラッサム』『夏の扉』の作曲は財津和夫が、それぞれ担当した。

これらの作家陣が、松田聖子のために優れた楽曲を生み出し、

その曲を松田聖子が、実にノビノビと歌いこなしていた。

「スーパーアイドル・松田聖子」

が誕生した要因としては、まず、出す曲出す曲、全てが素晴らしかったからという事と、

松田聖子という唯一無二の存在感を持った歌手が、その優れた楽曲を100%以上の表現力で歌った…という事が挙げられうよう。

そして、1982(昭和57)年、既にスーパーアイドルとなっていた松田聖子陣営に、いよいよ、松本隆ユーミン(松任谷由実)が加わる事となった。

 

<1982(昭和57)年1月21日…松田聖子、通算8枚目のシングル『赤いスイートピー』リリース~ユーミン(松任谷由実)が「呉田軽穂」のペンネームで松田聖子陣営に加わり、「作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂」のゴールデン・コンビが誕生~『赤いスイートピー』はオリコン「1位」の大ヒット>

 

 

 

 

前回の記事でも書いたが、ユーミン(松任谷由実)は当初、

「アイドル歌手」

という存在が好きではなかった…というより、どちらかと言えば、「敵視」していたという。

だが、ユーミン(松任谷由実)は、三木聖子のために書いた、

『まちぶせ』

が不発に終わった後、その5年後に石川ひとみが、この曲を大ヒットさせた…という経緯を経て、

「アイドルの曲だからって、舐めたらいけない。やるなら、本気で徹底的にやってやろう」

と決意し、それまでとは考え方を変えたという。

そして、そんなユーミン(松任谷由実)に対し、遂に、松田聖子「新曲」を書いて欲しい…というオファーが来た。

ユーミン(松任谷由実)は、そのオファーを引き受け、かつてのハリウッド映画の大女優、グレタ・ガルボの名前をもじって、

「呉田軽穂」

というペンネームを名乗り、他の歌手に楽曲を提供する時は、この名前を名乗る事となった。

また、呉田軽穂ことユーミン(松任谷由実)と共に、松本隆も、松田聖子の作家陣へと加わる事となった。

 

 

 

 

そして、1982(昭和57)年1月21日、松田聖子の通算8枚目のシングルとしてリリースされたのが、

『赤いスイートピー』

である。

この曲は、松本隆が作詞し、呉田軽穂ことユーミン(松任谷由実)が作曲を手掛け、ここに、

「作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂」

のゴールデン・コンビが誕生した。

遂に「最強タッグ」が誕生したが、当時、「聖子ちゃんカット」が大人気となっていた松田聖子は、

『赤いスイートピー』

のリリース後に、髪をバッサリと切り、これも大きな話題となった。

そして、松田聖子は既にスーパーアイドルとして大人気だったが、『赤いスイートピー』をキッカケに、女性ファンも更に増えて行った。

 

 

 

『赤いスイートピー』

は、いかにも松本隆らしい、

「春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ…」

という、何処か抽象的で不思議な歌詞で始まるが、

流石はユーミン(松任谷由実)が作った曲というべきか、曲の始まりから終わりまで、とにかく隙が無いというか、本当に非の打ちどころの無い名曲である。

そして、『赤いスイートピー』も、当然の如く、オリコン「1位」の大ヒットとなり、スーパースター・松田聖子の名声は、更に不動の物となった。

 

<1982(昭和57)年…石川ひとみが「レッツゴーヤング」の司会に就任~太川陽介&石川ひとみの「名コンビ」が誕生>

 

 

 

1982(昭和57)年、田原俊彦松田聖子の「後任」として、石川ひとみが、

「レッツゴーヤング」

の司会に就任した。

そして、太川陽介石川ひとみは「名コンビ」として、

「レッツゴーヤング」

の司会を、1985(昭和60)年まで務めたが、司会は「卒業」しても、松田聖子は「レッツゴーヤング」に、度々、ゲストとして出演する事となった。

そして、1980年代は「アイドル歌謡全盛時代」だったが、「レッツゴーヤング」も、華やかなアイドル達が共演し、視聴者を楽しませた。

当時、民放の「夜ヒット」や「ザ・ベストテン」と共に、NHKの「レッツゴーヤング」を楽しみに見ていた人達も多かった筈である。

 

<1982(昭和57)~1984(昭和59)年…「作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、唄:松田聖子」のゴールデン・チームが、次々に「名曲」を生み出す>

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、1982(昭57)~1984(昭和59)年にかけて、

「作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、唄:松田聖子」

というゴールデン・チームは、「名曲」を次々と世に送り出し、そして、いずれの曲も大ヒットさせた。

以下、それらの楽曲を、ご紹介させて頂く。

 

【1982(昭和57)~1984(昭和59)年の「作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、唄:松田聖子」の楽曲】

・『赤いスイートピー』(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)

・『小麦色のマーメイド』(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)

・『秘密の花園』(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)

・『Rock'n Rouge(ロックン・ルージュ)』(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)

・『瞳はダイアモンド』(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)

・『時間の国のアリス』(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)

 

 

…という事であるが、いずれも、素晴らしい曲ばかりである。

後年、松本隆は、こんな事を言っている。

「僕は、よくユーミン(松任谷由実)の事を『戦友』っていうけど、間違い無く、聖子さんも『戦友』だった。新曲を次から次に書かなければいけないというプレッシャーは有ったけど、聖子さんは、必ず、期待以上の歌を歌ってくれた。聖子さんは、本当に凄い歌手だった…」

そして、ユーミン(松任谷由実)も、松田聖子に関して、下記のコメントを残している。

「聖子さんの曲を作る事が出来て、私はとても光栄だった。聖子さんの活動に携われて本当に良かった…」

松田聖子は、そんな2人の言葉を聞き、感無量の表情であった。

という事で、松田聖子という最高の歌手のために、松本隆ユーミン(松任谷由実)が、最高の曲を作り続けたという、素晴らしい時代が確かに有った。

 

<もう一人のスーパーアイドル・中森明菜の躍進~「松田聖子VS中森明菜」の時代>

 

 

さて、1982(昭和57)年、松本隆と、呉田軽穂ことユーミン(松任谷由実)が、松田聖子の作家陣に加わり、以後、名曲を量産して行った…という事は、前述の通りだが、

1982(昭和57)年といえば、中森明菜が彗星の如く登場した年でもある。

そして、中森明菜も、次々に大ヒット曲を連発して行き、忽ち、トップアイドルとなった。

当時は、松田聖子中森明菜が人気を二分し、

「聖子派か、明菜派か」

…といった事が、ファン達の間で「論争」となるほどだった。

という事で、ここで中森明菜の事も詳しく語って行きたい所だが、残念ながら(?)スペースの都合上、それはまたの機会に…という事にさせて頂くとして、ここでは、1982(昭和57)~1986(昭和61)年の中森明菜の楽曲と、作家陣をご紹介させて頂く。

 

 

【1982(昭和57)~1986(昭和61)年の中森明菜の楽曲】

・『スローモーション』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)

・『少女A』(作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明)

・『セカンド・ラブ』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)

・『1/2の神話』(作詞:売野雅勇、作曲:大沢誉志幸)

・『トワイライト -夕暮れ便り-』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)

・『禁区』(作詞:売野雅勇、作曲:細野晴臣)

・『北ウイング』(作詞:康珍化、作曲:林哲司)

・『サザン・ウインド』(作詞:来生えつこ、作曲:玉置浩二)

・『十戒』(作詞:売野雅勇、作曲:高中正義)

・『飾りじゃないのよ涙は』(作詞・作曲:井上陽水)

・『ミ・アモーレ』(作詞:康珍化、作曲:松岡直也)

・『SAND BEIGE -砂漠へ-』(作詞:許瑛子、作曲:都志見隆)

・『SOLITUDE』(作詞:湯川れい子、作曲:タケカワユキヒデ)

・『DESIRE -情熱-』(作詞:阿木燿子、作曲:鈴木キサブロー)

 

 

 

…という事であるが、中森明菜の楽曲も「名曲」揃いである。

そして、中森明菜のために曲を作っているのも、超豪華な作家陣であるが、

「中森明菜のために」

という事で、毎回、様々な趣向を凝らし、作家陣が素晴らしい曲を作っていた。

そして、中森明菜という歌手は、それを抜群の歌唱力と表現力で歌い、素晴らしい名曲の数々が生まれて行った。

 

 

なお、これは「余談」だが、私は子供心に、

「松田聖子って、可愛くて歌が上手いな…」

と思っており、それ以来、ずっと松田聖子ファン(?)だったが、近年、熱狂的な中森明菜ファンの人と知り合い、その人の影響で、改めて中森明菜の魅力に気付いた(?)という経緯が有る。

私は、今では、松田聖子も中森明菜も、どちらも大好きな歌手である。

そして、

「松田聖子VS中森明菜」

という対比が、よく語られ、兎角この2人はライバル同士として見做される事が多いが、聖子と明菜は、お互いをリスペクトし合っており、共に実力を認め合っているという。

という事で、1980年代の日本の歌謡界は、松田聖子中森明菜という、2人のスーパーアイドルが牽引した時代でもあった。

 

<1980年代~「作家」としての中島みゆきの活躍>

 

 

 

さて、1980年代の「呉田軽穂」ことユーミン(松任谷由実)の活躍ぶりについて、述べて来たが、

ユーミン(松任谷由実)のライバル、中島みゆきも負けてはいない。

1980年代に入り、中島みゆきは、

『ひとり上手』(1980)、『悪女』(1981)

…といった曲を大ヒットさせたが、中島みゆきの曲というのは、

「中島みゆきという人が、原作、脚本、主演を全て務める映画のようである」

と、私は思う。

とにかく、中島みゆきは、僅か数分の曲で、見事に「世界観」を構築してしまう。

そういう意味では、中島みゆきは「作家」のような歌手であり、こんな歌手は他には誰にも居ない…と、私は思っている。

 

 

 

 

中島みゆきは、「作家」として、他の歌手にも、素晴らしい楽曲を提供し続けていたが、

・『しあわせ芝居』(1977・桜田淳子)

・『すずめ』(1981・増田けい子)

・『春なのに』(1983・柏原芳恵)

…といった曲は、特に素晴らしい。

中島みゆきが作った曲を歌うと、その歌手は輝きを増す…という事を、桜田淳子・増田けい子・柏原芳恵…といった歌手達は証明していると言えよう。

桜田淳子は、『しあわせ芝居』で、改めて歌手としての存在感を示し、

ピンク・レディー解散後、ソロ歌手となった増田けい子は、『すずめ』で新境地を開いた。

柏原芳恵も、『春なのに』の大ヒットで、トップ・アイドルの仲間入りを果たした…。

このように、中島みゆきも、「作家」として、良い仕事を果たしたが、その中島みゆきが、工藤静香という歌い手と出逢うのは、もう少し後の事である。

 

<「歌手」としての薬師丸ひろ子~「呉田軽穂」ことユーミン(松任谷由実)も、『Woman "Wの悲劇"より』で、薬師丸ひろ子に楽曲提供>

 

 

さて、続いてご紹介させて頂くのは、薬師丸ひろ子である。

1980年代といえば、沢山の女性アイドル歌手が活躍していたが、その中で、私が何故、薬師丸ひろ子を「歌手」として紹介するのかと言えば、薬師丸ひろ子は、単純に私の好みのタイプ(?)だからである。

…まあ、冗談はさておき(?)として、薬師丸ひろ子は、角川映画の主演女優として活躍し、テレビにはあまり出なかった。

そして、「映画スター」として、独特の存在感を発揮した薬師丸ひろ子は、自らの主演映画とのタイアップで、

 

・1981年『セーラー服と機関銃』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお)

・1983年『探偵物語』(作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一)

 

…といった大ヒット曲を出した。

どちらも素晴らしい曲だが、私は特に『探偵物語』が大好きである。

薬師丸ひろ子は、とても素直な歌い方をする人だが、その薬師丸ひろ子の歌声と、切ない歌詞と曲が、とてもよく合っている。

松本隆・大瀧詠一という、「はっぴいえんど」以来の盟友が、とても素晴らしい曲を作り、その名曲を薬師丸ひろ子という歌手が、あまり小細工もせず、素直に歌っている。

それが、とても良いのである。

 

 

そして、1984(昭和59)年、既に松田聖子のために、次々に名曲を作っていた、

「作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂」

のゴールデン・コンビが、今度は薬師丸ひろ子のために、

『Woman "Wの悲劇"より』

という名曲を作った。

これまた、薬師丸ひろ子が主演した、角川映画とのタイアップで、大ヒットした。

という事で、1980年代は、

「音楽作りの職人達」

が、腕によりをかけて、当時のアイドル歌手達に素晴らしい名曲の数々を提供し、それをアイドル歌手達が歌い、次々に大ヒットさせていたという、

「アイドル歌謡の黄金時代」

であった。

 

<1980年代~桑田佳祐の、他アーティストへの楽曲提供>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、この稿の最後に、1980年代に、サザンオールスターズ桑田佳祐が作詞・作曲し、他アーティストに提供された楽曲のついて、ご紹介させて頂く。

なお、サザンの原由子が、サザンのアルバム収録曲として先に歌い、後に他の歌手に提供されたのが、

『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』『シャボン』

…といった曲である。

 

【1980年代の桑田佳祐の他アーティストへの主な楽曲提供一覧】

・1980年『私はピアノ』(高田みづえ)

・1981年『狂い咲きフライデイ・ナイト』(タモリ)

・1982年『夏をあきらめて』(研ナオコ)

・1982年『恋人も濡れる街角』(中村雅俊)

・1982年『六本木のベンちゃん』(小林克也とザ・ナンバーワン・バンド)

・1983年『そんなヒロシに騙されて』(高田みづえ)

・1983年『アミダばばあの唄』(アミダばばあ(明石家さんま)&タケちゃんマン(ビートたけし))

・1984年『シャボン』(長山洋子)

 

(つづく)