本日2回目の更新です。
今日は京都南座まで、お芝居を観に行きました。
元宝塚歌劇団 花組トップスターのぺいさんこと髙汐巴さんがご出演だったからです。
『あゝ同期の桜』は、第二次世界大戦末期の日本が舞台。
特攻隊の少年、青年たちの群像劇です。
主宰者である元少年隊の錦織一清さんは演出担当であり出演もされていました。
ぺいさんは、ある特攻隊員の母親役でした。
クリスチャンで、息子はこの母の作るいなり寿司が大好き。息子がオルガンを弾けるのも、母が教えたおかげ。
交通事情の悪い中、母はいなり寿司を作っては息子の面会にやってくる、という役どころです。
ぺいさんのお衣装は紫を基調とした着物で作られたモンペ。(絣の着物で作ったのかな、と思わせるもの)
肩からは十字架の描かれたショール(もしかしたら、宗教的な布かも)をかけています。髪の毛も昭和の婦人らしく、編み上げて後ろにまとめた地味な様子。
とっても地味にしてはるんですけど、昭和の母にしてはモンペの腰の位置が高いの。普通の着物なら分かりにくいけどモンペだから逆に脚の長さがわかってしまうという…
ぺいさんが着るとモンペもなんだかおしゃれに見えるのよね。なんでも着こなしてしまう ぺいさん恐るべし。
ぺいさんがお芝居をする時間は少ないので、ぺいさん目当てに行った私にとって不満だったかと言うと、そんなことはなかったです。
特攻の「同期の桜」たち、それぞれの性格や考え方、どうやって自分の死に折り合いをつけていくのか、など、引き込まれました。
特に釜谷海来さんが印象的でしたワ。
私は以前、鹿児島に旅行した時、知覧特攻平和会館の見学をしました。
特攻隊の人たちの書き残した手紙には胸が詰まりました。
特攻という戦略を美化するものではありません。
ですが、特攻に散った方たちを否定したり貶めるのは間違っていると思います。
『あゝ同期の桜』も、戦争や特攻を美化礼賛するものではなく、今この時代に生きる私たちに「この人たちの存在を忘れてはいけない」と訴えているのだと思いました。
実際、お芝居を見ていると、先の戦争からまだ100年経っていないのだなぁ、としみじみ感じました。
私が子どもの頃、大阪に出かけると、傷痍軍人さんが むしろに座って道ゆく人たちから施しを受けている姿を見かけることがありました。
戦争は遠い昔のことではないし、よその国の話でもない。
いま平和であることを感謝して、ちゃんと生きなきゃなぁ、と思わずにはいられません。
客席では泣いておられるかたも大勢おられましたよ。
私はですね、じーんとしつつも、気になることが一つあって、泣くに泣けなかったです。
それはBGM。
この作品はストレートなお芝居であり、ミュージカルのように演者さんがセリフを歌で表現することはありません。
BGMに、森山直太朗さんなど、メッセージ性の強い歌を流すのですけど、その音出しとフェードアウトがあまりにも唐突というか、飾らずに言えば雑に聞こえてなりませんでした。
BGMが始まる(最初からカットインのフルボリューム、イントロがなく歌詞から始まるパターン多し)
↓
演者さんのセリフが始まる
↓
音量をガーンと一気に下げる
↓
セリフ終わる
↓
歌詞の途中でも一気に音量上がる
この繰り返しが気になって気になって。
最初は、三越劇場から南座に変わったから音響が難しいのかなと思ったけれど、毎回このパターン。
歌詞のないインストなら気にならなかったのかもしれませんが、メッセージ性の強い歌詞の途中で音量が極端に変化されると、頭のどこかで無意識に拾っている歌詞が続かなくてモヤモヤしてしまいました。
モヤモヤすると言えばアフタートーク。
出演者のお一人(多分高橋虎之助さん)が京都出身で「東山小学校出身なんです」と言った途端、錦織一清さんが「名前が悪い!」とツッコミを入れました。
元少年隊の東山紀之さんの東山にかけたわけです。
客席ドッカーンと笑い爆発。
私も笑いました。
ところが、ウケたことに気をよくしたのでしょうか、ここから錦織さんの「東山いじり」が始まり、短いトークショーの中で何回も東山=名前が悪いを繰り返しておられました。
お客様はその都度笑ってはったけど、私は2回目からは全然面白くなかったです。
せっかくのアフタートーク、もっと舞台や俳優さん個人について中身のある話を期待したのに。東山ネタで使った時間、舞台の話をお聞きしたかった。
そもそも、錦織一清さんはアフタートークの冒頭に「南座の前の三越劇場が良い稽古になりまして」と口走りはりまして、私は眉をひそめました。
多分、南座のお客様に「南座は良い劇場だ。お客様も素晴らしいから良い舞台になった」と、サービスのつもりでおっしゃったんだと思います。
でも、ものは言いようですよ。
三越劇場の公演が南座の準備だったみたいな言い方、三越劇場でご覧になった方に失礼すぎません?
三越劇場のお客様ってご招待だったの?ゲネプロだったの?
お金払って見に来てくださったんでしょう?
そもそも劇場どうしを比べてどうこう言うのが失礼だと思います。
もちろんキャパシティも舞台機構も違うのだから「同じ作品でもまた違った味わいになった」くらいで止めておかれるべきだったのでは?
それとも、公演の数をこなすにつれて中身が濃くなったという意味だったのかな?それならそれで言いようがあると思います。
ご本人も最初に「こんなこというと、SNSで叩かれるかも知れないけど」とおっしゃっていました。やっぱり失礼なことだって わかってはるんじゃないですか。
作品には感銘を受けたけど、いろいろ微妙な気持ちになった『あゝ同期の桜』でした。
おまけ
南座で観劇するのは久しぶり。
テンション上がる⤴️
ご出演者が驚いておられた客席の提灯。
終演後、四条河原町の夜桜。
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