どうなん? | 畑雅文のブログ

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どの分野においても往々にしてある事だけど、だからって「そういうもの」として片付ける事に辟易してきたのでいったん発散しましょうの巻。

話し合って決めた事を元に書いたプロット(物語の最初から最後までをまとめたあらすじ)を出してチェックOKが出たから台本にします。
それを書き終わってまた提出。

するとたまに不思議な事が起きるんですよ。

「こうして形になったものを改めて読んでみて思ったんですが、新たに◯◯という要素を足したいです」

という注文が発生したりするんです。

これが非常に嫌なんです。
面倒で面倒で仕方なさ過ぎる。

だって一度「これで行こう」って決めたじゃん。それ変えるの?

後出しジャンケンやめて欲しい。

いや、分かってますよ。
ものづくりの過程におけるトライ&エラーの繰り返しとかは。

色々と磨けば良いものが出来るという神話も。

でも時間と労力が半分くらい無駄になった気分です。
こういう時、無駄という言葉が嫌いな人は必ず出してくる返答があります。

「こうして書いてくれたからこそ気づけた事があるから、決して無駄ではない」

いや気分としては最高に無駄なんですよ。理屈じゃないの。
もちろん、自分が相手を納得させる代物を出せなかったから、その物足りなさの隙間をどんどんほじくられて広がった結果の追加オーダーなのは理解できます。

ただその隙間を埋めるというよりか、今建ってるものを壊して別のものを建てるような提案は心底いただけない。

しかも「それ面白いの?」って感じる。
先方の経験値や想像力に疑念を抱き始めたりしちゃう。

よく、小さな変化も長い目で見たら大きな変化につながる事の例えで「角度」の話があります。
たった1度の違いでも、このまま進めば1キロ先では角度も百数十度になってる、みたいなやつです。

相手のちょっとした思いつきはその場ではたった1度くらいの労力で済みます。
でもそれを形にする為の時間が距離だとしたら、労力という角度は百数十度になってます。

妥協したくないのは分かりますが、だからと言ってその変更が「改善」になるかは別。
場合によっては「改悪」になる。

こういった摩擦を少なくしていく為には、有無を言わせないくらい自分のレベルを上げる事と、こういった環境に身を投じない嗅覚が必要だと感じてます。

これは、いずれこの文章を見返して「こんな事言ってたのか。青いなー」と思うか「やっぱあの時言ってた事は正しかった!」と思うかのゲームです。