美女石城 日野郡江府町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

美女石城の創草は不明である。『伯耆誌』は「天竺三郎四郎元氏、天正初年此の地に住居す」と記している。
『鳥取県神社誌』には佐川神社の項に「天正十三年(1585)美女石城主細川天竺三郎治郎宏荘なる社殿を造営し、社領七十五石寄進せしこと棟札に見ゆ」とある。
天竺氏は備中、軽尾の城主である。天正期は江美城が没落し、日野は毛利氏の支配下にあったから、毛利氏の一武将として在城していたのであろう。その後再び、備中軽尾城へ帰っている。
美女石城跡は、日野川左岸の美女石集落の付近である。近くに、数段の石垣で囲まれた棚田があり、石垣の中央には石段が掘り込まれている。伝承ではそこが門跡とされている。
ここは天竺屋敷と呼ばれ、諸文献はここが美女石城といっているが、天竺屋敷の南方100mに位置する、対岸の小山の頂部に二ヶ所の削平された場所がある。
城としての機能は、むしろここに求めるべきであろう。城と居館を明確に分けた中世の縄張りであるとも考えられる。
(※江府町の文化財探訪より)

道路脇から登ってすぐの南三郭

その上の南二郭

北側へ登ると、西三郭

尾根を反対に越え、東二郭

東二郭から見ると、南二郭には石垣

主郭南側の、櫓台のような土盛

何かが祀られていたらしい主郭


西三郭から西へ下りると、西四郭と西五郭
果樹園や畑なので、後世の改変かも知れない



美女石城遠望

軌跡ログ



日野郡江府町の城