標高80m・比高40mの法勝寺城(西伯町法勝寺)は、毛利氏によって築城され、吉川元春の家臣の三村家親が城主となった…
三村家親は八橋城を攻略し、城将・吉田源四郎を敗走させるなどの活躍を見せる。
関ヶ原の後、中村一氏が伯耆に入封し、米子城を築くと廃城になった。
一説には毛利遠江守本紹が城主となり、尼子遺臣の山中鹿之助に攻められ落城、本紹は自刃したとも云う。
北三郭
北二郭
主郭
主郭の南土塁
北二郭
北東三郭
北東三郭から見た北の堀切
二股に別れているのが分かる
東四郭
南東四郭
南五郭
南東六郭
南西堅堀
西二郭と西三郭
西二郭と西三郭の北に土塁状に伸びる北西二郭
下から北堀切
二股に別れた北側
南側
北曲輪群の西空堀
北曲輪群西二郭
北曲輪群南二郭
北曲輪群主郭
北曲輪群北二郭と北三郭
北曲輪群東二郭~東四郭
法勝寺城遠望
軌跡ログ
旧西伯郡西伯町の城