標高125m・比高20mの久古の御牧城(伯耆町久古)は、城郭大系に記載されている久古城が、同一と思われる。
字里坊屋敷に在り。北に面する小岳にして頂上四百坪ばかり、善福寺に並び道路を界す。「大塚右馬頭」の居城なりしと云い伝う。(『日野郡史』)
『八郷村是』(大正二年一九一三刊)はこれを「里坊屋敷」と名付けて、久古字里坊屋敷五六〇番地の山林にあって、いまも地形を認め得る。思うに里坊城は、里正(むらおさ)、坊正(なぬしのこと)の住宅を意味するものであろう。城内には当地方開墾の元祖として尊崇する大躰神を祭っていたが、城が亡くなるに当たっていまの植松神社の境内に移して後、植松神社に合祭された、としている。
(後略)
(※岸本町誌より)
道路から入ってすぐの北西六郭
北西六郭と南西六郭の間の土塁
南西六郭
西五郭の西部を南北に分ける土塁
西五郭北西部
西五郭南西部
奥で一つになる西五郭
西五郭の東で一段高い西四郭
西三郭の虎口
西三郭
西三郭の東で土塁状に高くなっている西二郭
主郭と西二郭間の堀切
堀切底から見上げた主郭の切岸
主郭
主郭を囲む土塁
久古の御牧城遠望
軌跡ログ
旧西伯郡岸本町の城