標高710m・比高470mの鎌倉山城(南部町笹畑・東上、伯耆町福岡)は、元享三年、相模国鎌倉山の戸田備中守森正が築城したと云われ、『伯耆民談記』などによると、天万山城の浅野越中守実光と戦ったと記されている…
笹畑の鎌倉山、町内最高の鎌倉山の頂上から少し下った平地に「戸田安房守森重城趾」の標柱が立てられている。勿論「戸田安房守」という城主のいたことも伯耆合戦記などという村芝居の台本程度の江戸末期の小説に出るだけで論ずるに足らない。しかし文政元年の調べで此処に軍事施設のあった事は信じられる。ここは郡境五輪峠を越えて北上してくる軍勢を監視する重要な地点であり、五輪峠は備後街道の峠でもある。杉原播磨守盛重・三村家親などの備後・備中勢もこの峠を越えて伯耆に入っている。したがってこの砦は盛重陣址か、或いは又文明年間の尼子(西軍)山名(東軍)の対決の時の哨所かも知れない。文政元年の図にも城主が記入されていないところ、伯耆合戦記はそれ以後の戯作であると知れる。
(※西伯町誌より)
久住の鎌倉山、伯陽闘戦記に書かれた戸田安房守森重の居城。全くの伝説にすぎないが、部落の人は今なお城の石垣の一部が残っているといっている。
(※日野町誌より)
鎌倉山グリーンラインとして、山頂近くまで車で登れる
駐車場に車を停め、山道を進む事しばし…
戸田安房守森重城趾の石碑が
西に突出した二段の曲輪
西五郭~西二郭
主郭
東二郭~東三郭
南西には堀切
鎌倉山城遠望
軌跡ログ
日野郡日野町の久住城と同じ山系にあり、久住城へは鎌倉山城から縦走可能
旧西伯郡西伯町の城