標高508m・比高344mの白磯城(八頭町福地)は、私都城(市場城)の出城で、坂川平左衛門の居城であったが、私都城(市場城)落城の時に運命を共にしたと云われる…
林道を辿り、植林された山中へ直登
かなり急峻だが、南東の尾根へ取り付き進むと、尾根を利用した細長い曲輪…
そして、その先には堀切
さらに先にも堀切
さらに登ると、主郭の南へ展開する帯曲輪群
帯曲輪群から南尾根への曲輪群を進むと、先端部に堀切
そして主郭へ向かう…
主郭の南の帯曲輪群は、一つ一つがかなり大きい
そして主郭
主郭の東の、かなり大きな竪堀
主郭の北の堀切
北堀切から北東へ進むと、またもや堀切…
ただし、此処はかなり浅くなっていた
そして小さな曲輪を二つ挟んで、また堀切
一旦、北堀切までもどり、北西尾根へ行くと、こちらにも堀切
北、東、南へ対しては防備されているが、西に対する防備は薄い…
谷を挟んで西に存在する覚王寺城は歴史的背景が不明だが、私都城(市場城)の出城であったならば、西の備えが不要だったと思われる…
それにしても多数の堀切、竪堀、かなり広い曲輪群と、見応えの多い城だ
俺の自己評価では、私都城(市場城)、峰寺薬師堂山城、そしてこの城が、旧郡家町ではベスト3の遺構を堪能出来る城だ
旧八頭郡郡家町の城
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