標高340m・比高160mの岩神城(智頭町岩神)は比丘尼城とも呼ばれる
林光庵を祀る林一族は、もともとはこの地の地侍といい、かつて裏山の比高160mに岩神城(地元ではビクリン城とか比丘尼城とかいう)があって、「城主は林玄朴」(因幡誌)と伝える。
口碑伝承によると、後鳥羽上皇が隠岐に流罪となり、この地で崩御した。この時、侍臣 林兵庫の一子、林勝丸は忠誠心あつく、天皇の恩徳を報じ、妙法寺(智頭町上市場)を建立したという。
その後、明応九年(1500)に至って、勝丸の支族 林玄朴はこの地に至り、岩神城を築いたという。
天文十三年(1544)二月、尼子晴久の因幡への侵略に際して滅ぼされたというが、別伝では天正九年(1581)、秀吉の第二次鳥取城攻撃の折、降伏して土着し、岩神村を拓いたともいう…
(※智頭町誌より)
山麓には城の石碑と看板がある
案内図
山道を延々と登ると、岩神神社が
さらに山道を登ると、岩神城への入口…
一見して、そうは見えないが、これは堀切のようだ
堀切から登ると主郭で、堀切側には土塁
智頭町誌に「この遺構を土塁と確認できれば、土塁の編年から、淀山城と同じく天正時代中期まで存続した可能性がある。とすれば、淀山城主草刈景継に合力し、景継の家中で活躍した林弥次郎なる人物が林一族の支族であったのかも知れない」とある…
主郭と、岩神城跡の碑
主郭の南には帯曲輪…
東の曲輪は、激しい薮に覆われている
岩神城遠望
眼下に智頭宿を望む位置に存在する山城である
八頭郡智頭町の城
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