標高210m・比高60mの栃谷城(八頭町大江)
「栃谷の城」風坂左衛門尉頼武の城跡がある。栃谷は大江谷の詰りで、伊田氏の領内である。風坂は伊田の家来だったのだろうか。永禄三年(1560)、小倉主膳慈政が、この栃谷の城を焼いた事が能引寺縁起に見えている。慈政は小倉村の住人であったと思われるが、その由緒も分からずその屋敷跡というのもあるけれど、構えも今はよく分からない。
(※船岡町誌より)
山麓の墓地には、石碑と五輪塔が…
尾根続きの南には堀切と土橋
主郭には神社が…
直登する必要はなかったようだ(笑)
主郭北には薮に埋もれた腰曲輪が三段…
腰曲輪…
腰曲輪…
栃谷城遠望
軌跡ログ
南西以外の三方に川が流れる天然の要害
旧八頭郡船岡町の城
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