防己尾城 鳥取市 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

標高39m・比高34mの防己尾城(鳥取市金沢)は、吉岡城とも、亀山の城とも呼ばれる…
(ちなみに防己尾は「ツヅラオ」と読むひらめき電球)

防己尾は長柄川流域の小河谷平野と湖山池が接する所で、古代から中世の山陰道と湖山池の水運の接点付近の要地に位置する。
吉岡氏は『太平記』にもその名がみえ、「吉岡ノ領主」(因幡誌)として知られている。
戦国時代の天文頃、「草刈覚書」の中に「吉岡城主吉岡将監・防己尾城主妹尾右京進」とみえ、この頃の吉岡氏は智頭郡一帯に勢力を持っていた草刈氏と結んで、布施天神山城の因幡山名氏に対立する勢力となっていた。
天正九年(1581)、上方勢の鳥取城攻撃の行われた頃の吉岡氏は、毛利方として防己尾城に「吉岡入道質休、同嫡安芸守、二男右近」など二百余騎で立て篭り、羽柴秀吉の攻撃を退けた。(陰徳太平記)。
(※鳥取市史より)


南を走る道路は、堀切の跡らしい…


公園となり、駐車場に案内看板が…


綺麗に整備された主郭には、防己尾城の石碑が建つ…

看板もあるひらめき電球

吉岡将監定勝が築城したといわれる。城郭は本丸・二の丸・三の丸とそれに取り囲まれた町屋とから構成されており、北側には船着場が設けられていた。
天正九年(1581)羽柴秀吉の鳥取城攻略の時、将監は奇襲によって、たびたび秀吉勢を悩ませた。また、将監の弟右近は秀吉の千生瓢箪の馬印を奪い取ったという。
しかし、この城はその後亀井茲矩により落城した。
(※現地看板より)

主郭部の南方の曲輪群の最高所ひらめき電球

その南には土塁が合格

その南下の曲輪にも、長大な土塁が残るニコニコ


北端、湖山池に突き出した部分の曲輪波

小さな谷間を挟んだ東の丘陵にも曲輪群が展開しており、なかなかの規模の城だった事が分かる…

防己尾城遠望カメラ



鳥取市の城