下阿毘縁の「城床山」(標高716m)にあり、長島豊後守(また長島氏ともいう)の居城(『日野郡史』)といわれている。
(日南町誌より)
上記を参照に以前挑んだ城床城だが、「城床山」の三角点は、また別の山にあるようだ…
どちらが「城床城」なのか…
もしくは「城床城」は、思っていたより圧倒的に広い規模なのか…
確認する為、再び踏査へ…
林道から突入し、しばしで、北西の出丸のような曲輪へ…
その先を少し登ると、細長い尾根の上を均しただけの曲輪が数段続く
山頂付近には、巨石のある曲輪も…
西曲輪群主郭
その南にも二段の曲輪が見られた
東へ下がり、かなり細長い曲輪が伸びる…
その東下には、かなり広い曲輪が
その北下にも、同じく広大な曲輪が展開している
東へ登り、東曲輪群主郭
その北には「城床山」の三角点のある曲輪
さらに北へ三段、南へ一段の曲輪が確認出来たが、堀切・竪堀・土塁のようないこうは見られず、日南町誌に記された城床城と似通った構造…
今回踏査した城床山と、前回踏査した場所の間も、全て城域なのかも…
調べても経緯等は不明な長島氏は、かなりの勢力を持ち、この城床山は相当な規模の城郭であったのかも知れない…
城床山遠望
実地踏査を元に作成した概略図
軌跡ログ
日野郡日南町の城