『日野郡史』に「池ノ内字城山に在り、高所に三百坪余りの平地あり、これなり」と記されている。池之内会館の裏山と推定される。ここは削平地が頂上全般にわたり、周囲の斜面は急傾斜地で、要害をなしている。
(※江府町の文化財探訪より)
池ノ内に多い苗字が藤原である。藤原姓は江府町全体で41戸、その半分以上の23戸が池ノ内…
(中略)
池ノ内の藤原鉄雄の家は「土居」という屋号で呼ばれている。中世の地方豪族の屋敷地に「土居」という地名が残っていることが多いことから考えると、この家は地方豪族的な存在であったのかも知れない。池ノ内には「土居」地名が残っているところに、池ノ内公民館の敷地の一部がある。この地域の後ろに、頂上が削平され、城山と伝承されている独立丘がある。独立丘の隣には熊野神社が祀られている。
(※江府町誌より)
池ノ内会館
この背後より山道を登ると主郭
主郭の北西の堅堀
細長い西二郭
腰曲輪程度の西三郭
主郭の東に伸びる東二郭
東二郭の先に二段連なる東三郭と東四郭
東四郭から土橋状に東へ伸びる鞍部
東端の出丸のような曲輪
なお、山麓の集落には数多くの五輪塔が見かけられた
俣野の城山遠望
軌跡ログ
日野郡江府町の城