標高246m・比高220mの白石城(湯梨浜町白石・方地)
『伯耆民談記』によれば、「最初吉川元春が取り立て、吉川彦七郎元景を置いて、南條氏の押えとした。天正十年(1582)京芸(豊臣氏と毛利氏)和睦の後は南條氏のものとなり、南條氏が警固の者を置いた」と記している。隣接する方地に字「城平」・字「立堀」がある。白石砦(字「城山)」は、標高246m、本丸跡は概ね南北52m、東西17mで、南半分は約50cmの段がつき引くなっている。東側は断崖で、北側から西側にかけて帯状の曲輪が二段・三段と認められる。南側にも13m×10mくらいの曲輪がある。この曲輪には蔵があったと伝承する。
(※東郷町誌より)
山へ入る道があったので辿り、途中から直登
東麓曲輪群の東五郭へ這い登れた
土塁のような東五郭に囲まれた東六郭
東五郭の南には空堀と土橋のように伸びる東四郭の東先端
空堀を辿ると、東麓曲輪群の東四郭と東五郭の間で堀切となる
東麓曲輪群主郭
激しい竹薮の中の堀切
西へ登ると、さらに堀切
二重の堀切を越え、山頂部の南西曲輪群間近まで迫るが…
かなりの岩盤地帯
掴まる木も少なく、流石にこれは登れない
南西曲輪群の東斜面を南へ移動…
何とか登れそうな箇所から一気に直登
南西曲輪群南二郭
これが「蔵があったと伝承する」曲輪か…
南西曲輪群主郭
南西曲輪群北二郭
南西曲輪群西二郭
主郭から北へは、登り土塁が伸びている
白石城遠望
軌跡ログ
この城は2013年の元旦に踏査したが、元旦早々に難関にして、見所の多い城だった
旧東伯郡東郷町の城