松崎城 旧東伯郡東郷町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

標高21m・比高17mの松崎城(湯梨浜町松崎)富士山

南條氏の与力が城居したと伝えられる。字「城山」・「西の丸」・「堀」の地名が検出される。城山と西の丸とは数mの段があったが、今は整地されて桜小学校の敷地になっている。城山の東に細長く字「堀」がある。堀は空堀とみるのが妥当であろう。現在の堀の内団地の辺りである。 享保十一年(1726)の「因伯地理志」には、松崎古城址について次の記述がある。
「山面南、南為大手。高九間(約16m)、城内南北四町(約440m)、東西二町(約310m)畠地也。有高下也。城中無水、下本丸一町五十間(約200m)、有井水多(下略)」
下本丸は難い丸を指すものと思われる。
学校建設の為の整地作業により、南東側に城の石垣の一部が現れていたが、校庭拡張の際取り壊された。前述の通り中世においては、原則として築城に石垣は用いないので、この石垣は中世の極末期か、近世初頭のものと推定される。
(※東郷町誌より)

鳥取県中世城館分布調査結果書や、ネットで調べてみると、この城にいた南條氏の配下は小森和泉守方高なる人物のようだひらめき電球
天正八年、南條元続が毛利氏の攻撃を受けた時、松崎城主小森方高は羽衣石城に籠城したが、寄せ手の尾高城主杉原盛重の内応に応じた為、討取られた。
その後、松崎城には進氏が城主となったが、慶長五年に南條氏が改易された時、羽衣石城共々廃城となった。

広大な主郭には学校が建つ汗



一部に土塁のような物があるが、後世の改変か…!?


松崎城遠望カメラ

東郷湖を見渡す丘陵頂部の城波


旧東伯郡東郷町の城