安良城(豊岡市出石町安良)
城主は安良氏であるという。弘安八年(1285)の「但馬太田文」には、八幡宮領安良別宮の下司として安良太郎安景・同次郎政景の名がみえる。また、正平十七年(1362)南朝軍の長九郎左衛門・安保信禅は、但馬守護仁木頼勝・安良十郎左衛門が籠もる城(安良城)を攻めている(「但馬守護仁木弾正少弼、安良十郎左衛門、将軍方にて立て籠もりたる城未だ落ちざりけり云々」「太平記」)。
この史料から、安良氏が鎌倉末期から南北朝期にかけて代々石清水八幡宮の下司職を務め、城郭を構えていたことが分かる。しかし、その後の安良氏の動向は不明である。
(※豊岡市の城郭集成より)
主郭には八幡神社が建立されているので、参道を登る
南から東へ帯曲輪状の南二郭
南二郭から南東へ続く曲輪群は、途中で南東と南南東へと二股に別れる
南東曲輪群の先端近くには堀切
東へも階段状に曲輪が連なる
浅くなっているが、堀切も
さらに東へ連なる曲輪群
八幡神社の建つ主郭
帯曲輪状の北二郭
北東へ伸びる尾根上にも曲輪群が連なり、途中には二重堀切
内側の堀切には土橋
さらに曲輪を一段挟み、こちらにも土橋の架かる堀切
堀切を越えると、北東曲輪群…
北東曲輪群主郭
そのまま北の山塊へ続く尾根を進むと、堀切…!?
と思ったが、どうやら古墳群のようだ
他にも北東尾根の曲輪群には、途中から北西へ向けて五段程の曲輪が連なっていた
さらに北西の尾根にも曲輪群
祠のある曲輪の北東側には竪堀
西側、少し離れた所にも広い曲輪が二段
安良城遠望
軌跡ログ
大方川が北・西・南を流れ、天然の堀となった要害の地だ
旧出石郡出石町の城