釣鐘尾城 旧城崎郡香住町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

遅くなったけど…
先日、山名氏城跡保存会のイベントにて訪れた城の紹介を…

(※当日は同行している人達が沢山いる為、後日、単独にて再び踏査して来ました)

釣鐘尾城(美方郡香美町香住区加鹿野字城山)は矢田川左岸、加鹿野集落西側の標高94mの山上に所在する。城域は東西約170m、南北約280mを測る大規模な城郭である。集落との比高は約82mを測る。
伝承によると、城主は野石甲斐守源太であるという。延元元年(1336)、野石と塔の尾城主長九郎左衛門らは、篠部有徳の志馬比城を落城させたというが、一次資料では確認出来ない。
(中略)
釣鐘尾城は、南北朝期~室町期に構築された縄張りを、戦国末期に大改修したものであろう。『吉川家文書』によれば、天正七年(1579)段階で、竹野轟城主垣屋豊続が竹野~諸寄間に「5~6ヶ所の要害」を設けていたことが記されているが、釣鐘尾城はその一つと考えられる。
(※見学会資料より)

(※西尾孝昌先生作図の縄張図)

東から山道を登ると、縄張図には記載されていない曲輪が

東斜面には東堅堀

尾根上に登ると東七郭

その南には登り土塁

その東下には帯曲輪状の東八郭と東九郭


北側へ回り込むと帯曲輪

戻って東六郭~東二郭





東二郭~東三郭の南には腰曲輪

その南には堅堀

東二郭から主郭へは登り土塁が

主郭虎口

主郭

主郭の北東土塁

主郭の南東下の帯曲輪

主郭の南には三条の堅堀



主郭の北東下には帯曲輪状の北東二郭

その北東の堅堀

さらに北には崩落の跡のような堅堀

北東二郭の北端部の東には二段の帯曲輪


北東二郭の北には北三郭~北十一郭まで曲輪が連なる









北東二郭に土塁状に突き出す北西二郭

西へ伸びる北西二郭の北には土塁

そして北側斜面にはU字状の堅堀

特に東側の堅堀は明瞭だ

そして北西に堅堀

西にはU字型堅堀
さらにこのU字型堅堀は内側に2条の堅堀があり、「介」の字のような形

北の堅堀は明瞭だ

内側の2条の堅堀


U字型堅堀の南

さらに南西にも堅堀

南南西にも堅堀

主郭の南の緩傾斜の南二郭

そして南の曲輪群との間には堀切

南主郭の北西には空堀のような帯曲輪

南主郭の北二郭

その東には堅堀

南主郭

南主郭の土塁


南東にU字型堅堀

南に堅堀

北西に堅堀が2条


最南端の堀切

さらにその横にも堅堀

地元の人が「堀切」と呼ぶ道路

出丸…と思われる八坂神社

社殿背後の最頂部

神社の東には曲輪と思われる二段の削平地


神社の北東下にも二段の削平地



釣鐘尾城遠望

見学会時の軌跡ログ

単独踏査時の軌跡ログ