城の位置が矢田川をへだてて加鹿野の釣鐘尾城に対する要害の地であるので、野石氏を監視する為に篠部氏が出城として築いたと云われ、城主には小野木玄蕃正光の名が上がっている。
西尾孝昌先生作成の縄張図
吉野神社
吉野神社から土橋のような尾根を進む
北には帯曲輪が二段伸びる
曲輪なのか、細長い尾根
西曲輪群の頂部(主郭?)
そこから北へは十段の曲輪が連なる
東の城域へ山道を進むと、南に曲輪が隠されている
西へ回り込む(途中から薮)
井戸状の窪みの見られる北二郭
その下から東へ伸びる帯曲輪
帯曲輪の北には長大な堅堀が伸びるが、惜しむらくは激しい薮
帯曲輪は二重になっており、一段上にも同じように帯曲輪が伸びている
「権現さん」の祀られた主郭
主郭にある説明看板
主郭から東へ階段状に連なる曲輪群
東二郭~東七郭
東七郭には縄張図にあるように井戸状の窪み
そして土塁
東下には堀切
堀切の外の土塁状の東八郭
さらに東へ下ると、緩傾斜の東九郭
井上城遠望
軌跡ログ